第7話  クライシス・コール

 「……まったく、実に不愉快だ」

 ギルバートが取り込まれた暗澹あんたんの先をするどにらみつけながら、ロゾールはご機嫌斜めに何度も腕を組みなおす。

 落ち着きなく靴の先で床を鳴らす懐かしいシルエットに、カイムラルは困ったように笑った。

 「とても個性的な感性をお持ちの方でしたね……。最初はつい身構えてしまいましたが、気さくな方で安心しました」

 そんなロゾールの機嫌を取り持ちながら、カイムラルは自由奔放なギルバートをかばう言葉を選んだ。

 見ず知らずの人に好意的な態度を示すカイムラルに、ロゾールは魚の小骨が喉に引っ掛かったような違和感を覚えた。

 カイムラルは人当たりは良いが、酷く人見知りだったはず。それなのに……。

 「引っ込み思案な君が、珍しい事を言うね。何か、心境の変化でもあったのかい?」

 ロゾールの問いに彼は何を思ったのか、おもむろに自身の輝かしい髪に指先を絡めてもてあそびながら、声を落として呟いた。

 「俺はアルカ人なのに、彼は差別することなく接してくれましたから……」

 その言葉に、ロゾールは小さく肩を揺らす。

 「ロゾール先生の他に、優しくしてくれる人がいるんだと思ったら……嬉しくて、気が緩んでしまったようです」

 ぽつり、ぽつりと降り始めたカイムラルの魂の声が、ロゾールの身と心に染み渡る。

 その悲痛なクライシス・コールを静かにんだロゾールは、カイムラルの感情をすくげる言葉を探した。


 金髪が最大の特徴と言われる"アルカ人"の歴史は、思わず目を背けたくなるような迫害はくがいの事実を無しには語れない。

 他の人種を遥かにしのぐ、たぐいまれなる身体能力と生命力の強さから、彼らはいつの時代も理不尽りふじんな差別に苦しみ、時には全てを奪われた過去もある。

 その中でも、純血じゅんけつの保たれた緑の瞳を持つ人々は、特にその能力が高い。

 そうは言っても、その身体能力がどれほどのものなのか、そう簡単に想像はできないだろう。

 つい先程の出来事から言えば、星々の頼りない淡い光だけでは、ロゾールの眼には一寸先すら闇に包まれて見えていた。それに引き換え、カイムラルは周囲の障害物を目視もくしで確認できるうえに、ロゾールの頬を転がった涙の粒も数えることができるほどだ。

 いつの時代も、どの国でも、最初のうちは誰もがそんな彼らを歓迎した。

 しかし、次第にその人並み外れた能力をおそれ、温厚で争いを好まない彼らの性格を逆手に取り、法律や権力を振りかざして存在を締め付けたのが、陰惨いんさんな迫害の始まりだった。


 終わりの見えない差別の日々に、彼らはすっかりと和解わかいを諦めてしまい、穏やかで勤勉きんべんな民族性は、段々と卑屈ひくつで秘密主義な性格へと変化していった。

 独自に編み出した交流網こうりゅうもうの中に閉じこもり、他民族に対して攻撃的になったことで、ますます関係のみぞは深まるばかり。

 そんな時代に生まれたカイムラルは、アルカ人を狙った卑劣ひれつなテロリズムで愛する両親をうしない、ひとりぼっちで暴力に耐えしのぶ幼少期を過ごしたようだ。

 "俺はアルカ人だから、傷つくのは当たり前。そのことを、不幸に思うなんて間違っている"と言いたげなカイムラルの言動に、ロゾールは日頃からその考えを改めるように言葉をかけ続けていたつもりだったのだが……。


 ロゾールの形の良い唇から、苛立ちを隠さない舌打ちが漏れた。

 ギルバートの比ではない不機嫌さを全身から垂れ流すロゾールの怒気に気づき、カイムラルはハッとして口をつぐむ。しかし、吐き出した言葉はもう、胸の内には戻らない。

 己の失言しつげんにたじろいで、フラフラと後ずさるカイムラルを、ロゾールの冷ややかな視線が追いかけた。

 整いすぎた美貌びぼうは、黙っているだけでも相手を魅了みりょうしてしまうものだ。ならば、張り裂けるようなエネルギーを持った感情的な表情は、いとも簡単に相手の心を切り裂いてしまえる凶器と言えるのではないだろうか。

 真っ赤な双眸そうぼうがギラリとあやしい輝きを放ち、カイムラルの心を絡めとらえようと意図いとを張り巡らせてゆく様は、正に獲物を噛み潰してかてにする蜘蛛のようだった。

 「ご、ごめんなさい……」

 どうしたらいいか分からぬまま、涙声のカイムラルが咄嗟とっさに口にしたのは謝罪の言葉だった。

 しかし、怒り心頭のロゾールにはその言葉も届かないのか、眼光は鋭くなるばかり。

 言葉を探して必死に吐息を漏らしていたカイムラルだったが、ロゾールの音の無い叱責しっせきに耐えきれず、次第に声を失っていった。


 カイムラルが息を殺し始めてしばらく経った頃、ロゾールはそのいかめしい表情とは裏腹に、誰もが寝静まる真夜中のような声で言った。

 「二度とそんな愚かな言葉を口にしないと、今ここで私に誓いなさい」

 謝罪も弁明もいらない。ロゾールが求めるのは、そのひと言だけだった。

 その意図をんだカイムラルは、恐る恐る両手を胸に当て、そっとまぶたを伏せると、星の瞬きにすら掻き消されてしまいそうな声で誓った。

 …………何百回と鼓動を数えても、ロゾールの声は聞こえない。

 (誠意が伝わらなかったのか?ならば、もう一度)

 不安になったカイムラルが両目を開くと、ロゾールは感情の読み取れない顔でカイムラルを見据えている。

 (それは、許してくださるということなのですか?)

 真意をはかりかねて戸惑うカイムラルに、ロゾールはただ無言で淡く微笑みかけるだけだった。

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