第11話  バタフライエフェクト

 「それにしても、すさまじい平手打ちだったね! あの瞬発力しゅんぱつりょくといい、命中力といい、軍人僕らも顔負けさ」

 ピクリと、アインザックの肩が揺れた。

 鼻歌まじりに軽快けいかいなステップを踏みながら数歩先を進むギルバートは、回れ右をして立ち止まったアインザックへと向き直る。

 呆然ぼうぜんと靴のつま先を眺める彼の様子に、ギルバートはクツクツと喉の奥を鳴らすような笑い声を転がしながら、見せつけるように大袈裟おおげさに肩をすくめた。

 「アインのあんなに驚いた顔、初めて見たかもしれないなぁ。いや、やっぱりそうでもないかも? 僕らが出会った日と、アインが僕を殺した時。どっちが一番かと言われたら…………うーん、迷うなぁ」

 その言葉にアインザックはさらに視線を下げ、憂いげにまぶたを落とした。

 アインザックが命の終わりまで悔やみ続けたギルバートの最期を、当の本人は嬉々として語るではないか。

 倫理観が欠如しているとまでは言わないが、ギルバートは自分の命に対する頓着があまりない。その心意気を少し誇張して表現するならば、"今回はどんな風に死ぬんだろう?"といったものだ。

  アインザックにとっては、たった一度限りの人生。ギルバートにとっては、数ある人生のうちのひとつ。

 そんな絶妙に噛み合わない考え方のズレが、"人間アインザック"と"ギルバート"を決定的に隔てる大きな壁だと常々感じていた。


 「僕がいなくなった後、アインはどうしてたの?」

 なんて無垢で、曇りの無い瞳だろうか。

 まるで、足を運んだことのない異国の景色を尋ねるかのように、寝しなにおとぎ話の読み聞かせをねだる子供のように澄んだ眼差しだった。

 「とある負傷が原因で、あれから間もなく退役して母国に戻った。その後は家庭教師として、細々と……」

 「それってさ、たぶん僕がつけた傷だよね? あの深さだったら、右腕、使えなくなっちゃったんじゃない?」

 ギルバートの勘の鋭さには敵わないようだ。アインザックはやれやれと肩を落としながら、渋々ながら口を開く。

 「あぁ、痺れが酷くてペンすら扱えなくなった。生涯にわたって治療を続けたが、結果として回復はしなかったな」

 その言葉に、ギルバートはアインザックの腕にそっと触れた。

 「この体には無い。見ての通り、腕は不自由なく動く」

 アインザックはギルバートの小脇に腕を差し入れ、そのたおやかな体を軽々と持ち上げて見せた。

 黄色い声をあげて喜ぶギルバートを抱え上げたまま、父親が幼い子供にするようにその場でグルグルと回る。歓声はより高くなり、アインザックは目が回って足元がおぼつかなくなるまで、精一杯その期待に応え続けた。

 「ねぇ、結婚は?」

 ギルバートはアインザックの逞しい首に腕を回し、いつになく神妙な面持ちで尋ねた。

 「生涯、独り身だった」

 「ホントに?」

 「神に誓って」

 ギルバートは真偽を探るようにアインザックの薄紅色の瞳を覗き込み、そして暫くしてから身を離した。

 「そう。ちょっと意外……」

 綺麗な緑色の髪を指に絡めて弄びながら、ソワソワと落ち着きなく肩を揺らしている。


 「話は戻るけどさ? まぁでも、普通は当たるわけないって思うよね。夜目よめかない、素人しろうとの攻撃なんてさ」

 ギルバートのひと言が耳に痛かった。

 エントランスホールの大扉の前で泣き崩れるロゾールを、ただの民間人だと甘く見ていた自分をいましめるように、アインザックは唇を強く噛み締めている。

 ぷつりと薄い皮膚が破け、鮮血せんけつにじんだ。

 「そんなに落ち込むことはないじゃなか。心強い、チームメイトなんだから」

 アインザックの胸に手をえ、今にも滴り落ちそうな血を舌先で器用にめ取ったギルバートは、恍惚こうこつに表情をゆがませる。

 「ねぇ、早く始めようよ。"運命ごっこ"」

 「ゲームはすでに、始まっている」

 「違うよっ! 僕は、もっと激しいのがシたいんだ!!」

 じれったいと言いたげに腰を揺らし、頬をふくらませたギルバートは、おもむろにアインザックの軍服のボタンを外し、無防備な腹部をひんやりとした外気にさらした。


 「……こっちの方は腫れが引かないね。酷い鬱血だ。アレが飾り剣じゃなかったら、胴体を真っ二つにされていたんじゃない?」

 アインザックの腰骨と肋骨の間に、青紫色のインクをぶちまけたようなあざがあった。真っ白な肌に浮かび上がる痣の輪郭を指先でなぞりながら、ギルバートは無邪気に言った。

 「どうする? ゲームに支障が出そうなら、一回方が楽じゃない?」

 狂気すら感じる物言いに溜息ためいきをつき、アインザックは重い口を開く。

 「露骨ろこつな表現はやめろ。ひんがない」

 「えぇっと、じゃぁ……"食べてあげる"」

 「…………及第点きゅうだいてんだな」

 相変わらず手厳てきびしいと嘆くギルバートを放って、アインザックは考え込む素振りを見せた。

 「ねぇ、気になるの? が」

 アインザックの無言は、肯定こうていを意味する。

 「ずっと、さがしていたもんね。もしかして……一目惚れ?」

 「……まさか。だたの憧れだ」

 「んふふっ……。そっかぁ」

 小さな子供のように手を繋ぎ、なかば強引にあゆみを進めるギルバートに連れられ、アインザックはなまりのように重く動かない足を持ち上げた。



 寝耳に水を流し入れられたような冷たい鐘の音で目が覚めたアインザックは、突如とつじょとして隣の部屋から聞こえて来た尋常じんじょうではない物音と悲鳴に、着替えの手を止めて部屋を出た。

 窓の無い廊下は深い闇に閉ざされており、腕を伸ばした程度の距離ですら、物の輪郭りんかくつかむことすら困難だった。

 ある程度の訓練を受けているとはいえ、光ひとつ差さない深海のような暗闇を進むのは容易よういではない。

 それでも見ず知らずの隣人りんじんは、ささやくように誰かを呼びながら、やみくもにどこかを目指して進んでいる。

 (錯乱さくらんしているのだろうか。でもこれは……もう正気ではないな)

 物音だけを頼りに遅れて大階段へと辿たどり着いたアインザックは、重厚じゅうこうな大扉をしたたかに蹴りつける紳士の背後へ、気配を殺し、呼吸を忘れ、騒音に足音を隠して慎重しんちょうに近づいた。

 この状態では、声をかければより状況が悪化するだけだ。立ち振る舞いを見たところ、同職軍人ではないだろう。

 (障害物が多い。舌を噛ませないように、迅速じんそくに無力化を……)

 泣き崩れ、少し大人しくなったロゾールの両腕を抱え上げるように強く引き、扉から遠ざける。

 ロゾールのすぐ傍には、人の背丈をゆうに超える像が、剣を握り締めているようだった。

 切っ先を下に向けた剣は、どうやら像の指に引っ掛けるようにして飾られているようで、星明りを反射する輝き方からみて恐らく本物なのだろう。


 腕を振り回すだけの幼稚な抵抗と、男にしては細く儚い体躯たいくに、油断しきっていたのだろう。それよりも、目視できない凶器の存在に、すっかりと気を取られてしまっていた。

 「たすけて、エイン」

 祈るような彼の言葉を、気にも留めなかった。

 『とんだ不届き者だ。一発かましてやる』

 刹那、別の男の声が聞こえた気がした。その驚愕きょうがくが、彼にとって有意義な一瞬の隙を与えてしまったのだ。

 左耳の鼓膜が破裂したかのような衝撃に、咄嗟とっさに大きく身を引いて、無意識のうちに銃を抜いてしまっていた。

 発砲するつもりは無かった。殺し殺される時代に人生を溶かした軍人にとって、それはいわば反射行動の一種なのだ。


 次の瞬間、誰かに身体を抱きしめられているような感覚と温度に身を強張らせた。

 まるで訳がわからない。

 「アイン。僕だよ、ギルバートだよ」

 耳元で、よく知った声が聞こえる。それは忘れるはずもない、ギルバートの声だった。

 「ごめん。ちょっと遅かったね」

 落ちた首を拾い抱えるように抱き着いて来たギルバートの背をさすり、状況を理解できないアインザックは、肝臓あたりの鈍い違和感に顔をしかめていた。


 ギルバートの話によると、瞬きひとつの間に背後から肉薄にくはくしてきた金髪の青年____もといカイムラルに、右の脇腹を殴打おうだされて昏倒こんとうしてしまったらしい。

