第8話  エントランスホール

 しみなくマッチをり、みるみるうちに闇を切りひらいてゆくカイムラルの後ろ姿を眺めながら、ロゾールは徐々に明るみのもとへさらされる内装のきらびやかさに、呼吸をつなぐ事すら躊躇ためらっていた。

 豪華ごうか絢爛けんらんなどという、使い古されたありきたりな表現ではどうにも物足りない。

 先程まで「のゲームに服装規定ドレスコードなど大袈裟おおげさだ」とつぶやいていたことも忘れ、お菓子の家に迷い込んだ幼い子供のように、きらきらと瞳を輝かせている。

 ロゾールが真っ先に目を奪われたのは、空のように高い天井の、巨大なシャンデリアだった。

 シャンデリアの吊るされた天井の中心から四方しほうに向かって、空色から紺碧こんぺきのグラデーションがかかり、所々に遠近感をつけてきらきらと輝く飾りがほどこされている。

 しかし、目をらしてよく見れば、天井板の色合いは塗装とそうではなく、1枚の巨大な布を、爪の先ほどの誤差もなく張っているようだ。縦糸たていとに使われている銀糸ぎんしがシャンデリアの明かりを反射して、無秩序むちつじょ一閃いっせんを流す仕様しようは、星の雨を表現しているのかもしれない。

 ホールの中央まで進みシャンデリアを真下から見上げれば、星のまたたく満月の夜空を見ているようで、カイムラルが見ていなければ、ロゾールは思わず床に寝そべってこの天井をいつまでも眺めていただろう。


 「なんて素晴らしい眺めなのでしょう……。上手く言えませんが、富や権力を象徴する贅沢ぜいたくさとは違い神聖で、本当にここが"死後の世界"なのだと改めて実感するようです」

 「カイムラル、うまいことを言うじゃないか」

 灰が落ちないように燃え殻を慎重しんちょうに灰皿へ運ぶと、カイムラルは少し表情を強張こわばらせながらえりただした。

 みょうなカイムラルの言葉にクスリと笑みをこぼしながら、ロゾールも彼にならって乱れた髪をい直そうと、髪留かみどめのリボンをほどいた。

 ふたりがいる場所は、どうやらこの建物のエントランスホールのようだ。先ほどロゾールが駆け下りてきた大階段には、天井と同じ色のカーペットが掛けられ、踊り場には背もたれに時計が埋め込まれた椅子が置かれている。

 踊り場から左右に伸びる階段の先には長い廊下が続き、そのどこかにロゾールが目を覚ましたあの部屋と棺があるのだろう。

 いまだ深い闇に閉ざされた先の光景に、ロゾールの期待は高まるばかり。

 骨ばった長い指をくしの代わりにして、頭の後ろの低い位置でひとつに髪型を整えると、ロゾールはゆっくりと周囲を見回した。


 チェッカー柄にはめ込まれた透明感のあるの床石ゆかいしは、天井の景色を反射しており、穏やかな湖面こめんに映った夜空の上を渡り歩いている気分だ。

 のぞき込んだ床石に映る鏡像の自分と目を合わせながら、一歩、一歩を確かめるように進む。このうちのどこかは本当に水面で、気を付けなければ深いみずうみの底へ引き込まれて、おぼれ沈んでしまうのではないだろうか。

 普段のロゾールであれば"おとぎ話じゃあるまいし"と吐き捨てられる空想でさえも、幻想的げんそうてき不可思議ふかしぎなこの世界を目の当たりに今では、妙に現実味をびて見えるから余計に恐ろしい。


 恐る恐る進んだ先で、ロゾールの等身大とうしんだいとほぼ変わらない、漆黒しっこくの像が倒れていた。

 なるほど。ロゾールが渾身こんしんの体当たりを食らわせた謎の物体は、十字架を握り祈る、聖職者をしたこの像で間違いないだろう。

 像の右肩が、大きく損傷そんしょうしている。

 触れてみても、それが石でできているのか、はたまた金属でできているのか、ロゾールにはさっぱり分からなかった。

 これでは、自身での修繕しゅうぜんは難しいだろう。せめてものつぐないの気持ちで像を起こそうと手をかけたが、思いのほか痛んだ肩の傷にあきらめの念が勝ってしまったようだ。

 像は、ロゾールがすったくらいではびくともしなかった。

 この様子では、カイムラルの手を借りたとしても、床からわずかに持ち上げることすら難しいかもしれない。

 「……すまない。後で必ず、"貴方あなた"を引き起こすと約束しましょう」

 床に片膝をつき、十字を握る像の手に両手を重ねてささやきかける。

 仰向あおむけに倒れ込み、悲しげな表情をたたえる姿は、まるで数分前まで生きていた人間を見ているかのようだった。背格好や佇まいが、どことなくロゾールに似ている。

 (まるで、私の亡骸なきがらを見ているようだ)

 そんなうす気味悪きみわるい想像を振り払って顔上げると、左右には同じような漆黒の像が横一列に並んでおり、それに対面するように、月白げっぱくの像が静かにこちらを見据みすえている。


 大きな宝冠ほうかんを被った王の隣には、地図を持つ者が王をうやましたうように並び立ち、その隣にこの聖職者はたたずんでいたらしい。

 その後は、顔の前で剣をかかげげ持つ騎士、とりでのような台座の上で王の御旗みはたを振り上げる者と続き、たてを構えた兵士が、王の号令ごうれいを待っているようだった。

 (これはもしや、ホール全体をチェスばんに見立てたものなのか?)

 チェスは、生前のロゾールが数ある盤上ばんじょうゲームの中で、最も愛した遊びだった。

 足早にホールを横断し、月白げっぱくの像をまじまじと見つめる。

 よく観察すれば、同じ役割のこまでも、服装や振る舞いに大きな差があるようで、それぞれの性格が想像できそうだ。

 ふと、目が合ったように感じた王の像をあおぎ見る。唇を固く引き結んだ彼の目はうつろで、どうにも覇気はきが感じられない。しかし、深い傷の刻まれた防具をまとい、肩でめたマントのような布や衣服の端々はしばしに、り切れたような質感しつかんが見られた。

 生涯しょうがい大半たいはんを、いくさと共に過ごした王だったのかもしれない。

 軽く右脚みぎあしを引き、マントをひるがえして背後を隠そうとしているその姿に、ロゾールは言い知れぬ既視感きしかんを覚えた。


 「……何の為に、彼は戦うのでしょうか?」

 ロゾールのななめ後ろから、カイムラルがぽつりとこぼした問いが聞こえた。

 「その問いについて、少年、君はどう考えますか?」

 背後から返ってきた聞き慣れない男の声に驚き、肩を跳ね上げて言葉を失うカイムラルは、思わずロゾールの背の陰に身を隠す。

 そんなカイムラルの様子を横目に見ながら振り返ったロゾールは、まるで幽霊ゆうれいのように気配無くたたずむ男の姿に目を白黒させた。

 男は、白かった。これは比喩ひゆでも、目の錯覚さっかくでもない。

 色素を失ったような髪や肌に、淡く血の色が透けている瞳の男は、固く重そうな詰襟つめえりの軍服を、まるで自分の身体の一部であるかのように着こなしていた。

 光の当たり方によっては濃紺のうこんにも見える布地の光沢は控えめで、階段を背にして立つ男の服がカーペットの色と同化して、頭だけが宙に浮いて見えたのだ。

 驚きのあまり声を失うふたりの様子に構うことなく、男は無言のまま右手でカイムラルをしめして解答をうながしている。

 カイムラルはふと王の像を仰ぎ見ると、自分の意見に自身が無い学生のように、まとまらず途切れ途切れな考えを述べた。

 「……彼は、何かを守ろうとしているのではないでしょうか? 例えばそれは文化や、信仰とか……。目に見えず、触れられず、形としてのこされない、そういったものではないかと……俺は考えます」

 冷や水を打ったような沈黙が広がる。

 よっぽどこの重苦しい空気感ががたいのか、カイムラルは今にも倒れてしまいそうなほどに顔を真っ青にしていた。

 「…………なるほど」

 男は、短くうなる。

 「思いもしない意見でした。素晴らしい。新しい見方みかたをありがとう」

 それまで、ピクリとも動かなかった表情を雰囲気だけゆるめて、カイムラルに素直な称賛しょうさんを送る男は、瞳の奥に静かな確信をともしていた。

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