第13話  あまつさえ

 部屋を後にしたロゾールとカイムラルは、参加者が集まっているであろう食堂へと急いでいた。

 一難去ってまた一難とはよく言ったもので、得体の知れない存在がロゾールを足止めするかのように、小さな災いが立て続けに降りかかるのだ。


 例えば、涙で崩れてしまった化粧を直していた時、運悪くメイクブラシを落として見失うということがあった。それはどうやら小さな隙間に入り込んでしまったようで、化粧台や家具をどかして探す作業は本当に骨が折れた。

 家具はどれもこれもどっしりと腰を据えて構えるような重量感があり、ふたりがかりでも床から浮かせるだけでやっとの状況だ。

 永い眠りの中では体力も落ち、多少なりとも衰えてしまうのは仕方の無い事なのかもしれない。

 しかし、テーブルひとつにでもここまで歯が立たないと、少なからず落ち込んでしまうものだろう。


 そして追い打ちをかけるように、カイムラルの髪の毛を結っていたリボンが突然千切れ、もう一度はじめからやり直しになってしまったのだ。

 手慣れた作業のはずなのに、途中で編み方が分からなくなってしまったりと不運は続き、ロゾールの納得のいく出来栄えに運ぶまで多くの時間を費やしてしまった。

 ここは死後の世界の街、ルグレ。小さな妖精や幻獣が悪戯いたずらをしていたとしても、なんら不思議ではないだろう。

 まだゲームは始まってすらいないというのに、ふたりは目元に少しばかりの疲れを滲ませていた。


 ロゾールが目覚めてから、少なくとも3回は鐘の音を聞いた。

 だとすれば、既に集まっている他の参加者達を、もう随分と待たせてしまっているのかもしれない。

 はやる気持ちがあるせいなのか、口数を少なくして廊下を進んでいたふたりだったが、そこでふと思い出したかのようにロゾールが口をひらいた。

 「とろこでカイムラル、先程の話なのだけれども……」

 ロゾールは合わせる顔がないと言いたげに俯きながら、おずおずと言葉を繋げる。

 「思わず取り乱してしまって、本当に申し訳なかった。その……怪我は……」

 顎に手を当てて、何のことだろうかと言いたげに少し考える素振りを見せた後、カイムラルは困ったようにはにかみながら言った。

 「あれは……仕方ありません。ロゾール先生がどれだけ"あの日"を楽しみにされていたのかは、俺が一番よく分かっておりますので」

 ズキリと、ロゾールの胸が痛んだ。息が詰まり、沈没直前の船のように大きく傾いた意識を立て直して、足だけはひたすらに前へ前へと進める。

 心優しいカイムラルのひと言が、今は殴りつけるような罪悪感となって強く心を打った。

 (いっそのこと、"未練がましい"と言って突き放して欲しかった。そうでないと、"手が届いたかもしれない奇跡だった"と思ってしまうから)

 ロゾールは無意識のうちにモノクルに触れ、エインの面影にすがった。

 (私はエインという存在が無ければ、こんなにも弱くて、何も出来ない役立たずなのか)

 悲しみと不甲斐なさに震え、足元ばかりを見て進んでいたロゾールを、カイムラルの右腕が制止を示す。

 何事かと思って辿ったカイムラルの視線の先には、飽きることなく熱心に絵を描き続ける、あの男の背中があった。

 「……彼もゲームの参加者でしょうか。着替えも済んでいないようですし、そろそろ声をかけた方がよろしいのでは?」

 ロゾールは何を思ったのか、首を横に振った。

 足音を忍ばせて階段を降り、突き当りが見えない長い廊下を迷いなく進んでいった。

 「……本当に、よろしいのでしょうか」

 何度も振り返るカイムラルに無責任にも「大丈夫さ」と言ったロゾールは、先程よりも少しだけ歩調を速めてエントランスホールを後にした。


 これはロゾールの勝手な憶測だが、あの男はゲームに参加したくないのかもしれない。

 そう思った理由として、あの男は何度も同じ像の絵を、同じ角度から描いていたからだ。

 (あれは彼なりの、"主催者"への抗議活動なのかもしれないな)

