第15話 理性のひとかけら
______コツ、コツ、コツ、コツ。
ロゾールが3杯目の紅茶に、茶色の角砂糖をよっつ放り込んだ時、何の前触れも無く扉が揺れた。
ひとつひとつ、確かめるようなノックは4回続き、そして
その伺いに、誰もが返事を返さない。視線は一斉にコーヒーの用意された空席に集まり、そして各々のタイミングで扉へと戻る。それはまるで、扉の向こうに立つ存在を
やがて扉が半分ほど開かれ、その隙間から
燭台に灯された
「ラントカルテ。入ります」
招かれなければ入れないと言いたげに脱いだ軍帽を胸に抱え、直立不動で入室の許可を求める彼の姿は、まるで悪魔のような怪しい佇まいだ。
しかし、四角い眼鏡のレンズ越しに見える、レトロでどこか物悲しい情緒を誘う金色の瞳は、誰にも心の奥を見せないようにと影を落としている。
「どうぞ、お入りください」
音を立てぬよう慎重に扉を閉めた男は、そんな親しみやすい仕草に安堵したのか、歩幅を大きくしてティオに歩み寄った。
「ありがとう。レゾン・ラントカルテだ。よろしく頼む」
「ティオ・ロックフォーゲル。レゾン、君にとって良い日になる事を願っている」
ふたりは真正面から向き合うと、ほんの数秒だけ互いの瞳を見つめ合い、乾いた音を立てて力強く握手を交わした。
オールバックに整え、きっちりと整髪剤で固めた銀の髪が、ティオの赤みがかった紫色の瞳をより鮮烈に輝かせ、照明の照り返しを映してコインのように煌めいたレゾンの瞳は、すっきりとした一重の目元に縁どられ、冷静で謎めいた雰囲気を醸し出している。
衣装に縫い込まれた金や銀の糸や、他の者よりも明らかに豪華な装身具が無秩序に輝き、ふたりだけが異質な眩しさに包まれていた。
(何とも大人びた風情の男達だな)
最後のひと口が胃に重たかったのか、少し息苦しい腹を落ち着かせようと甘い紅茶を味わうロゾールは、親しげに言葉を交わすふたりの姿を、視界の端で眺める程度にとどめていた。
ティオもレゾンも、見たところはせいぜい40代手前といった風貌だ。職業柄なのか、ストイックに鍛え抜かれた肉体は長身の彼らをより
(……まだ口ばしが黄色いな)
しかし、あくまで"大人びた"佇まいである若々しいふたりに、ロゾールはどこか安堵したように溜息をついた。
ふとティーカップの中の小さな水鏡を見つめ、おもむろに自身の顔に触れた。
鋭くつり上がった目の形でも、ぱっちりとした幅の広い二重が見せる印象操作のおかげで、どうしても幼く愛らしい雰囲気になってしまうことが生前からの悩みだったロゾール。
数学的な比率で支配された顔面はどこか造形的で、どうしても人形のような冷たく無機質な印象は拭えない。
"世界一の美貌と共に、我らが受けた不条理と屈辱を忘れるな"
ロゾールの整った容姿は、母の一族に伝わる二重螺旋の呪いだ。
「私は世界で一番美しい」と高らかに言い放つ彼のこの口癖も、"美しい"ゆえに悲惨な運命を強いられた一族の自虐と憤りの合言葉であった。
そんな自身の整った顔立ちに特別な不満があったわけでは無いが、黄金比から外れた"歪み"が作り出す人間らしい自然な表情は、ロゾールの密かな憧れでもある事は変わらない。
「ご無沙汰しております、ラントカルテ総統。こちらへ」
会話の終わりを見計らって席を立ち、指先を揃えた敬礼を向けるアインザックへ、レゾンは懐かしげに眉を下げて敬礼を返した。
「メルセリオか。戦後はどうしていたんだ」
「教職に戻りました。学園長の肩書の傍ら、天文学と民俗学の教鞭を振るうのは容易ではありませんでしたが」
どうやら、"長く教職を務めた"と言ったアインザックの言葉は、決して嘘ではなかったらしい。
ロゾールは静かにふたりの会話に耳を傾けていた。
「……俺が死んだ後、ミルトの面倒を見てくれたと聞いた。死ぬまで一度も欠かさず、俺の命日に花を供えて祈ってくれたことも。感謝する」
レゾンが、悲し気な笑顔を浮かべ言った。
その表情に、一瞬だけ言葉を選ぶように唇を引き結んだアインザックは、ひとつひとつの言葉を噛み締めるように口を開く。
「面倒を見て貰っていたのは俺の方です。あの子は大切な教え子であり、俺の右腕でもありましたから」
アインザックは声を落とす。
「……あなたの誕生日ならばいざ知らず、命日に桜を手に入れるのは骨が折れました。ですが、それ以外の花はあなたに似合いません。非常に難儀です」
「それはそれは。嬉しいが、なんだか申し訳ないな」
