第14話  キルシュライの伝統的な朝食

 不思議なことに、その食事は暖かかった。

 ロゾール達は他の参加者が食事を終えた頃に食堂に訪れたのだから、用意されている料理は冷めきってしまっているのが当然のところだろう。

 それは料理が出来上がった瞬間を繰り返しているかのように、ほかほかとあたたかな湯気を立ちのぼらせている。

 既に食事を終えた者はコーヒーを飲みながら本を読んでいたり、手元の食器を片付けて居眠りをしていたりと自由な様子だった。

 煙草をくゆらせていた青髪の男は、何を思ったのかおもむろに火のついた先端を握り潰し、また無言で食事を再開している。

 (待ちくたびれたと言いたげな様子ではないのが幸いだな。せっかちなのは、きっとあの少年だけなのだろう)

 各々の前に準備されているのはじゃがいものスープのみ。テーブルの3カ所に置かれたかごには、山のようにパンが積まれている。

 チーズやゆで卵、野菜やハムなどは大皿から取り分けなければならないようで、ロゾールは衣装を引っ掛けないように気をつけながら、パンとひとかけらのチーズ、洗いたてのみずみずしい野菜を皿の隅に小さく盛り付けた。

 柔らかいパンを少し大きめに千切り、何もつけずにひと口で頬張る。

 手のひらに収まるくらいの小さなパンは、焼きたての小麦の甘い香りがした。

 口の中で溶けるように無くなった余韻よいんを求めて、もう一切れを含む。

 質素で素材そのものの優しい味わいが、どうしてだか涙が出そうな程に懐かしかった。


 テーブルに置かれた色とりどりの瓶の中から、ロゾールは自分の瞳の色に似たジャムを選ぶ。

 すくったスプーンからとろりと零れ落ちそうになるジャムを急いで小皿に迎え、期待に胸を高鳴らせながらパンに乗せてたっぷりと頬張った。

 口の中で雨粒がパッと弾けるように広がる華やかな香り。たったひとさじでも味わった者を虜にする芳醇ほうじゅんな薔薇のジャムに、ロゾールもすっかりと魅了されてしまったようだ。

 口の端についたジャムを指先で拭い、お行儀が悪いとは承知でその指を舐めた。

 普段のロゾールならば、絶対にしない行いだ。それでも"今だけ"という言葉を免罪符にして、水を求める乾いた地のようなロゾールの心は、食への渇望かつぼうにただ従順だった。

 ロゾールは籠からパンをふたつ取る。ひとつは先程と同じ物、もうひとつは握りこぶしよりもひと回り大きい白いパンを。

 ゆで卵の殻を剥き、輝く白身にスプーンをさし入れる。ぷつりと半熟の黄身が溢れ、金色の雫が滴り落ちないうちにそれをくわえ込んだ。

 粉チーズと果実酢で軽くえた野菜は、さっぱりとした爽快感と眠気を覚ますような強気な酸味が好印象だった。カリカリになるまでたっぷりの油で炒め、細かく刻んで混ぜた燻製ベーコンの香ばしさが癖になる。


 「……美味しい。なぜ、どうしてこんなにも満たされるのか……」

 あまりの感動に、ロゾールの指先は細かく震えている。

 ロゾールは生前から食が細く、それに加えて職業柄不規則な食生活を送っていた。

 それらしい食事をるのは夕食だけで、鞄に常備していたビスケットや飴玉などの間食で空腹感を満たし、場合によっては目に留まった喫茶店や露店で軽食を調達するというのが常だった。

 そんな彼にとって"誰か"が用意してくれた家庭的な朝食に、人並み以上の憧れが強かったのだろう。

 心の奥底で、"もうずっと、ここにとどまり続けるのも悪く無い"と囁く声が聞こえた。

 「永い眠りは退屈だったのだろう。あまり心を揺らしすぎないように。ここでは、感情に素直になりやすいようだ」

 突然ロゾールの右側から腕が伸び、テーブルの上にティーカップが置かれた。

 驚いて顔を上げると、そこには食事を勧めたあの銀髪の男が立っており、ロゾールの独り言にご丁寧にも返事を返してくれたようだ。

 「あぁ、それは身をもって知ったよ。恥ずかしいことに、目覚めてから泣いてばかりなんだ」

 ロゾールのその言葉に、男は切なげに微笑む。

 「俺はロックフォーゲル。名前はティオと呼ばれていた。陣営は違うが、長い夜を共に過ごす仲として、宜しく頼む」

 「ご丁寧に挨拶をありがとう、ティオ。グラウ・エレット教会のロゾール・ヴァニタスだ。ゲームについては何も分からないが……まぁ、この雰囲気ならそんなに悪い気はしないかな」