 それを見て見ぬ振りをすることは、すなわち彼の行動を支持するも同然だとロゾールは考えていた。



 長い長い廊下の終着点。大きな扉にもたれかかるようにして立っていた紺色の髪の少年は、ロゾールとカイムラルの姿を見るなり、あからさまに落胆した表情を見せた。

 「えぇと……ヴァニタス医師と、メイト医師ですね?お待ちしておりました、どうぞこちらへ」

 名簿らしき紙にふたつ丸印を書き込み、取り繕う様な笑みで扉を開いた少年は、"さっさと中に入れ"と言いたげに忙しなく入室をうながした。

 業務的で愛想の無い出迎えに、ロゾールは不満げに顔をしかめ…………たくなったが、パッと満面の笑みを貼り付けて、人が良さそうな立ち振る舞いを演じた。

 「ごきげんよう。ロゾール・ヴァニタスは私だ。そしてこちらが、カイムラル・メイト医師」

 「はぁ、そうでしたか」

 可愛げのない少年の態度に、ロゾールの頬は小さく震え動いていた。

 「いかなる場合の時間厳守! まったく、最初からこんなにも足並みが揃わないとは先が思いやられます!!」

 落ち着きなく食堂を歩き回り、手に持った紙をぐしゃりと握り締める様子から見ても、このせっかちな少年は随分と機嫌が悪いらしい。

 部屋の中央には大きな長テーブルが置かれ、5人ずつが向かい合うように椅子が配置されている。

 空席は4つ。この少年と、今来たばかりのロゾール達の椅子を除けば、事実上はあと1席。きっと、あの男のものだ。


 「ラントカルテ総統は、一体どこで何をしているのでしょうか?! のんびり屋にも限度がありますよっ! 早く連れてこなくては、ルール説明すら始められません」

 我慢できないと言った様子で声を荒げる少年に、黙々と食事を進めていた青い髪の男がポケットから煙草の箱を差し出して言った。

 「なんだ、ドラッグか何かの禁断症状か? これでも吸っとけと言いたいところだが……ははっ、髭も生えないお前にはまだ早かったな」

 そのままの流れで煙草を咥え、もったいぶって火を点けた男は、代わりに飴玉を差し出して挑発的な笑みを浮かべた。

 その手をバチンと音をたてて跳ね除けた少年は、ギリッと眼光を鋭くして睨みをきかせた。

 「……あの、お話し中に失礼いたします」

 床に転がった飴玉を拾い上げ、恐る恐ると言った様子で声をかけてきたカイムラルに、少年は態度悪く言葉の先を急かした。

 あまりにも横暴な彼の態度に、ロゾールは少しくらい文句を言ってやろうかと口を開いたが、少年の軍服に飾られたバッジを見て納得した。

 (髪色からしてインジェント出身かと思ったが、キルシュライでの育ちだったか)

 原生林を切り拓いて国を作り上げたキルシュライ帝国は、強く豊かな国へと導く存在として、古くから馬を国章の中に描いてきた。

 少年の所属を表すであろう腕章には、ロゾールが見たことも無い、桜の花を象ったマークが大きく描かれている。

 この少年は、ロゾールよりもずっと後の時代を生きたのかもしれない。

 彼の携える銃が、技術の違いを知らしめるようだった。

 「相変わらず、お前達アルカ人は根暗で気味が悪い。夜に逃げた"魔女"は、使い魔を通してしかまともに話せないのか?」

 同い年くらいだと勘違いしているのだろう。敬語を崩した少年は、冷たい声音でカイムラルに対して差別的な発言を続けた。

 元々は単一民族国家であるキルシュライでは、アルカ人への差別意識が特に根深く、居住区や公共施設を分けたり利用を制限するなどといったあからさまな差別を国が認めていた時代もある。

 しかし、ロゾールが生きた時代では、ここまで面と向かって暴言を吐くような人は見たことが無い。

 そもそも、秩序や集団の統率を重んじる彼らが、場の空気を乱すような振る舞いをするのだろうか?

 "時代が違う"と言われてしまえばそれまでだが、少年の底知れない憎悪の根源にあるのは、もしかしたら"アルカ人"ではないのかもしれない。


 人一倍に引っ込み思案でおとなしい性格のカイムラルは、少年の剣幕にすっかりと委縮してしまい、悲しそうに視線を落として小さく"すみません"と繰り返すばかりで、一向に話は進まない。

 「……お前っ、いい加減にしろよ!!」

 だんまりを決め込む様子に痺れを切らしたのか、カイムラルの胸ぐらを乱暴につかみ腕を振り上げた少年に、尋常ではない気配を感じた一同は一斉に身構えた。

 「やめなさい、ミルト。そんな脅すような口調では、誰だって話しづらい。それに、個人的な感情で無関係な人間に差別的な対応をするのは、キルシュライの男として褒められたものではないな」