表情に影を落としたアインザックとは対照的に、レゾンはパッと表情を輝かせて笑った。
よく見れば、レゾンの纏う衣装には控えめに桜の模様が刻まれている。
あまり馴染みのない東洋情緒が漂う装飾品は、洗練された精神力を滲ませる彼の佇まいを上品に飾っていた。
ロゾールがふと周囲を見回すといつの間にか場の緊張は解け、誰もが何事も無かったかのようにのびのびとくつろいでいる。
視界の端に映っただけでやかましく存在を主張するギルバートは、みっつめのサンドウィッチにこれまでにない苦戦を強いられているカイムラルに対し、隙を見計らって果物を食べさせていた。
目の前の強敵に集中したいのであろうカイムラルは、ギルバートからの餌付けに明らかに困っている。
「あ、あの、ギルさん。林檎も葡萄もあとで…………、あっ、あぁっ! ソースが、垂れ……。ちょっ、やめてください! もうこれ以上は中から溢れて……!」
カイムラルが懸命に齧りつく反対側から、パンの隙間にソーセージを捻じ込むギルバートは楽しそうだ。
「あんまりにも美味しそうに食べてくれるから、僕のも突っ込みたくなっちゃった! アインの、大きくて美味しいでしょ? やっぱり、これくらい食べごたえが無いと満足できないよねぇ」
そんなふたりのやり取りを、アインザックは何とも言えない表情で眺めている。
どことなく落ち着かない様子の彼は、何度も何かを言いたそうに口を開いては、お喋りに夢中なギルバートを見て口を噤んでしまうのだ。
「ほら、もっとおっきくお口を開けないと全部入らないでしょ? ちょっと苦しいかもしれないけど、そのままで……。イイ子だから、我慢して」
ギルバートの勧めに従いパクリと勢い余って頬張ったは良いが、口の中をいっぱいいっぱいに圧迫するひと口に、カイムラルは涙目になりながらパッと口元を手で覆い隠した。
視界の端に映るアインザックの表情が、みるみるうちに険しいものへと変わる。
そんな様子にどうしたものかと目を離した隙に、積み重なった重たい具材が地滑りを起こすように崩れ落ちたのだ。
ロゾールがあっと言う間もなく、素早く小皿を差し出してバラバラになった具材を受け止めたギルバート。無駄の無い洗練されたその瞬発力は流石だと、ロゾールは心の中でスタンディングオベーションでもしたい気分だった。
しかし、忘れてはいけない。サンドウィッチを崩壊に導いたのは、他でもないギルバート。その人なのだ。
「全部は飲み込めなかったの? あーあ、こんなに沢山零しちゃってイケない子」
覆い隠した手の奥から、ポタポタと滴り落ちる影が見えた。
深く俯いたカイムラルの表情はロゾールには分からないが、ゆっくりと顔を動かしてギルバートを見遣ったその眼差しは、食事を邪魔された憤りが少なからず含まれているのだろう。
ひらひらと両手を振るギルバートの表情が、"ちょっとやりすぎちゃったかな……"と言いたげに強張っている。
ギルバートがおずおずと差し出した真っ白なテーブルナプキンを受け取り、カイムラルは口元から手を離す。
「______ぁ」
次の瞬間、真っ赤なソースで口の端を汚したカイムラルの姿に、ロゾールの心臓は跳ね上がった。
"ごめんねぇ"と繰り返すギルバートに対して、カイムラルは視線を揺らして"差し
憂いげな伏し目で口元を拭う彼は、毒を飲まされ血を吐いても、毅然として佇む貴公子のようだ。
ロゾールの知らない"男"の
彼にとって、カイムラルは純潔で限りない愛を抱く天使なのだ。
そんな存在が、まるで人間のような息づいた感情を覗かせることが、どうしようもなく
(私が知らないカイムラルの表情に、どうしてこんなにも心を乱されてしまうのだろう)
ざわめきだした心の声に耳を塞ぎ、黒いモヤのように重くのしかかる思考を振り落とすようにしてかぶりを振った。
これはカイムラルに押し付けた自分勝手な"幻想"であると、しっかり理解しているつもりだ。
それでも、カイムラルのそんな表情を見てしまったショックは大きかった。
ロゾールがふと視線を感じて顔を上げると、偶然にもレゾンと目が合う。
「______っ!?」
今度は鼓動がふたつ分、心臓が止まった。ほんの一瞬だけ、彼が泣いているように見えたのだ。
その証拠に、真正面からロゾールを見据えるレゾンの表情は、狡猾で強欲そうな人相が崩れる程の笑みをたたえていた。
視線だけを落とす彼の会釈になんとか曖昧な一笑を返して、床に落ちてしまったナプキンを拾うフリをして視線を逸らす。