 どちらからともなく差し出した手を固く握り、ふたりはなごやかに挨拶を交わす。

 薄手の白い布に穴を開け、それを頭から被って整えたような服装のティオは、ロゾールよりも遥か昔の時代を生きた人物であることは明白だ。

 マントを留める金具には、三日月と木馬が彫り込まれている。

 (神聖トロイピア。まさか、実在する国だったとは)

 ひと言を交わし合って背中を向けたティオには悟られないように、ロゾールは服の下に隠された骨格や、筋肉のつき方の違和感に目を細めた。


 古代文明に存在していたとされる科学国家・トロイピアは、ロゾールが生きた時代からおよそ千年前に滅んだとされている国だ。

 この国のものと見られる遺跡は大陸の至る部分で発見されており、正確な国土や滅亡の詳しい原因などは全くの不明とされている。

 古代文明であるはずのトロイピアが"科学国家"と称される理由として、遺跡から推測される文明レベルが、ロゾールが生きた1800年代よりも1200年程度進んでいたのではとの考え方が通説だからだ。

 かの文明の再現はおろか、どのような仕組みで社会が循環していたのかすら皆目見当がついていない。

 しかも奇妙なことに、この文明人たちの亡骸はこれまでひとつも見つかっていないのだ。国と運命を共にしたであろう者の遺体どころか、そもそも墓地と思われる遺跡すら。

 まるで、神が定めし"死"という絶対的な終着点を、技術を以てして乗り越えてしまったかのようではないか。

 人の理解を超えたこの文明に対する調査は徐々に打ち切られ、挙句には見つかった遺跡を埋め直して、なかったことにしようとした大真面目な研究者もいたそうだ。

 笑い話ではないが、笑える話だ。


 しかし、この時代の死者ティオはここにいる。

 もしかしたら、かの国の"死"に対する考え方が、遺跡が見つかって以来の謎を解明する手掛かりなのかもしれない。

 長らく疑問視されてきた宗教国家を主張する"神聖トロイピア"という呼称も、その後継国を名乗る"キルシュライ帝国"との関係性も、全ての謎が解き明かせるかもしれないのだ。

 ロゾールは、喉の痒みにも似たムズムズとするような好奇心に瞳を輝かせた。この感覚はいつぶりだろうかと高鳴る胸を抑え、心のメモに書き留めるよう思考を整理する。

 (言い回しや真面目そうな民族性を考えれば、キルシュライがトロイピアの後継国の可能性は高い。ティオの服に織り込まれた幾何学模様は、キルシュライで見たものによく似ている。……しかし、彼の筋肉のつき方は不自然だ。戦士というよりも、これはもはや兵____)


