15−10

 その後、お盆にカツ丼と味噌汁を乗せた喜美が厨房から出てきた。近くで見るとカツ丼はかなりボリュームがあって、女性一人で食べるには少し重そうに見えた。幸実さんも同じことを考えたらしく、頬に片手を当てて悩ましげに息をついた。


「わぁ……思ったよりボリュームがあるんですね。私、これ全部食べられるかしら……」


「大丈夫ですよ! 一口食べたらすぐにぺろっといっちゃいますから!」


「ええ……そうかもしれませんけど、万が一残してしまっても申し訳ないですし……。あ、そうだ、そちらの方、半分召し上がりませんか?」幸実さんが俺の方を見る。


「え、俺ですか?」


「はい。半分ほど食べていただけると有難いんですけど」


「俺は別にいいですけど……お前はいいのか?」


 喜美の方を見ながら尋ねる。いくら他に客がいないとはいえ一応今はバイト中だ。さすがに飯を食うのはまずいんじゃないかと思っていると、喜美は意外にも頷いた。


「もちろんいいよ! 普段頑張ってくれてる涼ちゃんへの慰労サービスってことで!」


「はぁ」


 自由だな。まぁいいか。個人経営だし。俺としても喜美の新作を食えるのは大歓迎だ。浮足立つのを悟られないようにしながら幸実さんの隣に座る。喜美は厨房から新しいどんぶり茶碗を持ってきて幸実さんのカツ丼を半分移した。つやつやした卵と揚げたてのカツが見るからに美味そうだ。


「……それじゃいただきます。何もお返しできないのに本当に申し訳ないですけど……」


 幸実さんが静かに手を合わせ、それから箸を取ってカツ丼に手を伸ばす。卵が絡んだカツを一口大に切り、ソースを少量付けてゆっくりと口に運ぶ。

 そうした仕草の一つ一つは遠慮がちだったのだが、カツを口に含んだ瞬間に幸実さんはかっと目を見開いた。


「な……何ですかこれ!? このカツのさくさく加減!? 卵の絶妙な舌触り! 粒の立った艶やかなお米! この三者が奏でる極上のハーモニー! こんなに素晴らしいカツ丼が地球上に存在していたんですか!?」


 それまで消え入りそうな声で喋っていた幸実さんがいきなり饒舌になってガツガツとカツ丼を食べ始める。青白かった顔には血色が戻り、猫背だった背中はぴんと伸び、全身からエネルギーを発散させていた。


「噛むたびにじゅわっとあふれる肉汁! そこにしっとり潤いを加える卵! 両者を優しく包み込む白米! すごい! すごいです! こんな絶品のカツ丼は初めて食べました!」


「あ、あの……えっと、よかったです! そんなに喜んでもらえて!」


 幸実さんのハイテンションぶりにさすがの喜美も当惑している。そして俺はと言えば、延々と続く食レポを隣で聞かされて黙っていられるはずがない。すぐさま自分も箸を取って目の前にあるカツ丼に食らいついた。箸で切る時間ももどかしく一切れ丸ごと持ち上げて噛む。


 するとすぐに幸実さんの興奮していた意味がわかった。厚切りのカツはボリュームがあるにもかかわらず柔らかく歯がすっと入っていく。それでいて歯応えもしっかりあって噛むたびにジューシーな味わいが口の中に広がっていく。揚げたての衣はさくっ、さくっと口の中で音を立てて弾け、聴覚と触覚が味覚と合わさって旨味を何重にも伝えてくる。

 カツだけでも十分すぎるほど美味いのに、さらにそこに卵が加わることによって甘みとまろやかさがプラスされている。じっくりと煮た玉ねぎは甘く柔らかく、カットされた三つ葉が上品な香りを添える。そしてそれらの素材を受け止めるご飯。全てが相まってこの絶品を作り上げていた。


 俺は夢中になって文字通りカツ丼を掻っ込んだ。定食屋でカツ丼を食ったことは何度もあるが今食べているのはそれとは比べ物にならない。ボリューミーで、ジューシーで、サクサクで、まろやかで。そんな味わいに舌鼓を打っているとあっという間に平らげてしまった。

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