第9話  リヴァイアサンの肖像

 「失礼。生前は長く教職を務めましたので、職業柄"問い"には敏感なのです」

 ロゾールの背後に隠れるカイムラルをじっと見つめたまま、男はにこりともせずに淡々と申し開きを述べた。

 「教師、か。その佇まいや服装を見る限りでは、とてもそうだとは思えないな」

 間髪入れぬロゾールの指摘には答えず、足音無くふたりに近寄ってくる白い男の前に、これまで頑なに動こうとしなかったカイムラルが、男への警戒心を剥き出しにして立ちはだかった。

 腕を伸ばせば届く距離で立ち止まった男は、ゆっくりと視線だけを落としてカイムラルと目を合わせる。

 対するカイムラルは眼光を鋭く尖らせ、持ち上げるようにゆっくりと左腕を拡げる様子は、静かな鳥の威嚇いかくのようだ。

 男のアーモンドのように美しく整った切れ長の目元は、睨みつけるような視線の強さとは違い、岸辺から遠く離れた場所にまで届く、灯台の光のような力強い眼差しがとても印象的だった。

 シャンデリアの明かりを反射する、床石の色が眩しいのだろう。彼は小脇に抱えていた軍帽で光を遮り、眉根を寄せて目を細める。

 その表情は寡黙かもくで冷静な振舞いと相まって、深い海の底から虎視こし眈々たんたんと獲物を見据える、悍ましい海獣かいじゅうのようだ。

 皮膚の薄いほほひたいの細かい血管が、うっすらとけて見えている。強い光を避けようとする仕草が、彼に対する深海魚のようなイメージを強めているのかもしれない。

 (生まれつきの色素欠乏症か。医師からきちんとした説明と、適切な生活指導があったのだろう)

 ロゾールは心中しんちゅうで、男の主治医であったであろう見ず知らずの医師に称賛しょうさんを送った。

 ロゾールの生きた時代では、こういった子供たちを不吉がった親が生まれてすぐに殺してしまう場合が多く、症状に理解のある医師はほとんどいなかったからだ。


 「もしかして……ヴァニタス医師、ですか?」

 唐突に向けられたその言葉に驚き、慌てて考え事を頭のすみに追いやると、立ちはだかるカイムラルの肩越しに、あわべに色の瞳と真正面から目が合った。

 記憶をあさっても、いまいち男の面影と重なる人物が思い当たらない。

 ロゾールの患者だったのだろうか?それとも、教会につかえる神父や、その関係者だったのだろうか。

 「あぁ、ロゾール・ヴァニタスだ。申し訳ない。貴方あなたのお名前を伺ってもよろしいだろうか」

 申し訳なさそうに肩をすくめながら、ロゾールは率直に男の名前をたずねた。思い出せない事への罪悪感を隠しきれず、語尾にかけて段々と声が小さくか弱いものになっている。

 「メルセリオです。お世話になったのは幼い頃でしたので、気づかないのも当然かと」

 「メルセリオさん……。えぇと、たしか……」

  固く目をつむり、深くしわの寄った眉間みけんに右手の親指と人差し指を押し当てて、必死に記憶を辿たどるロゾール。

 ロゾールが知りたかったのは苗字ではなく、名前の方だったのだが……。そんなことは言えずに、断片的な情報の糸をり合わせる。

 (これは、キルシュライ人の特徴だな。隣国りんごくの患者? あぁ、まだカイムラルも幼い頃だったような……)

 もう少し。あともう少しで、彼の名前が思い出せそうだった。

 そんなロゾールに向けて男は淡く微笑むと、内緒話をするかのように声を落として、こうささいた。

 「それにしても……はあなたに似て、とても聡明そうめいでいらっしゃるようだ」

 「………………息子?」

 ロゾールは目を見開く。一瞬で頭の芯から血の気が引き、彼が何を言ったのか理解するまでに数秒をようしたと思う。

 「それは、な……」「ごきげんよう。アインザック・メルセリオさんですね。その後はお元気そうで、何より」

 あせって早口になったロゾールの言葉をさえぎり、カイムラルがわざとらしく声をあげた。

 パッと口元を手で押さえてそっぽを向くロゾールは、酷く狼狽ろうばいしている。

 その言葉の先をしつこく追及ついきゅうするようなアインザックの視線をさまたげて、カイムラルは続けた。

 「ヴァニタス医師の元で勉強をしております、メイトです。キルシュライ帝国の、通訳士の息子さんでしたね? インジェント王国に移住されたあとは、いかがお過ごしでしたか?」

「キルシュライ? ……あぁ、世界大戦での敗北をきっかけに、"キルシュライ連邦"と名を改めたのです。たしか、1915年頃だったかと思いますが、懐かしいですね」

 「……それは失礼いたしました。俺は、その時代を知らないのです」

 "これ以上、詮索せんさくするな"と言いたげに会話を進めるカイムラルは、本心と切り離した不自然な笑顔を貼り付けている。

 「失礼。簡単に折れてしまいそうな体躯たいくに、少女のような面立おもだちで……てっきり、声変わりしてまだ間もないのかと。…………覚えでは、はロゾール医師の息子さんにとても良く似ておられましたので」

 場が、膠着こうちゃくする。

 ロゾールからはカイムラルの表情はうかがえないが、ふたりはお互いの腹を探り合うように、溜息ためいきのひとつにいたるまで気を張っているのだろう。

 (キルシュライ帝国は、アルカ人差別が根強い国だったな)

 険悪けんあくとはまた別物の緊迫した空気感に動じること無く、ロゾールはぼんやりとそんな事を考えていた。

 いいや、この状況を打破だはできるひと言が思い浮かばず、途方とほうれていたと言った方が正しいのかもしれない。


 「アイン!!」

 突如とつじょ、アインザックの身体が大きく前のめりにかたむいた。

 咄嗟とっさ右脚みぎあしを踏み出して体勢たいせいを整えるが、胴体どうたいにがっちりと巻き付いた誰かの腕が、アインザックの身体を前後左右に激しく揺さぶり、これではもう腹の探り合いどころではない。

 彼の広い背中の後ろから、深い森のような緑色がぴょこぴょこと跳ねて、"こちらを見てくれ"と言わんばかりにやかましく存在を主張している。

 「あははっ! 僕だよ、ギルバートだよっ! えへへっ、こんな所で会えるなんて、僕はなんてラッキーなんだろう!」

 腰から上をぎこちなくひねってギルバートへと振り返ったアインザックは、雰囲気だけ困ったように眉を下げている。

 「ギル、お前……」

 表情こそ変わらないものの、アインザックの声音があからさまに優しいものになった。頬に伸ばされたアインザックの大きなてのひらに柔らかい頬を押し付けるギルバートは、よくなついた飼い猫のように目を細めている。

 たわむれるふたりの様子に気を取られていたその時、今度はロゾールの身体からだが後方に大きく傾いた。

 「ごきげんよう」

 一瞬のすきを見逃さなかったカイムラルはロゾールの腕を引き、そのひと言を残してギルバートとアインザックのわきをすり抜ける。

 足早に階段を上り、闇に閉ざされた廊下の手前でなんとなく振り返ったロゾールは息を呑んだ。

 階下かいかからこちらを見上げるアインザックとギルバートの双眸そうぼうが、「今回は逃がしてあげましょう」と言いたげに獰猛どうもうな光を放っている。

 そのおぞましさにふらついたロゾールは、壁に飾られた額縁がくぶちはし袖口そでぐちを引っ掛けたまま廊下を進んでしまう。

 「______あっ」

 小気味いい音と共に細い繊維せんいが千切れ、ひじのあたりまで大きく布が裂けた。

 ほこりを被った額縁がくぶちが、耳障みみざわりな音をたてて壁紙を削りながら傾く。

 爬虫類はちゅうるいの革を張ったキャンバスには、き出しの岩肌いわはだのような波間なみまから巨体きょたいのぞかせる、聖典せいてんしるされた海の怪物リヴァイアサンが描かれている。

 ロゾールは恐る恐る、階下かいかを見下ろした。

 アインザックとギルバートは、まるで幻だったかのように姿を消していた。



>>【招待者名簿 4/12】

アインザック・メルセリオ(1886~1965年)

享年:79歳

職業:教師・天文学者

身長:181㎝

駒名:クイーン(黒)

役割:前衛ぜんえい

魔法:「アルターエゴ」


・他者の血液から、様々なモノを生み出し操る

・術者自身が傷つけた相手の血液でのみ魔法を扱える。

・代償は比較的大きい。


 世界初のフリースクール「アルビレオ」の創立者。主な出資者である旧キルシュライ連邦の元総統、レゾン・ラントカルテと親密な関係性にあったと言われており、戦時中に差別的で強硬きょうこうな姿勢を示した"バオム政権"は、アインザックの傀儡かいらいだとする見方がある。


 しかしとある資料から、アインザックはインジェント王国の特殊部隊「ミセリコルデ」の隊員であったことが分かった。

 人類史上最悪の世界大戦の真実は、いまだ闇の中である。

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