 「______ったく、何なんだこのパンは! 食べても食べても減らないじゃないか!!」

 ガタンと長テーブルを揺らし、両手にパンを握り締めて立ち上がった者がいた。

 その衝撃で大きな波が立ち、カップの縁から零れそうな紅茶を慌ててひと口分だけ飲み込んでから、ロゾールは向かい側の列に視線を流す。

 あの青髪の男が山盛りのパンの籠や大皿をまるでベテランシェフのように易々と持ち上げ、ツカツカと足音高くロゾール達の近くにまで運んできたのだ。

 食べ終わった者の食器を手慣れた様子で片付け、テーブルを広くしたところに料理が乗った皿を掻き集めて来て言った。

 「食べろ。残したら、俺が料理コレに変わって制裁を下してやる」

 「君は料理コレと、どういったご関係で?」

 ロゾールは反射で、青髪の男に鋭い指摘を投げかけてしまった。

 その間髪入れぬ受け答えにつられたのか、男は神妙な面持ちで奇妙な事を言った。

 「どの時代だったかは忘れたが、俺はとある屋敷に雇われた調理人だった。残った料理を見ると、自分が作ったものを残されたようで気分が悪い」

 訳が分からず呆けているロゾールを放って、青髪の男は食器を抱えたまま食堂の奥の部屋へと消えた。

 「おい、ギルバート!! さっさと"坊ちゃん"に食べさせろ!! 料理が冷めるだろう?!」

 「へぅっ?!」

 開けた扉を閉めに戻った男は、ギルバートを名指しで呼んで息巻く。

 突然のご指名に間抜けな声をあげたギルバートは、ヘラリと笑って隣に座るカイムラルの皿に料理の山を作っている。

 ひと口も料理に手をつけていないカイムラルは、新しい皿を手繰り寄せてまで盛られていく料理の前で、ただ困ったように身体を揺らしていた。

 「ヴァニタス医師。こういった朝食は初めてですか?」

 身を乗り出してパンを手に取ったアインザックが、ロゾールに声をかける。

 「、とは? そもそも、朝食すら私にとっては珍しいものだから……もしかして、決まった食べ方でもあったのかい?」

 国が違えば、朝食の風景も大きく違う。不安げに周囲を見回すロゾールに、ギルバートは向こう側から皿を差し出して言った。

 「特に決まっている訳ではないけれど、キルシュライ式の朝食はパンに具材を挟んで食べるのが美味しいんですよ! ほら、こんなふうに!」

 バゲットに切れ込みを入れ、そこに収まらないくらいに野菜やソーセージを詰め込んだサンドウィッチを受け取って、ロゾールはすぐさまそれにかじりついた。

 あまりお腹が空いていた訳ではなかったはずなのに、ロゾールの身体は際限なく食べ物を求めているようだった。

 器用な事に、切れ込みにはあらかじめソースを塗っていたようで、トマトと玉ねぎをいくつもの香辛料で味付けした異国情緒が漂うソースは、ロゾールが生前に味わった事のないものだ。

 今まで気にしていなかったが、テーブルの上には豆のペースをはじめとした調味料が準備されており、きっと全ての味を試す前にお腹がいっぱいになってしまうだろう。


 黙々とサンドウィッチを作り続けるアインザックは、完成品をロゾールとカイムラルの皿に置き、たまに切り分けに失敗した具材の切れ端を、雛鳥のように口を開けて待つギルバートに与えていた。

 ふと視線をあげると、少し強張った表情でロゾールを見つめるカイムラルと目が合った。

 彼は相変わらず、綺麗に並べられた食器にすら手を触れていないようだ。

 「カイムラル、どこか具合でも悪いのかい?」

 ロゾールの胸の奥に残る心の古傷が、開いた口から顔を出すようだった。

 不安げに声を落とすロゾールに肩を震わせたカイムラルは、パッと笑顔を咲かせて祈りを捧げるように手を握った。

 声を出そうと吸った息が、何かに怯えるように震えている。

 「……いいえっ、ロゾール先生。大いなる恵みに感謝して、この食事をいただきます」

 その様子に、ロゾールは安心しきったような笑みを浮かべて頷いた。 

 「そうだね。沢山、食べなさい」

 カイムラルは震える手でスプーンを握り、先端をほんの少しだけ浸した量のスープを口に含んだ。

 じっとカイムラルの一挙手一投足を見つめるロゾールの視線に気づいたのか、今度はちゃんとひと口分を掬って口に運ぶ。

 よく煮込まれたじゃがいもは溶け、すぐさま口の中から無くなってしまうだろう。

 アインザックお手製のサンドウィッチを手に取り、心の準備をするように目を閉じてからひと口を大きく頬張った。

 嚙み切れずに引きずり出て来たハムを慌てた様子で咥える。それにつられて、今度は大きめに手で千切ったレタスが輪切りのトマトと薄く切ったチーズを引き連れて顔を覗かせてきたのだ。

 真っ白な衣装を庇いながら必死に食事を摂るカイムラルの姿に、ロゾールは小さく声を漏らして笑った。

 "笑い事じゃありません"と訴えかけるカイムラルの視線に"頑張りなさい"と目配せして伝え、ロゾールは今度こそ安堵に表情を緩ませて食事に戻る。

 これで食事をしているのはロゾールとカイムラル、アインザックとギルバートの4人だけとなった。

 ロゾールのふたつ隣の上座では、まだ手付かずのスープと用意されたコーヒーが、"総統"の訪れを待ちわびている。



>>【招待者名簿 6/12】

ティオ・ロックフォーゲル(???〜???年)

享年:67歳

職業:軍人

身長:189㎝

駒名:キング(白)

役割:主導者

魔法:「絶無ぜつむかたる」


・他者のダメージを肩代わりする魔法。

・発動条件は魔力を込めた攻撃を、肩代わりしたい相手の急所(頭・心臓・首・肝臓など)に命中させること。

・この際の攻撃は苦痛を伴わないが、急所を外れた場合は相応に負傷する。

・代償は比較的小さいが、群を抜いて扱いが難しい魔法である。


 古代文明に存在していたとされる科学国家トロイピアの軍人。

 後継国で語り継がれる神話には、風の神をその身に宿した英雄と言われるが、真偽は定かではない。

 一部の地域では、神がつかわせた人々の守護者として、信仰の対象となっている。

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