15−12
その後、俺と喜美は幸実さんを食堂の入り口まで見送った。雨は上がっており、ひんやりとした空気が肌に心地いい。幸実さんはこれから交番に行き、パトカーで家に送ってもらうよう交渉するそうだ。あの暴走機関車みたいな勢いだったら歩いて家まで帰れるんじゃねぇのと俺は思ったが、黙っておいた。
「やーでもよかったね! お姉さんが元気になってくれて!」
厨房で溜まった食器を洗いつつ、喜美がにこにこしながら言った。
「お代はもらわなかったけど、これでうちのお店が有名になったら十分お返ししてもらったことになるし! これであたしもお姉さんもハッピーだね!」
歌うように言う喜美とは裏腹に俺は終始仏頂面だった。喜美が洗い終わった皿を拭いているものの、つい手に力が入って皿を割りそうになる。
「記事、どんな感じになるかなー? 載せるメニューいくつか選んでくださいって言われたけど迷っちゃうよねー。あ、でもカツ丼は必須だよね! 何たってお客さんを幸せをしたんだから!」
「……そりゃお前らだけの幸せだろうがよ」
つい低い声が零れる。喜美がきょとんとして俺の方を見た。
「あれ、涼ちゃんどうかした? なんか機嫌悪くない?」
「……悪いに決まってるだろ。人の意見も聞かないで勝手に話進めやがって」
「え、何のこと?」
「記事だよ、記事。何で俺の記事なんて書かせるんだよ?」
「だって涼ちゃんはたまご食堂の一員でしょ? そりゃー記事に載せてもらわないと!」
「……載せるのはまだよくても内容考えろ。何だよプレイボーイって……」
「いいじゃん! これで涼ちゃんの魅力が全国に発信されて、涼ちゃんのファンがお店に来てくれるかもしれないよ!」
「……んなことあるわけねぇだろ。はぁ……ったく、何で俺がこんな目に……」
盛大にため息をつきながら皿を乱暴に食器棚に戻す。こんなことなら貞子状態の時にさっさと追っ払っておくんだった。
それから10分くらいして片づけは終わった。時刻は22時半。ちょうどバイトが終わる時間だ。いつもなら喜美を待っているところだが、今日は疲れていたので先に帰ることにした。
「じゃ、俺行くから。お前も気をつけて帰れよな」
手短に挨拶をして厨房を出て行く。さっさと帰って寝よう。そしてそのまま全部なかったことにしてしまおう。そう思って足早に店を出ようとするが、そこで喜美が声をかけてきた。
「あ、待って涼ちゃん! 忘れ物!」
忘れ物? 俺が怪訝な顔で振り返ると、喜美はジャンプして俺に飛びついてきた。そのまま唇にちゅっとキスされる。咄嗟に反応を返せないでいると、喜美ははにかむように笑って言った。
「……ほら、さっきは途中だったから。これで涼ちゃんも幸せになれたでしょ?」
床に降りた喜美が顔を赤らめて尋ねてくる。俺はしばらく硬直して動けなかった。
こいつ――やっぱり男のツボをわかってやがる。身体中のいろんなところが熱くなってきたがそれをぐっと堪え、代わりに一言、返すことにした。
「……バカ。これっぽっちで足りるわけねぇだろ」
そのままぐいっと喜美を引き寄せてこっちからキスをしてやる。喜美が身体を強張らせるのがわかったがそんなことは気にしない。もうバイトは終わってるし、何より先に仕掛けてきたのはそっちだ。俺を幸せにしたいってんなら、カツ丼よりもっとボリュームのあるものを食わせてもらわないとな。
結局、その日俺が家に着いたのは日付が変わった後だった。
どうしてそんなに遅くなったのか、その真相だけは絶対に記事にしてやらない。
[第15話 不幸ニマケズ、カツ丼 了]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます