17−8
「じゃ、俺はこれで……」
代金を払い、さっさと暑苦しい男から離れようと店台に背を向ける。が、そこで後ろに並んでいたらしい誰かとぶつかってよろめいた。
「あ、すいません。気づかなくて……」
謝罪しつつ顔を上げたが、そこで俺は言葉が出なくなった。喜美が目の前にいたからだ。また泳いでいたのか、髪にも水着にもたっぷり水滴が付いていた。
「あ、喜美! お前どこ行ってたんだよ! 探してたんだぞ!」
自然と一歩踏み出すも、喜美はむっつりした顔で一歩下がった。どうやらまだ怒っているらしい。俺は小さくため息をついて言った。
「なあ、悪かったよ。いい加減機嫌直してくれよ」
「……やだ」
「拗ねるなっての。ほら、焼きそば食うか?」
「いらないよ! それっぽっちであたしが機嫌直すと思ったら大間違いなんだからね!」
「でもお前、さっきからずっと泳いでたんだろ? 腹減ってんじゃないのか?」
「お腹は空いてるけど、涼ちゃんには買ってもらわない! お金くらいちゃーんと持ってるんだからね!」
それだけ言うと喜美は俺を押しのけて店員の男の方に行った。メニューを見ることもなく勢いよく身を乗り出して言う。
「お兄さん! このお店の料理全部ください!」
え、と俺は絶句しそうになった。男もさすがに驚いたようで、ぽかんとした顔で喜美を見ている。全部って、焼きそばもカレーもイカ焼きも全部食うってこと? いやいやさすがにそれはないだろと思いながら俺は喜美の腕を引っ張った。
「ちょ、お前何考えてんだよ! そんなに食えるわけねぇだろ!」
「食べるもん! 傷ついた乙女心を癒やすにはやけ食いしかない!」
「にしたって限度があるだろ……。残したらどうする気だよ?」
「残さず食べるもん! あたしが食べ物を粗末にすると思う!?」
そうは思わないが、いくら何でも店の料理全部は……。いや、でも、こいつは身体は小さい割にものすごい大飯食らいなのだ。普段からただでさえもブラックホールな胃袋が、やけ食いでさらに吸引力を増したとしても不思議はない。テーブル中に並んだ焼きそばやらカレーやらを喜美が次々と平らげていく光景を想像し、俺は何だか空恐ろしくなった。
「んん……。ヘイ、ボーイ。このガールはもしかして、君の……?」
会話を聞いていたらしい男がそっと俺に尋ねてくる。俺は男の方を見て頷いた。
「はい。俺の彼女です。まぁ見ての通り、喧嘩中ですけど……」
「ふーむ、なるほど。それでこのガールは、ビーハートなハートをケアするためにフードをニードしていると、ふむ……」
男が訳のわからないことを言いながら考え込むように顎に手を当てる。こいつ、また何か妙なこと言い出すんじゃないだろうな。
俺は怪訝に思っていると、男がぱっと顔を輝かせて指を鳴らした。
「オーケー! ガール! 君のエモーションはよくわかった! でもね、ガール。ハートをケアするならフードよりもっといいものがあるよ!」
「え、何ですかそれ!?」
喜美が興味を惹かれた様子で身を乗り出す。男は調子づいた様子で親指を立てた。
「もちろん、新しいラブ! つまり恋さ! 君みたいなキュートなガールにはなかなか出会えないからね。よかったら俺とビッグウェーブに乗らないかい?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。が、すぐに男が喜美をナンパしているのだと気づき、危うく焼きそばを落としそうになった。
「ちょ、あんた、何言ってんですか! こいつは俺の彼女だって言ったでしょ!?」
慌てて男と喜美の間に割って入る。だが男は悪びれた様子もなく首を振った。
「イエス。確かにこのガールは君のスイートハートなのかもしれない。だけどね、ボーイ。愛しのスイートハートをアングリーさせているようじゃあ君は男とは言えないよ。このガールのハートがブレイクしたのも、君が彼女のハートをハート! つまり傷つけたからじゃないのかい?」
図星だったので俺は何も言い返せなかった。男はふっと笑って続けた。
「ふっ……ボーイ、どうやら君にはこのガールのパートナーを名乗る資格はないようだ。俺ならこのガールをもっとハッピーにしてあげられる。どうだい? ガール?」
男が喜美に向かって爽やかに微笑みかける。喜美は俯いて答えなかった。迷っているのだろうか。俺よりも、こんないかにもチャラそうなアメリカ野郎がいいって? そう考えると俺は無性に腹が立ってきて、気がつくと男に向かって叫んでいた。
「勝手なことしてんじゃねぇよ! 人の女に手ぇ出すんじゃねぇ!」
「ふーむ。ボーイ、君は俺がこのガールのパートナーになるのが気に入らないのかい?」
「当たり前だろ! 目の前で自分の女ナンパされて何とも思わない奴がいるか!」
「ふむ。ではどうだい? ここは一つ、ゲームをするというのは」
「ゲーム?」
「そう。勝った方がこのガールと一日デートする権利をゲットする……。どうだい?」
不敵に笑った男を見て一瞬怯んだものの、すぐにここで退いたら男じゃないと思い直した。挑むように男を見上げて頷く。
「いいぜ、受けてやるよ。俺が勝ったら二度とこいつに手ぇ出すんじゃねぇぞ」
「いいだろう、ボーイ。その代わり俺がウィンしたら、君も大人しくゴーホームするんだよ」
「ああ、いいぜ」
できるだけ勇ましく見えるように胸を張って堂々と頷く。喜美が心配そうに俺を見てきたが、気づかない振りをした。
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