15−5

「えーっと、何て言うか……大変でしたね」俺はとりあえずそれだけ言った。

「とりあえずタオル貸しましょうか? そのままじゃ本当に風邪ひきそうですし……」


「あ、いえ、いいですよ。これ以上ご迷惑おかけするわけにはいきませんし」


「いや、でも……」


「本当ならお詫びに食事でもしていきたいところですけれど、財布がない状態じゃそれもできませんし、お邪魔してすみませんでした」


 女性が何度も頭を下げながら回れ右して店を出て行こうとする。が、そこで俺の後ろに隠れていた喜美が猛ダッシュして女性の前に立ちはだかった。


「ちょーっと待ってくださいお姉さん! 一度この食堂の入り口を潜ったからにはただで帰すわけにはいきませんよ!」


 どこぞの悪役みたいな台詞を吐きながら喜美が両手を広げて女性を通せんぼする。さっきまで貞子相手にビビっていたのが嘘みたいな威勢のよさだ。


「え、でもそう言われても私、本当にお金を持ってなくて……」


「お金の問題じゃありません! このまま帰したらおねーさんがかわいそうですもん!」


「……私のことなら気にしないでください。私、普段から運が悪くて、今日くらいのことはよくあるんです」


「そうなんですか?」俺が口を挟む。


「はい。私、生まれつき不幸体質みたいで、一日に二、三回は悪いことが起きるんです。昨日は飼っていた金魚が病気で死にましたし、一昨日は買ったばかりのワンピースに車が泥水を撥ねましたし、その前の日は階段から落ちて足を怪我して……」


「そ、それは……その、たまたま重なっただけじゃないんですか?」


「小さい頃は私もそう思っていました。でも実際、私の人生で悪いことが起きない日ってなかったんです。学校行事の前日に決まって風邪をひきましたし、テストの当日にはお腹を壊しましたし、新品の物を持ち歩いていれば大抵落とすか汚しました。彼氏ができたと思ったら三日で振られて、友達と食事に行っても一人だけ食あたりを起こして、普通に歩いてるだけでも落ちてきた植木鉢やらペンキの缶やらにぶつかる始末です。その結果付いたあだ名が不幸の見本市。なんかもう、ぴったり過ぎて笑っちゃいますよね」


「それは……その」


 さすがに返す言葉がなくなって俺は黙り込む。今の話を聞いた後だと今日この人が受けた不幸なんて軽く思えてきた。


「うーんお姉さん、本当にいろいろ大変だったんですねぇ……」喜美がしみじみと言った。

「でもこれからはもう大丈夫! あたしがお姉さんをとびっきり幸せにしてあげますから!」


「え、ほ、本当ですか……?」


「はい。任せてください! あたしの料理パワーは不幸になんて負けませんから!」


「そ、そんなすごい料理を作られるんですか……?」


「おいお前、あんま適当なこと言うなよ」俺は慌てて喜美の腕を掴んだ。「安請け合いして文句言われたらどうする気だよ」


「だってさー、このままじゃおねーさんがあんまりじゃん! あたしはお客さんみんなに幸せになってほしいんだよ!」


「だからって……。第一この人は客にならねぇだろ。財布落としたって言ってただろ」


「そんなの関係ないよ! この食堂に来てくれた人はみんなあたしのお客さんだよ!」


「いや、でも……」


「そんな……そこまでしてもらうのは申し訳ないです」女性が眉を八の字にして首を振る。

「つい長々とお話ししてしまいましたけど、私、人様にご迷惑をおかけするつもりはないんです。大人しく交番に行って帰りますから、どうぞお気になさらないでください」


 そう言って女性は食堂を出て行こうとするが、喜美は頑として譲らなかった。短い手を精一杯広げて女性の行く手を阻もうとする。


「ダメですよ! この食堂は『安くて美味くて楽しくて』がモットーなんです! お客さんに悲しい顔させたまま帰らせるなんてできません!」


「ですが……見ず知らずの方にそこまでお世話になるわけにはいきません。そうでなくてもご迷惑をおかけしてしまったのに……」


「迷惑なんかじゃありません! あたしがそうしたいんです!」


「でも……」


「いーから座ってください! 席はどこでも空いてますから!」


 かなり強引に喜美が女性を案内する。女性はまだ気後れしていたが、そのうち根負けしたのかカウンターの端の席に浅く腰かけた。


「そうと決まればさっそくお仕事だね! ほら、涼ちゃん、メニューとお冷持ってきて! あとタオルも!」


「あ、ああ……」


 俺も気後れしながら言われたものを取りに行く。客が来たことでいつもの店長モードに戻ったらしい。やる気が出たのはいいことだが、俺としては少しだけ残念だった。

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