15−11
「ふう……。あっという間に完食しちゃいました。これなら分けなくてもよかったですね」
幸実さんが口をハンカチで拭きながら言った。食い終わったせいかテンションが元に戻っている。
「何ならもう一個作りましょうか? また涼ちゃんと分け分けしてもらって!」
「い、いえそんな、いくら何でも厚かましいです。半分いただけただけで十分です」
「そうですか? でもあたしびっくりしました! 食べてる時のおねーさん、さっきまでと全然雰囲気違って!」
「あ、すみません……。お恥ずかしいところを見せてしまって」幸実さんが頬に手を当てる。
「私……美味しい料理を食べるとつい興奮して、周りが見えなくなってしまうんです。取材の時もたまにこうなって、お店の方に変な顔をされることもあって……」
「そうなんですか。でもいいじゃないですか! 気持ちをストレートに言えるのって!」
「ええ……。ただ問題は、その感動を他の方に伝えきれないところなんですよね……。お店の魅力を伝える記事を書きたいとは思うんですけど、すぐお腹を壊してしまうので筆が進まないんです」
「うーん、困りましたねぇ。ねぇ涼ちゃん、なんかいい方法ないかなぁ?」
「さぁ……体質的なことは俺にはどうにも……」
いっそグルメリポーターに転職した方がいいんじゃないかと思ったが、たぶんそういう問題じゃないんだろう。二人して首を捻っていると、幸実さんがそっと微笑んで言った。
「でも……さっきのカツ丼は本当に美味しかったです。ただ美味しいだけじゃなくて、身体の底から活力が湧いていくるような……。どうしてでしょうね?」
「それはきっとあれですよ! あたしの愛とパワーがたっぷり詰まってるからですよ!」
「愛とパワー……ですか。確かにそうかもしれませんね。あなたは明るくて、楽しくて、誰からも愛される、太陽みたいな人なんだと思います。だからあなたはいつも幸せで、近くに素敵な人もいて……うう……」
幸実さんが俯いて顔を震わせる。あ、ヤバい。これ、また感極まって叫び出すんじゃないだろうか。
俺は急いで耳を塞ごうとしたが、それより早く幸実さんが勢いよく顔を上げた。背筋を伸ばし、厨房に立つ喜美をまっすぐに見て続ける。
「私、さっきのカツ丼を食べて思ったんです。私もあなたみたいに、みんなを元気にしてあげる存在になりたいって! そのためには落ち込んでちゃダメなんですよね! あなたに負けないくらいパワーをつけて、不幸に打ち勝たないといけないんですよね!」
両の拳を握りしめながら幸実さんが滔々と捲し立てる。さっき食レポをした時と同じくらいその言動はエネルギーに満ちていた。この人、キャラの切り替わりが激しすぎないか? 喜美も最初は呆気に取られていたものの、すぐに自分もガッツポーズをして叫んだ。
「そーですよお姉さん! 殻を割ったら人は変われる! お姉さんは不幸のお星さまの下で生まれたかもしれませんけど、これから変われる可能性だってあります! だから諦めちゃダメですよ!」
「そうですよね! 私だって人並みの幸せを掴む権利くらいありますよね!」
「そうですよ! そのためのカツ丼なんですからね!」
謎に意気投合しながら喜美と幸実さんがしっかりと手を取り合う。二人のテンションに付いていけなくなった俺は、胡乱な目をしてその様子を見つめるしかなかった。
「よーし、決めました!」幸実さんが勢いよく椅子から立ち上がる。
「私、このお店のことを記事にします! こんな素敵なお店が世間に知られていないなんてもったいない! うちの社を上げて宣伝させてもらいます!」
「わー本当ですか!?」
「はい! 美味しいお料理と可愛い店長さん! そんなお店があるとわかったら明日から行列間違いなしです!」
「わーいやったー! ね、聞いた涼ちゃん! 行列だって!」
「……いや、そんなすぐ効果があるかわかんねぇだろ。どれくらいの奴がその記事見るかもわかんねぇし……」
「いーえ! 絶対に効果はあります! 私の記事で一大センセーションを巻き起こして見せますよ!」
鼻息荒く宣言した幸実さんは最初に店に来た時とは別人だ。いくら何でも急に変わり過ぎじゃないかと思ったが、さっきのノリノリの食レポを思い出し、案外こっちの方が素なのかもしれないと思い直した。
「さっそく構成を練らないといけませんね! できれば連載にして、第1回目がお店全体の紹介、第2回目が店長さんの独占インタビュー、そして第3回目は……そう、あなた!」幸実さんが俺にペンを突きつける。
「え、俺?」
「はい! 愛らしい店長さんを影で支えるプレイボーイ! その実態に迫る特集記事です!」
「い、いや、いらないでしょそんなの。俺ただのバイトですし……」
「えー読みたい読みたい!」喜美がはしゃいだ声を上げる。
「ね、ね、お姉さん! その記事できたら真っ先にあたしに見せてくださいね!」
「もちろんです! 写真付きで一面を飾るよう上司に掛け合います!」
「わーやったー! 部屋に飾ってみんなに自慢しよう!」
ばんざいして喜ぶ喜美と、凄まじい勢いでメモにペンを走らせる幸実さん。そんな女二人の横で俺はただただ呆然としていた。おいおいちょっと待てよ。そんな記事書かれたら羞恥プレイもいいとこだろ。姉ちゃんとか大学の奴らに見られたら何言われるか……。どうとかして食い止めなければと思うものの、すっかり元気になった、というか暴走した幸実さんを抑えるだけの力は俺にはない。
こうして幸実さんが不幸を脱した代わりに、俺が不幸のどん底に突き落とされることになったのだった。
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