第3P プロフェッサー(Professor)プレパレーション(Preparation)

 かくも〈三密〉回避が叫ばれている以上、教室という同一の空間に学生が集まる〈対面講義〉が許容されるようには思えない。

 そう予測した隠井は、四月になるや否や、オンライン講義の準備に取り掛かり始めた。

 当初は、大学から配信しようと考えていたのだが、緊急事態宣言の発令以降、教職員さえキャンパスに入構禁止になってしまったので、自宅から配信するために必要な器機全てを自腹で揃えなければならなくなってしまった。


 PC以外に、配信講義には何が必要となるのだ?

 試しに一度〈配信〉してみれば、問題も浮き彫りになるだろう。


 まず、自分がホストになってPCでミーティングを開き、それから、サブアカでスマホにログインし、聴取状況を確認してみた。

 かくして、自作自演で模擬講義をしてみたのだが、スマホであろうとも、ゲストとして聞く分には何ら問題はなかった。

 ただ、ホストが話している時に、ゲストの音声をオンにすると、混線してハウリングが起こってしまった。だが、本番では、受講生が同じ空間にいるわけではないので、これは問題視しなくても大丈夫であろう。


 次に考えるべきは、自分や受講生の顔を映しながらの〈映像オン〉にするのか、それとも、音声のみの〈映像オフ〉にするか、である。

 〈映像オン〉の前提として必要となるのは〈WEBカメラ〉だ。

 WEBカメラは、スマホやタブレットならば標準搭載なのだが、実は、パソコンだと付属されていない機体も多い。事実、隠井のPCにはカメラは付いていない。

 通販サイトを覗いてみたところ、どこのサイトでも、WEBカメラは品薄状態になっていた。

 おそらく、多くの会社が、オンラインでミーティングを行うようになったのが原因の一つだろう。

 実は、隠井は、画面に自分や受講生の顔を映しながら講義することに、なんらメリットを感じていない。参加者の顔がチラチラ出て来るのは、話の妨げにしかならないからだ。

 そもそもの話、音声のみと映像オンとでは、通信量が十倍以上も違うらしい。

 つまり、映像オンの場合、〈重く〉なって配信が止まってしまう恐れもあるし、受講生の中には、自宅に〈Wi-Fi〉がない者もいるに違いなく、速度制限で受講できなかったと不平を言ってくる者が現れることは、容易に推測できる。


 隠井が出校している大学の中には、映像オンを要請する大学もあった。しかし、受講生の顔が見えていることは、単なる〈受講感〉や、参加者の勤怠状況の管理の目的の意味しかない。簡単に言うと、サボらないように見張っていろ、という話なのだ。


 隠井が重要視したいのは、配信が止まることなく、かつ、学生が速度制限のせいで受講できない、という状況を生じさせない事なので、〈見張り〉のための映像オンなど、無駄にしか思えない。そこで、隠井は、映像をオンにせず、音声のみで講義をする決意をしていた。

 万が一、出向先から指摘が入ったり、不満を言ってくる受講生がいた場合には,自分のPCにWEBカメラが付いていないとか、品薄で買えなかった事を理由に、華麗にスルーするとしよう。


 これは後日談なのだが、速度制限で受講できなくなった学生の保護者から大学にクレームが殺到したらしく、その結果、あんなに五月蝿く映像オンを強要していた大学が、掌を返したように、今度は、〈データ・ダイエット〉をうたって、映像オン禁止の要請をしてきた時には、さすがに苦笑しか出なかったのだが。


 とまれ、配信講義の理想形は、実際に学生に面と向かわない事を括弧に入れれば、物理的な空間を越えて、学生が受講している場に、リアルな教室と遜色のない〈講義空間〉を現出させることである。

 

 そんな風に考えている隠井の講義スタイルは、OHC(書画カメラ)を使って、講義プリントを、教室のスクリーンに投影し、必要に応じて資料を拡大・縮小しながら、重要事項をマーキングしたり、書き込んだりする、というものである。

 この方法を用いることによって、黒板や白板に書く必要がなくなり、実はかなり無駄な〈板書時間〉を省くことができる。ノートするのはポイントだけで十分なのだ。さらに、受講生の意識を焦点化することができるので、現在進行形で何を話しているのか、という流れを見失うことも格段に減る。

