14−3
その後、俺と昌平は大学を出てたまご食堂に向かった。最寄り駅に着いた時には17時を回っていて、俺達以外にも早めの晩飯に向かうらしい奴がちらちら見える。
駅から10分ほど歩いたところでたまご食堂に到着する。木造の引き戸の上にかかる、『たまご食堂』と書かれた黄色いのれん。同じく店名が書かれたオレンジ色に光る看板。店の内容を示すものはそれだけで、紙のメニューも食品サンプルもない。客が入りにくい外観ではあるが、「食堂の名前を見て興味を持って入ってほしい」というのが喜美のこだわりらしいので仕方がない。
引き戸を開けて中に入る。店内には例によって客がいない。こうして閑古鳥が鳴いているのを見ると俺はいつも心配になる。たまご食堂は一時期売り上げが落ちて閉店しかけたことあるからだ。今は持ち直しているようだが、いつまた同じようなことが起こるんじゃないかと冷や冷やする。
「あ、いらっしゃいませー!」
聞き慣れたぱたぱたという足音が店の奥で鳴る。すぐに見慣れた格好をした女が厨房から出てきた。ソバージュの黒髪を二つ結びにし、黄色いTシャツの上に白いエプロンを付けた女店主。喜美の食堂スタイルだ。
「いらっしゃいませー! 何名様ですか? カウンターとテーブルどっちにされますか……ってあれ? 涼ちゃんに昌平君?」
客が誰かわかっていなかったのだろう。決まり文句を口にした喜美が俺と昌平を交互に見つめてくる。俺が口を開くよりも先に昌平が前に進み出た。
「喜美さん、お久しぶりです! 相変わらず元気そうですね!」
「昌平君も! 今日はどうしたの?」
「いやー実は俺、こないだバイト辞めたんですよ! そこ超絶ブラックで、前々から辞めようとは思ってたんですけどなかなか決めきれなくて……。でも今回思い切って店長に言って、3月にやっと辞めれたんです!」
「へー、すごいじゃん! 頑張ったね!」
「はい! で、つい最近新しいバイト始めたんですけどそっちはむちゃくちゃ環境よくて、しかもバイトの女の子といい感じになってるんですよ!」
「おおー、やったじゃん! 昌平君にも春が来たってことなのかな!」
「はい! で、涼太と話してて、せっかくだしお祝いしようってことになって、それで俺が喜美さんの店行きたいって言ったんです!」
「わー嬉しい! これはあれだね! 昌平君のためにとびっきりのご馳走を作ってあげないとね!」
「はい! 俺もそれが楽しみで来たんですよ!」
昌平と喜美はすっかり盛り上がっている。今でこそ友達みたいに話しているが、ちょっと前まで昌平は喜美を異性として意識していた。今も引き摺っていられたら面倒だったが、本人はバイト先の女の子の方に夢中なようなのでほっとする。
「にしても昌平君は偉いねー。ちゃーんと自分の殻割ったんだから」
「え? 殻?」
「うん。人ってさ、現状変えたいって思ってもなかなか踏み出せないじゃん? でも昌平君は自分で勇気出してバイト辞めて、それで状況よくなったわけでしょ? すごいなーって思ってさ!」
「あ、いや、俺も自分で決断したっていうか、涼太に背中押されただけで……」
「涼ちゃんに?」
「はい。涼太に言われたんですよ。お前も自分の殻割れって。あれもしかして喜美さんの受け入りだったのか?」昌平が俺の方を見る。
「……うん、まぁ」
「なーんだお前それを早く言えよ! お前にしてはいいこと言うなーとか思って感動してたのに!」
「……悪かったな。普段ろくなこと言ってなくて」
「ってことは俺が今めちゃくちゃハッピーなのも喜美さんのおかげってことか。喜美さん、マジでありがとうございます!」昌平が勢いよく頭を下げる。
「いいよいいよ! あたしも役に立てて嬉しいし! それに涼ちゃんがあたしの言ったこと覚えててくれたのも嬉しいし!」
喜美が嬉しさを表すようにぴょんと跳ねて俺の隣に並ぶ。そんなうさぎみたいな反応をされると自分がディスられていることも気にならなくなった。
「じゃ、とりあえず座ってよ! すぐメニュー持って行くから!」
「ああ……。つーかこんな客いなくて大丈夫か?」俺は店内を見回しながら言った。「また売り上げ下がってるんじゃ……」
「大丈夫だよ! 今はたままたいないけど、昼間いっぱい来てくれたから! たぶん口コミが利いてるんじゃないかな? やっぱり持つべき者はお客さんだね!」
「……そっか。よかったな」
俺は安堵して息をついた。
前にたまご食堂が潰れかけた時、この店を気に入ってくれている客が一斉に集まる日があった。その時来た客はみんなたまご食堂がなくなるのを惜しみ、それぞれができる方法でお客さんを増やすことを約束してくれた。その効果が今出ているのだろう。実はその時客を集めたのは俺と常連さんの1人だったのだが、こうして店が助かっている現状を見ると改めてやってよかったと思う。
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