 少年とカイムラルを力ずくで引き剥がし、ふたりの間に割って入ったアインザックは、厳しい口調で彼の差別的な行為をとがめる。

 ミルトと呼ばれた少年は納得できないと言いたげな表情ではあったが、すぐに拳を収めて身を引いた。

 「メイト医師、続きを」

 両腕で身体を抱き、青ざめた表情で小さく震えているカイムラルへと向き直り、アインザックは言葉の先を求めた。

 ふたりと一向に視線を合わせようとしないカイムラルは、投げ捨てるような口調で言う。

 「眼鏡をかけた彼なら、エントランスホールです。まだ、絵を描いておられるかと」

 カイムラルのその言葉に、ミルトは怒りを爆発させるかのように声を荒げた。

 「あぁ、もう……またですか!! 暇さえあれば、絵を描いてばかりなんですから! いや、そういえば燃え盛る建物の中でも絵を描くような男でしたね!!」

 「どうりで部屋にもいないわけだ。総統は相変わらず、時間に無頓着だな」

 チラリと一番上座に居る銀髪の男の表情を伺ったアインザックは、足早に扉へと歩み寄った。

 「いいえ、兄さんの身支度は僕に任せて、先生は食事を済ませてください。あの頃のように、"早くしろ"と尻を叩きに行ってきますのでっ!!」

 アインザックを押しのけ、肩をいからせて扉を開け放ったミルトは、ひとつにまとめた長い髪をなびかせて走り去ってゆく。


 「おい、。奴は納屋で生まれたのか?」

 青い髪の男が、開けっ放しの扉を指差しながらアインザックに問いかける。

 この発言は、インジェント王国ではおなじみの"ドアを閉めろ"という皮肉を混ぜ込んだ言い回しだ。

 ほんの僅かだが、アインザックがピクリと眉を跳ね上げたように見えた。

 ゆっくりと青髪の男へと向き直ったアインザックは、淡々とした口調で"私の責任です"と言った。

 「ちょ、ちょっと、アイン!!」

 途端、ギルバートが椅子をひっくり返しながら慌てた様子で立ち上がった。

 青髪の男は、こめかみに青筋を浮かせながら、まだ赤々と火が覗く煙草の先端を握り潰して脚を組み替える。

 正に一触即発といった空気の中、互いの間合いを図りながらじっと見つめ合うふたりだったが、どちらともなく視線を外したことで拳同士での挨拶は避けられたようだ。

 「……なんだか、前途多難な予感だね」

 ゆっくりと席を立ち、その場から動こうとしないカイムラルの肩をそっと抱いて、ギルバートは自分の隣の空席に彼を座らせた。

 そのままロゾールもうながされ、アインザックの隣の席につく。

 対面から見るカイムラルの表情は、悪い夢を見て飛び起きた時のように恐怖で歪んでいた。


 「食事を召し上がってください」

 銀髪の男が言葉少なに言う。周囲を見回せば、参加者の半数ほどが既に食事を終えているようだ。

 少年の言っていたルール説明は、きっとこの銀髪の男が主体となって進めるつもりなのだろう。

 いかにも生真面目で、平和的に場をまとめてくれそうな存在がいた事に安堵しながら、ロゾールは両手を組む。

 (主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます)

 心の中で静かに食前の祈りを呟いたロゾールはカトラリーに手をかけ、湯気の立ちのぼるスープをひと口含み、上目遣いにカイムラルの表情を伺う。

 カイムラルは、男の言葉にも微動だにしないままだった。



 >>【招待者名簿 5/12】

ミルト・クライン

享年:__

職業:__

身長:174㎝

駒名:ルーク(黒)

役割:後衛こうえい

魔法:「深淵しんえんの肖像」


 インジェント王国を代表する油彩画家、ルーク・ティティ(1919~2001年)の小説「カインの肖像」に登場する主人公の少年。

 ある日、突然父を喪い行き場を失くしたミルトが、当時一介の軍人だったレゾン・ラントカルテに拾われ、不思議な共同生活を送るというフィクション作品である。


 しかしルークの死後、彼のアトリエから見つかった資料により、この作品が"フィクション"ではなかったことが明らかになる。

 何よりも世間を震撼させたのは、物語の主人公である"ミルト・クライン"が、他でもないルーク自身であったという事実だった。

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