16−7
「そういえば……さっきから夏希ちゃんの声がしませんけど」
「あら、本当だわ。夏希?」
話し込んでいる間にどこかへ行ってしまったのではないかと不安になったが、夏希ちゃんはちゃんと席にいた。椅子の背もたれに凭れてすやすやと眠っている。
「あら、この子ったら……。自分から聞いておいて寝ちゃったわ。しょうがない子ね」
「喋り疲れたのかもしれませんね。しばらくこのままでも大丈夫ですよ」
「でも笠原君が帰るの遅くなっちゃうわよ。まだプレゼントも買ってないし」
「大丈夫ですよ。別の日に一人で買いに来てもいいですし」
「うーん……。何だか悪いわね。私の方に付き合わせちゃったみたいで」
「いいですよ。おかげでいろいろ話せてよかったです」
嘘ではなかった。喜美との馴れ初めを話すのが恥ずかしい気持ちもあったが、いざ話してみると自分の気持ちを整理できてすっきりしている。他の人が相手だったらこんな風に正直には話せなかっただろうし、これも母親の力なのかな、と妙に納得する。
「そう。じゃあもう少しだけゆっくりして、この子が起きたらプレゼントを探しに行きましょうか」
「わかりました」
「……あ、それと笠原君、一つだけ、おばさんからお節介を言わせてもらってもいい?」
「何ですか?」
いきなり小林さんが改まった口調になったので俺は眉をひそめた。
小林さんは言葉を探すようにしばらく黙った後、俺の方を見て口を開いた。
「笠原君、女の子がもらって嬉しいのってね、物じゃないのよ?」
「え?」
意外な言葉に困惑を隠せない。物じゃないってどういうことだ。だったら何のために今日一日プレゼントを探したんだ。そんな不満が顔に出ていたのか、小林さんが諭すように続けた。
「プレゼントがダメってわけじゃないのよ。今日の笠原君みたいに、相手のことを考えてじっくり選んでもらえたらそれだけで十分嬉しい。でも本当はね、女の子は物よりも先に欲しいものがあるの。何かわかる?」
「いや、わかりません。何ですか?」
「それはね、気持ちよ」
「気持ち?」
「そう。自分の気持ちを素直に伝えること。好きなら好き。愛してるなら愛してる。その言葉をもらえるだけで、高価なプレゼントよりもよっぽど嬉しいものよ」
俺は開いた口が塞がらなかった。好きとか愛してるとか、口に出すだけで死ぬほどこっぱずかしく、まして本人を前にしたら絶対に言える気がしない。でも小林さんはそんな俺の気持ちもお見通しだったのだろう。柔らかくふっと笑って続けた。
「恥ずかしい気持ちはわかるわよ。男の子ってなかなか思ってること口に出せないし、まして笠原君はクールだものね。でも、そういう恥ずかしさを乗り越えて伝えてくれたら、その気持ちが本物だってわかる。それって最高のプレゼントよ」
「はぁ……」
若い頃に多くの恋愛を経験してきただけあって小林さんの言葉には説得力がある。ただしそれを俺が実行できるかと言われたら話が別で、自分が喜美を相手に愛を語る場面を想像するだけで死ぬほど恥ずかしい。それなら高価なアクセサリーでも買ってやろうと思うが、一方で、本当にそれでいいのかという気持ちもあった。
「ま、これはあくまでアドバイスだから、実行するかどうかは笠原君次第よ。でも女心を掴むには、何よりも気持ちが大事ってことは覚えておいた方がいいわね」
「はぁ……」
「うーん……。ママー?」
そこでようやく夏希ちゃんが目を覚ました。両手で目をごしごし擦りながら椅子から身体を起こす。
「あら、やっと起きたの? お寝坊さんね」
「うーん……ここどこー?」
「お店よ。せっかく笠原君が話してくれてるのに寝ちゃうんだから」
「りょうたくん……?」
まだ半分眠っている様子の夏希ちゃんだったが、俺の名前が脳内の何かを刺激したらしい。急にぱっちりと目を開けると、俺の方に身を乗り出して叫んだ。
「りょうたくん! おはなしきかせて! りょうたくんのすきなこのおはなし!」
例によって夏希ちゃんがきらきらした目を向けてくるので俺は面食らった。おいおい勘弁してくれよ。二回も馴れ初めの話させるとか新手の羞恥プレイかよ。
「い、今喋ったから……帰ってからお母さんに聞いたら?」
「だーめ! なつきはいまききたいのー!」
「んなこと言われても……小林さんからも何か言ってくださいよ」
「あらいいじゃない。私ももう一回聞きたいわ」
「いや何でですか? 小林さんだって帰るの遅くなったら困るでしょ」
「いいのよ。今日はデートなんだから。それで? 笠原君は彼女のどこが好きなの?」
「どーこ!? どーこ!?」
「勘弁してくれ……」
小林親子の猛攻を前に、俺は負傷兵のようにがっくりと首を垂れた。休憩するために店に入ったはずが、これじゃ完全に逆効果だ。
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