第4話  片翼の天使(後編)

 カイムラルがロゾールの怪我けがの手当てに取り掛かると、それからしばらくの間、ふたりは"生前"の思い出話に花を咲かせていた。

 食べものの好き嫌いが激しかったロゾールが足繁あししげく通っていた、あの喫茶店のムニエルをもう一度味わってみたいだとか、料理が苦手なカイムラルが、スープの大鍋を真っ黒焦げにしたある日の事とか……。

 一段と会話に花が咲いたのは、カイムラルを"ロゾール医師"の弟子として初めて学会に連れて行った時のことだった。


 人嫌いで性格難のロゾールが、幼いアルカ人の少年を弟子に迎えたという話は、当時の彼を知る人達の間でちょっとした騒ぎになった。

 というのも、「私の手をわずらわせる愚図ぐずなどいらない。清く賢く物静かで、私と並び立てるだけの美貌の持ち主ならば、傍に置いてやってもいいだろう」などという無理難題を喚いていたことは、同業の医師たちの間では非常に有名だったからだ。

  しかし、良くも悪くもその名をよく知られたロゾールとは違い、"メイト医師"を知る者は殆どいない。

 彼らと同じ時代を生きた医師に尋ねることができたのならば「もしかして、ロゾール医師のお弟子さん少年のことですか?」と返されるのが、せいぜいといったところだ。

 その理由は単純で、後に複雑な家庭の事情で姓が変わったカイムラルと"弟子の少年"を別人と誤解されていたからだ。


 どうしてだろうか。今ならば、墓場まで持っていこうと心に決めた秘密も全てさらけ出して、カイムラルと魂の会話ができるような気がするのだ。

 クスクスリ、コロコロリと笑みを交わすロゾールの表情は、心底幸せそうだった。

 その気持ちはカイムラルも同じだったのか、普段は口数が少なく大人しい彼も、積極的に話題を持ち出している。


 大きく開かれたカイムラルのかばんの中に並ぶ、綺麗に整頓された薬瓶やくびんや器具の中から迷いなく目当ての物を取り出し、燭台しょくだいわずかなあかりだけで手際よく治療を進めているカイムラル。

その様子をなんとなく眺めながら、ロゾールふとは心にくすぶった問いをなかなか言い出せずにいた。

 「ところで、カイムラル。君は____」

 "どうして死んでしまったの?"

 舌先まで出かかったその言葉を飲み込み、ロゾールは少し無理があると自覚しながらも言葉を繋げる。

 「____どんな部屋で目覚めたんだい? 興味があるんだ。聞かせておくれ」

 その不自然さに気づかなかったのか、ふと包帯を巻く手を止めると、カイムラルは昨日の夕食を思い出すように遠くを見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 「一緒に過ごしたあの家のリビングを、覚えておいでですか?暖炉の前に置いていた、安楽あんらく椅子いすに腰かけて眠っていたようです」

 その説明は、とても想像に易かった。生前にその光景を目にしているロゾールからすれば、薄れかけた思い出をなぞるような穏やかな目覚めを、ほんの少しだけ羨ましいと思った。

 「毛足の長い絨毯が敷かれていたので、季節は冬でしょうか?部屋の中は燃えさかまきの熱で、暑いくらいでした。テーブルには食べきれないくらいの料理が並べられていて、まだほんのりと暖かかったです」

 何かとまめな性格なロゾールは、木材を削り、組み立てて新たに本棚を作ったり、季節に合わせて小物を飾り、模様替えを楽しむ男だった。

 一目見ただけで季節を感じられる部屋作りは、彼の密かなこだわりでもあった為、カイムラルのその言葉を嬉しく思ったことだろう。


 その時、カイムラルの腹の虫がグゥゥ……と、存在を主張した。

 いつの間にか治療は終わり、顔を赤らめてそそくさと片づけを始めたカイムラルは、言い訳じみた様子で口を開く。

 「お腹が空いていたので、さっそく食事をいただいてしまおうかと思いました。でも、貴方のお姿が見えなかったので、部屋を出ました。ふと振り返ると、暖炉にともった火も、美味しそうな料理も、まるでまぼろしだったかのように消えていて……」

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。しょんぼりと肩を落としたカイムラルの様子に、ロゾールは困ったように笑った。

 いつもはくせが強くてピョコンと跳ねている髪の毛も、心なしかへにゃりと力なくしおれているように見える。

 カイムラルに問いかけを返されたロゾールは、自分が硝子がらすの棺の中で目覚めたこと、周りには大好きなマリーゴールドの花が敷き詰められていたことを説明し、部屋を出た経緯については、えて大切なモノクルを失くした事実を伏せ、それとなく取りつくろった。

 もしかしたら、モノクルを探してまき散らした手荷物の中に、飴玉のひとつくらいは紛れ込んでいるかもしれない。

 そう思い立ち、カイムラルを連れて部屋に戻ろうと立ち上がったロゾールの背を、カイムラルの不安げな声音が追いかけてきた。


 「……俺は、死んでしまったのでしょうか?」

 ドクンと、ロゾールの心臓が跳ね上がる。

 振り返ると、床にペタリと座り込んだカイムラルのすがるような視線に、ロゾールは一歩、二歩と後ずさった。

 "ここに居るということは、おそらく、そうなんだろうね"

 ロゾールには、そのひと言が言えなかった。

 それは、カイムラルを気遣ってのことではない。彼の死を一番認めたくないのは、他でもないロゾールだからだ。

 返答に困り、口ごもるロゾールの言葉を待たずに、カイムラルは苦し気に胸を押さえながら言葉を吐き出した。

 「……目覚める直前まで、おかしな夢を見ていました」

 カイムラルは語る。人の背丈を超える巨大な柱に身体を縛りつけられ、足元から迫る炎に魂を焼かれる恐怖を。

 「"魔女"を殺せ!!」と叫ぶ大衆の声と、投げつけられた石が額に当たる衝撃に、ギュッと心臓を握り潰されるような悲しみに打ち震えたこと。

 巻き上がる熱風に喉を焼かれ、最期の祈りも許されず、ただ静かに血の混じった涙を流すことしか出来なかったと。

 「もしこれが真実ならば、俺はこの報いを受けるべき罪を、いつからか犯してしまっていたのでしょうか……?」

 必死に平常へいじょうを保とうと荒い呼吸を繰り返し、今にも泣きだしそうな表情で眉間みけんしわを寄せ、せきを切ったように言葉をつむぐ唇を、ロゾールは人差し指をそっと押し当てて黙らせる。

 むぐと口をつぐんだカイムラルは、ロゾールの意図いとに気づけず、人形のようにコテンと首をかしげた。

 左目にまった雫がぽろりとこぼれ落ち、冷たくなった頬を転がる。

 神妙しんみょうな面持ちで言葉を探していたロゾールは、フッと頬をゆるめ、天使の輪ができた深くつやめく髪の毛に、細長い指をし入れた。

 「誰よりも信心深くきよい君が異端いたんだなんて、あるはずがないだろう?」

 幼子おさなごをあやすように、やわやわと指先で頭を撫でる。

 「だって君は、たとえ片翼かたよくをもがれても果敢かかんに戦う、天使のような人なのだから」

 緑の隻眼せきがんが静かに訴えかける問いに、ロゾールは明確な答えを返さなかった。

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