エピローグ 殻を割ったら、何になる?

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 それから3週間後、暦は3月の最終日を迎えていた。気温はすっかり暖かくなり、コートなしで外出できる日も増えた。春らしい陽気の中で桜も見頃を迎え、散歩しているお年寄りやベビーカーを押した主婦が立ち止まっては、目を細めて満開を迎えた桜の木々に見入っている。どの人も表情は晴れやかで、春の訪れを心から喜んでいるのがわかる。


「あーあ、俺らもとうとう明日から3年かぁ……」


 晴れ晴れしい人達の中で1人だけ辛気くさい顔をしているのは昌平しょうへいだ。満開の桜には目もくれず、地面に散った花びらを見つめながらため息をついている。


「大学生活も半分終わり。なのに未だに彼女はできなくてバイトはブラックで、おまけに就活の準備も始めなきゃだし……。憂鬱なことばっかだよな」


 この世の不幸を全部背負ったみたいな顔で昌平が深々とため息をつく。俺は何とも返事をできずにぼんやりと桜を眺めていた。


「お前はいいよなぁ涼太りょうた、バイトは順調、おまけに彼女までできて青春真っ盛り。いったいどこで差が付いたのかなぁ……」


 昌平が辛気くさい顔で三度目のため息をつく。延々と続く愚痴を俺は聞くともなしに聞いていたが、そのうち面倒くさくなって言った。


「あのな昌平、1つ言っとくけど、俺は何もしないでこうなったわけじゃないんだ。全部殻を割った結果なんだよ」


「殻を割る?」


「そう。自分が変われる可能性を信じて、殻の外に出てみること。お前もぐちゃぐちゃ言ってる暇あったら殻割ってみろよ。まずはそのブラックバイト辞めてみるとか」


「い、いやでも、辞めても次んとこまたブラックだったら意味ないし……」


「そんなのやってみなきゃわかんねぇだろ? できない理由ばっか探してたらいつまでも自分を殻に閉じ込めたままだ。それじゃ何も変わらねぇんだよ」


「はぁ……」


「……なんて、全部あいつの受け入りなんだけどな」


 柄にもなく説教を垂れてしまってばつが悪そうに俺は頬を搔いた。最近の俺は柄でもないことばかりしてる気がする。でも、それでいいのかもしれない。


 卵は何にでも変われる奇跡の食材。それは人間も同じで、殻の中にいろいろな可能性を秘めている。勇気を出して殻を割り、外の世界に飛び出すことで、人は今までとは違う自分に変わることができるかもしれない。初めて聞いた時は信じられなかった喜美きみの言葉の意味が、今なら少しだけわかる気がした。


「……あ、もうこんな時間か。俺そろそろバイトだから行くわ」


 俺は腕時計を見ながら言った。時刻は16時半前。今日は夕方のシフトだ。


「何もかもが上手く行くとは限らねぇけどさ、とりあえず変えれるとこから変えてったらどうだ? お前だって今のままでいたいわけじゃねぇんだろ?」


「そうだけど……でも変わるのって怖くね? 今より悪くなったらどうしようって思うし」


「まぁその気持ちはわかるよ。俺も何だかんだ長いこと現状維持してたし、この先どうなるかって考えたら正直不安になることもある。でも、今いる状況を変えようと思ったら、やっぱり勇気出してみなきゃいけないと思うんだ」


「……そっか。じゃ、俺もちょっと考えてみる」


「うん、頑張れよ」


 そこで分かれ道に着いたので手を振って昌平と別れた。昌平は腕組みをしながら歩いていたが、さっきのようにしょぼくれた様子はなかった。あいつも自分の殻を割ろうとしているのかもしれない。

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