第1章 ~死後の世界の街《ルグレ》~

第1話  "夜蜘蛛の女王"と呼ばれた男

 世界を揺さぶるココン・ルティの鐘のを合図に、硝子がらすの棺の中で眠る"女王"が目を覚ました。

 白磁はくじの肌が形造かたちづくおも立ちは、愛をって命を得た、かの彫刻の少女のように愛らしく、夕映ゆうばえの色を染め込んだ長髪は、そのわずかな乱れでさえも美しい。

 見慣れない景色に戸惑い、不安げに揺れるシグナルレッドの瞳は、何千年とつむがれてきた歴史の中でも、数少ない色合いだ。

 世界一とうたわれた美貌びぼうと、薄暗がりの中でも爛々らんらんと輝く双眸そうぼう

 あまりにも浮世うきよばなれな彼を恐れた人々の噂話が、"よる蜘蛛ぐもの女王"と呼ばれる由縁ゆえんだ。


 1番目の招待客、ロゾール・ヴァニタス。

 彼は、時代と宗教に忌み嫌われた名医だった。

 ヒトならざるモノを連想させる赤い瞳と、死に最も近い納棺師のうかんしという彼のもうひとつの顔は、宗教と共に生き、静謐せいひつな暮らしを守り続ける人々にとって、格好かっこうの"絶対悪"だったからだ。

 しかし生前のロゾールは、決して「時代が悪かった」とは言わなかった。

 かわりに「それが彼らの知性の限界だ。仕方が無い」と言った。


 このような発言から想像される彼の性格をかんがみても、ロゾールは純粋なる嫌われ者だったのだろう。

 その原因が彼の言動にあるということは、事情を知らない者であっても想像にかたくない。


 敷き詰められたマリーゴールドの毛布から身体を起こし、ぎこちない動作で棺を抜け出したロゾールは、虚ろな瞳で何かを探して、薄暗い部屋をゆらゆらと彷徨さまよっていた。

 突然、深く着込んでいた上着を脱ぎ散らかし、彼の手荷物であろう大きな鞄の中身を、おもむろに床にばら撒いている。

 挙句の果てには、棺の台座の下にまで潜り込んだり、マリーゴールドの花びらを乱暴にむしっては、見るも無残な残骸を拾い集めて、棺の中に戻したりを繰り返しているではないか。

 明らかに正常をいっしたその姿はまるで、とあるおとぎ話にある、黒い影に染まったお姫様のようだ。

 しばらくの沈黙の後、お目当ての物が無いと知った彼は、ここで初めて感情をあらわにした。


 音の無い薄暗がりに、鋭利えいりな悲鳴が響き渡る。

 彼が探しているのは、生前、命の次に大切にしていた銀のモノクルだ。

 それは、ある時の誕生日に、たったひとりきりの兄から貰った愛情の形だった。


 慌てふためきながら部屋を飛び出したロゾールは、あてもなく見知らぬ建物の中を駆け回った。

 奇妙にも建物の灯りは全て落とされており、影に濃淡を作る内装も、踏み外したと錯覚さっかくして、肝が冷えるほど柔らかい絨毯じゅうたんの色も見えない。

 一寸先すら闇に呑まれる廊下を一足いっそくびに駆け抜け、その先に続く大階段を滑るように降りると、手探りで見つけた大扉に、すがり付くように手を掛ける。

 しかし、その扉はどんなに押しても、引いても、蝶番ちょうつがいすらきしませる事が出来なかった。

 しまいには腹が立って、お行儀ぎょうぎ悪く踏み倒そうと蹴りつけてみても、それはハリボテのようにびくともしない。


 ふと顔を上げると、またたきもしない無愛想な星々が、みっともなく取り乱すロゾールを、窓の外から冷ややかに見下ろしていた。

 本当はわかっていた。こんなことは、無数にきらめく星の海の中から、まだ名前の無い星を探すことと同じだと。

 そんな現実を再認識してしまった途端、ひど虚脱感きょだつかんに襲われた彼は、とうとう膝を抱えてうずくまってしまった。

 ふと、思い出したかのように魂が脈を打ち始め、繰り返される拍動により全身を巡る感情が、あたたかい雫となってしとどに心を濡らす。


 "死"に分かたれて、初めて気がついた。

 ロゾールが執着していたのはあのモノクルに対してではなく、モノクルに投影して見ていた兄の存在だったのだ。

 決して、仲の良い兄弟だったとは言わない。だけど、他人が取り入る隙も無い程、目には見えない糸で固く結ばれたふたりだった。

 ほたほたとあふれ落ちる涙を拭いもせず、声を押し殺して泣いていたその時____。


 ____二の腕をギリギリと締め付けるような強い圧迫感に、ロゾールはハッとして嗚咽おえつを飲み込んだ。

 背後から伸びるその力は痛いほどに強く、あっと声を上げる間もなく、ロゾールは大扉から引き剥がされてしまう。

 すべなく引きられ、泥水のように混濁こんだくするロゾールの脳裏に、幼い日に聞いた喧嘩っ早い兄の声が響いた。

 『とんだ不届き者だ。一発かましてやる』と。

 その声に勇気づけられたロゾールは、立ち上がると力任せに相手の手を跳ね除け、振り向きざまに右腕を鋭く振り抜く。

 目元に残っていた涙の雫をパッと飛び散らせながら、ロゾールはこう言い放った。


「このっ……無礼者っ!!」




>>【招待者名簿 1/12】

ロゾール・ヴァニタス(18??~1907年)

享年:**歳

職業:医師・納棺師

身長:171㎝

駒名:ビショップ(黒)

役割:医師

魔法:「女王の夢占い」


・発生させた煙を吸った者に、幻覚を見せる。

・幻覚の内容を詳細に作り込む事もできるが、術者自身が幻覚に呑み呑まれる可能性も高くなる。

・煙の他にも霧や粉塵を操ったり、一時的に煙に身を隠す事もできる。

・代償は比較的大きい。


 リーズエクラ民話「よる蜘蛛ぐもの女王」のモデルとなった人物。

 当時の最新医療の常識を塗り替えた天才医師だったが、彼の死後、その情報のほとんどがグラウ・エレット教会によって隠匿いんとくされた。

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