まるで、強引に奪い取られるように興味を惹きつけられた彼の存在に、早鐘を打つロゾールの心臓はどうしてだか平常を取り戻せないままでいた。
目配せひとつで相手を支配し、時には
"彼は危険だ"と、本能が警鐘を打ち鳴らす。ガンガンと力任せに鉄板を殴りつけるようなその衝撃は、熱く
両手で顔を覆い隠し、ぎこちなく背中を丸めて俯く。
やはり、最初に抱いた"悪魔のようだ"という彼の印象は、決して間違いではなかったのだ。
裏を返せば、ほんの一瞬で自分を強く印象づけ、いとも簡単に他者を魅了してしまう存在が、ただの人間である筈が無いのだから。
「ロゾール先生、いかがなさいましたか?」
闇に呑み込まれる意識に差した一筋の光へ、手を伸ばす。
気がつけば、椅子をひっくり返して立ち上がったカイムラルが、テーブルの向こう側から血相を変えて手を差し伸ばしていた。
(あぁ……、私の天使)
差し出された手が、今にも掻き消えそうな灯火のようにゆらゆらと揺れて形を失いかけている。
針で少し刺して開けただけの穴から、景色を見ているようだった。そんな狭い視野ではカイムラルの表情も伺えないが、早く、早くと焦るロゾールをなだめるかのように、甘く微笑んでいる。
互いの指先が触れる間際、漆黒の皮手袋がカイムラルの細い手首を乱暴に掴む。
あっと呟く間もなく、
一瞬で、頭に血がのぼる。眼光を鋭く尖らせ、振り向きざまに打ち付けようと
「な、にっ……?!」
動揺して暴れるロゾールを四本の腕が手慣れた様子で椅子に押さえつけ、頭上から声が投げかけられる。
「ヴァニタス医師、突然動いては危険です」
「火傷は無いか、ロゾール」
右側からはアインザック、左側からはティオの声が聞こえた。
訳が分からずただただ沈黙するだけのロゾールと鏡合わせになるように、反対側ではレゾンとギルバートに両腕を抱え込まれたカイムラルが、唖然として瞳を揺らしていた。
「……びっくりしたぁ。角度によっては、見えづらいものなのかなぁ」
青ざめた頬に冷や汗を垂らし、ギルバートがカイムラルとロゾールを結ぶ直線上の中央から、少しだけ横にずれた一点に手を伸ばした。
四角く切り取られたロゾールの意識の外側から、突如として燭台が持ち込まれる。
ジ、ジジ……と、蝋燭の芯を焦がす微かな音と共に炎が揺れ、そしてまた一枚の絵画のように灯火が静止した。
ロゾールは、ふと自分が食卓に着いた時のテーブルの様子を思い起こす。注意散漫になっていてすっかりと忘れていたが、そういえば燭台は最初からそこにあった物だ。
あの時は、差し伸べられたカイムラルの手と顔にばかり意識が集中して、信じられない程に視野が狭くなっていた自覚がある。
「盲、点……?」
掠れた声で、カイムラルが呟いた。その途端、一連の事態の危険性を察したのか、彼は恐怖に染まった表情のまま、しきりに「ありがとう、ございます」と繰り返している。
その様子に起こり得た最悪の事態を想像して、ロゾールは小さく悲鳴を漏らした。
「す、すまない。感謝する」
先程とは打って変わり、脳の髄までが冷えたロゾールの言葉に安堵したのだろう。すぐさま強く拘束する腕が解かれ、あちこちからホッと一息をつく音がぽつりぽつりと聞こえていた。
(あれ、何かがおかしいな……)
まただ。喉の奥に、魚の小骨が引っ掛かるような違和感だ。
ハンカチを口元に
何が納得できないのか、もっとどんな説明が欲しいのか。
肝心なそれが分からず考え込んだロゾールは、穏やかさの戻った食堂の雰囲気を意識の遠くから傍観するような感覚に身を浸していた。
>>【招待者名簿 7/12】
レゾン・ラントカルテ(1898~1937年)
享年:39歳
職業:軍人・政治家
身長:187㎝
駒名:キング(黒)
役割:主導者
魔法:「ガルデンの名題役者」
・見聞きした情報を模倣する魔法
・具体的な例を挙げれば、他者が扱った魔法の模倣も可能である。
・再現度は、情報に対する理解度とイメージの鮮明さに依存している。
・代償は非常に大きいうえに、術者個人の能力に依存した扱いの難しい魔法である。
旧キルシュライ連邦の元総統であり、現在においても人類史上最悪の独裁者として知られる人物。
世界大戦時、巧みな情報操作で大衆を
だが不自然な事に、彼の出生や生い立ちについての情報が殆ど失われてしまっている為、いまだに素性の解明が遅れている。
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