13−4

 入口の辺りにある桜は五分咲きだったが、奥に進むにつれて満開の木が増えてきた。見渡す限り一面ピンクの光景が広がり、空の青さも相まって気持ちのいい空間を作り上げている。


 公園内を散策すること早10分。最初は手を繋いだまま歩くことに気恥ずかしさを覚えていた俺も、時間が経つにつれてだんだん慣れてきた。普段歩く時は基本ズボンのポケットに手を突っ込んでいるので、柔らかな人肌に触れていられるのは新鮮だ。手のひらから伝わる温かな感触が心地よく、このままずっと手を握っていたい気分になる。もちろんそんなことを思ってみたところで絶対に口には出さないのだが。


「いやー、それにしても綺麗だね! いかにも春満開って感じで!」


 喜美が表情を綻ばせて桜の木を見上げる。桜並木に入ってからは喜美の歩調はゆっくりしたものになっており、木の下で毎回立ち止まってはじっくりと花を眺めることを繰り返していた。


「あたし、桜って好きなんだ! 色もピンクで綺麗だし、ちっちゃい花がいっぱい集まってるのも可愛くってさ!」


「はぁ……。まぁ確かに綺麗だけど、にしてもそんな時間かけて眺めるもんか?」


「そりゃそうだよ! 桜は日本の美! 大和の心! そこに感動するのが日本人ってもんでしょ!?」


「いや、そんな大層なこと考えたことないな……。咲いてるの見てもだいたい素通りしてるし、別に感動することもないっつーか……」


「あれ、そうなの? じゃあ普段はお花見とかしないんだ?」


「大学の奴らと行ったことはあるけど、あんなの半分飲み会みたいなもんだしな。じっくり花眺めたことはねぇよ」


「そっかー……意外。あたし桜見たらみんな同じように感動するものだと思ってたよ」


 喜美が感じ入ったように頷く。普段は何かとやかましいのに、桜を愛でるだけの繊細さがこいつにあることが俺は意外だった。喜美の出身は京都なので、風流さを感じる心が自然と身についているのかもしれない。


「あたし、桜を見るたびに去年の1年を振り返るんだ」喜美が言った。「この1年の間に会った人とか、行った場所とか、いろんなことを思い出して、今年もいい1年を過ごせたなぁって思うの。そしたら新しい年も楽しみになるんだ!」


「へえ……。なんつーかお前らしいな。とことん前向きっつーか……」


「でもね、さすがのあたしも、去年から1年でこんなに変わるなんて思わなかったよ」喜美が急に神妙な顔になる。


「去年桜を見たときはさ、今の生活を続けられるだけで十分だって思ってたんだ。美味しい料理を作って、それをお客さんに食べて喜んでもらって……。それで十分過ぎるくらい幸せだった。

 だからさ……こんな風に涼ちゃんと一緒にお花見デートできてるってことが、ちょっと信じられないんだよね……」


 はらはらと散る花びらを見つめながら喜美が遠い目をして呟く。確かに1年前のこの時期は、俺と喜美はまだ出会ってもいなかった。あの頃の俺はやる気のない大学2年生で、桜に風情を感じることはもちろん、何かに心を動かされることすらなかった。当時は喜美のことも疎ましくて、できるだけ関わりたくないと思っていた。それが今や、手を繋ぎながら2人並んで桜を眺めているのだから、俺自身も信じられない気持ちだ。


「……桜は毎年綺麗だけど、今年のはなんか一段と綺麗に見えるんだよねぇ……。隣に涼ちゃんがいるからかなぁ? なーんて……」


 恥じらうように小声で言ってはにかむ喜美。その表情がどうしようなくいじらしくて、手を握る力が自然と強まる。女慣れした奴だったらここで抱きしめるくらいのことはするのかもしれないが、あいにく俺はそんな女たらしじゃない。

 が、このまま何も言わないのも自分を偽ってる気がしたので、一言だけ口にした。


「……たぶん、来年はもっと綺麗に見えるから。今年が満開ってわけじゃないと思う」


 こんな遠回しな台詞でもやはり口にするのは恥ずかしい。含意は伝わっただろうかと視線を移せば、喜美はきょとんとして俺を見ている。

 やっぱり回りくどすぎて伝わらなかっただろうか。まぁでも別にいいかと自分を納得させて歩き出そうとしたが、そこでふと右腕に重みを感じた。喜美の手が俺の手から離れ、代わりに俺の腕に両手を巻きつけてくっついている。


「……うん! そうだよね! 今年は絶対いい年になるから。その分桜も綺麗に見えるよね!」


 はにかんだように笑いながら、喜美がぎゅっと腕に両手を絡めてくる。手を握られていた時よりもずっと広範囲に柔らかさと温かさが伝わり、自然と動悸が激しくなる。

 あぁ、可愛いな――。頭の中では自然とその言葉が浮かぶのにどうしても口には達しない。この1年で俺も前よりは素直になったように思えたけど、本心を全て言葉にするにはまだ至っていない。

 来年の今頃にはもう少し口が滑るようになってるといいんだけどなと思いながら、俺は赤らんだ顔を見られまいと桜を見上げた。

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