 ギルバートとカイムラルは、ロゾールが扉を蹴り飛ばす騒音に驚いて、アインザックよりもさらに遅れて、ふたりで大階段の踊り場に降りてきていたのだという。

 アインザックが銃に手を掛けた瞬間、温厚で気弱そうな青年の態度は一変し、壁に飾られた宝剣を握り、背後からアインザックに襲いかかったのだ。

 焦ったギルバートの発砲音も、殴り飛ばされ床を転がった音も、タイミングを見計らったように倒れた像によって、全ての音が掻き消されてしまった。

 気を失ったアインザックを抱えて階段をのぼったギルバートは、エントランスホールに居るふたりからは死角になる場所で身をひそめていたようだ。

 さいわいな事なのか、ロゾールは一連の出来事はおろか、アインザックとギルバートの存在に微塵みじんも気づいていないようだった。


 「先程は突然お声かけもせずに触れてしまい、申し訳ございませんでした。さぞ、驚かれたことでしょう……」

 どういうつもりなのか、カイムラルは嘘を塗り固めてゆく。アインザックの目には、まるで何かの意図を持って、ロゾールの行動を制限しよとしているように見えた。

「ねぇ、アイン。一回部屋に戻って着替えよう? 傷、痛いよね。部屋まで送らせてよ」

 「……大丈夫だ。歩行には問題ない」

 ギルバートの善意を断り、アインザックはゆっくりと立ち上がると、壁伝いに来た道を戻り始めた。

 アインザックは生まれつき、痛みをほとんど感じない体質だった。だからなおさら、腹に追った傷がどれほどの痛手なのか理解できないのだ。

 「…………アイン」

 戸惑い揺れるギルバートの声には振り返らず、暗澹あんたんに身を溶かす。

 これまでの出来事を思い返して、ひとつ、どうしても引っ掛かる部分があった。

 その疑問を早めに払拭ふっしょくする為にも、今はひとりにして欲しかった。

 「また、エントランスホールで。待ってるね」

 もしかしたらこれは、都合の良い幻聴げんちょうだったのかもしれない。

 振り返ってもそこにギルバートの姿は無いと、幼馴染おささなじみのアインザックが一番よく知っているのだから。



 「アルカ人の運動能力は格が違うね。狼? はやぶさ? とにかく、ができる動きじゃないよ」

 自分の手を引き、ダイニングルームへ続く廊下を進むギルバートは、ぽつりとそんな言葉を漏らした。

 アルカ人。"魔術の根絶"を願うキルシュライ連邦にとって、最も恐れ憎むべき、悪しき"魔女"の末裔まつえいたちだ。

 「やはり、彼は"魔女"だったのか」

 胸の内から沸き零れるような憎悪に身を震わせ、アインザックはその言葉でさえも忌まわしいと言いたげに声を噛み殺した。

 相変わらず、アインザックの表情は鉄仮面のようにピクリとも動かないが、彼が"魔女"に対して何らかの私怨しえんがあるのは明白だ。

 (今になって手を尽くしても、"歴史"は変わらないかもしれない。それでも俺は、真実が知りたい)

 隣では、ギルバートがご機嫌に歌を歌っている。どこかの民話が元になっているのだろうか。ハイテンポで情熱的なフレーズから、"蜘蛛の女王"、"天使"、"お母様"といった言葉が聞き取れる。

 荒波を寄せる心を落ち着かせようと、無心でその歌に耳を傾ける。その物語は、アインザックもよく知る、リーズエクラ共和国の民話のようだった。


 食堂の前で立ち止まり、ギルバートはそこで歌うのを辞めた。

 扉に手を掛け、くるりとこちらに向き直ったギルバートは、銀の銃口をアインザックの眉間に突きつけたのだ。

 「それで、どうする? 僕が、"食べてあげる"」

 ギルバートは誘惑するように瞳を潤ませ、真っ赤な舌で唇を湿らすように舌なめずりをしている。

 アインザックはその誘いを拒むように左手で銃口をらし、食堂の扉を押し開けた。

 「"お預け"ってこと?」

 渾身の誘惑を冷たくいなされたギルバートは、床に寝転がり全身全霊で不服ふふくを訴えかけた。大の字に投げ出した手足をばたつかせて、ひっくり返ったせみのようにその場をグルグルと回っている。

 「ギル!! もう30半ばの男がみっともないぞ!!」

 おもちゃを買って貰えなかった子供のように駄々をねるギルバートを見かねて、アインザックが鋭い口調で態度をたしなめる。

 「違うもん! 僕はもう40歳手前の紳士だもん!!」

 「ならば、幼いのはその声と顔立ちだけにして、せめて立ち振る舞いだけでも……」「お腹空いたぁ! ねぇ、僕らも早くご飯を食べようよ!」

 アインザックのお説教など聞いていない様子のギルバートに、もう呆れるしかできなかった。

 「にわとりは、調理してから持って来て欲しいものだな」

 食堂にて先に食事を進めていた青髪の男が、こちらには一瞥いちべつもくれずに皮肉を垂れ流した。

 ギルバートがその男の顔を見るなり、パッと表情を輝かせてその背に抱き着こうと両腕を拡げた。しかし、会話すらない場の空気を読んだのか、しおらしく謝罪したギルバートは大人しく席について食事を始めている。

 アインザックも席に着き、曇りひとつ無い銀食器に手を掛けた。

 

 食堂の空きはあと3席。

 白と黒のビショップと、黒のキングだけだった。

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