 それより何より、プリントをOHCで投影すれば、かなりの時間のロスである〈消去時間〉もまた削ることができるのだ。


 隠井は、講師になった最初の年から、黒板や白板への板書をほとんどせずに、スクリーンに講義内容を投影する方法を採用していた。

 最初の数年は、プレゼン・アプリ、〈パワー・ポイント〉を利用していた。しかし、スクリーン上の画像と、配布した資料が異なるため、受講生の中には、講義中に話の流れを見失ってしまう者もいた。それならば、パワポの画像をそのまま資料として配布すればよいようにも思えるのだが、実は、パワポの画像をそのまま印刷しただけの資料は、本当に見辛いのだ。

 その結果として、最終的に落ち着いたのが、配布資料を書画カメラで投影して、資料に書き込んでゆくというスタイルなのである。


 実は、この方法の発見は偶然の賜物であった。

 ある日、講義で使うパワポのファイルを自宅に置いてきてしまい、〈仕方なく〉プリントアウト済の資料をOHCで映しながら書き込み講義を行ったところ、資料の拡大・縮小も自由自在、途中の書き込みも簡単で、実に講義がやり易かった。

 これまで膨大な量のパワポを作成してきたので、それをお蔵入させるのに、ある種のもったいなさも覚えたのだが、OHCを用いた書き込み講義の快適さは絶大であった。

 それ以来、この〈OHC・資料書き込み方式〉で、隠井は講義を展開している。

 だから、リアルタイム配信講義でも、ディスプレイには、自分の顔などではなく、資料だけを見せながら講義をするつもりでいるのだ。


 だが、いかにすれば、教室での〈OHC・資料書き込み方式〉と同じように、ミーティング・アプリの上で、この〈資料書き込み〉式の講義を再現できるのか。


 ミーティング・アプリには「資料共有」という機能があって、〈ワード〉や〈PDF〉などのPC上の資料を他のユーザーと共有できる。

 だが、ミーティング・アプリで、〈ワード〉を立ち上げて、話をしながら、そこにキーボードで書き込んでゆくのは、ミスタッチもしがちで、あまりオン・タイムでの講義には向いておらず、〈即時性〉という点から言うと、やはり手書きこそがベターなのだ。

 マウスやトラックパッドをペン代わりにして〈PDF〉上に書き込むという方法もあるが、これは、ペンで書く程にはうまくできない。


 そこで最初に思い付いたのが、タブレットのカメラをOHCの代わりにして資料を見せるという方法であった。

 たしかに、この方法は理論上は可能なのだが、自由自在な拡大縮小ができず、端末のカメラを通した画像の質は低く、何より、タブレットを固定する器具が必要であった。

 画質という点では、カメラを通さずに、PC内のファイルを共有するのがよい。だが、その場合、マウスではうまく字が書けない。〈ペンタブレット〉を購入すれば、問題は即時解決なのだが、オンライン講義準備の必要経費は自腹で、ここまで何かと準備に金を使っているし、その上、ペンタブまでとなると、完全な赤字になってしまう。

 

 手書きでの書き込みという点では、「共有」の中に「ホワイトボード」という機能が標準搭載されていたので、試しにこれを使ってもみた。

 そして、書いたものの拡大を試みたところ、背景は拡大されても文字は拡大されなかった。

 さらに、画面を左右に動かしてみると、画面は動いても、文字は動かないままだった。

 どうやら、文字はホワイトボードそれ自体に書き込まれるのではなく、機器の表面に文字の層をつくるだけの〈レイヤー〉式であるようだ。

 これは、自分の講義向きではない。


 案外、思ったようにはならないものだな。


 そんなことを考えながら「画面共有」機能をいじっていると、その共有可能一覧の中に、「ipad」という項目があるのに気が付いた。

 試してみると、手持ちのタブレット上の画面をPCと共有させることができた。

 そして、ふと思い立って、タブレットでPDF資料を開き、ペン機能を使って指で何か書いてみたところ、書いたものがそのままPCに反映されたのだ。さらに、拡大・縮小・移動を試みたところ、「ホワイトボード」と違って、文字を自由自在に動かすことができたのだ。


 これだっ!


 指では細かな書き込みが難しいとしても、ペンならば問題なかろう。ならば、あと必要な道具は〈タッチペン〉だ。


 これこそが、配信講義の真の神器として、隠井が探し求めていた伝説の武器であるに違いない。


 タブレットをペンタブ代わりにして、PDF資料に書き込んでゆくスタイル、これこそが、隠井が、試行錯誤の末に遂にたどり着いたオンライン講義の究極形であった。

 これならば、教室とほぼ同じように講義が展開できる。

 間違いない。


 数日後――

 タッチペンが届いた。


 ライジンハタッチペンヲテニイレタ

 レベルガ2アガッタ


 タッチペンを手にとった瞬間、そんな天の声が聞こえた気がする隠井であった。

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