12−18
喜美は放心した様子でその場に突っ立っていた。あまりにもいろいろなことを一度に言われすぎて理解が追いつかないのかもしれない。俺も冷静になってみると、柄にもなく大胆な言動を取ってしまったことが今さらながら恥ずかしくなった。
「……あれ、おかしいなぁ。今日エイプリールフールじゃないよね?」
喜美が首を傾げて呟く。渾身の告白を冗談扱いされて俺はずっこけそうになった。
「……今日はまだ3月だ。つーかお前ここまで言わしといてまだ茶化す気なのか?」
「いや、だってさ……。あたし今日すっごく幸せだったんだよ? 久しぶりにお客さんいっぱい来て、いっぱい料理作れて……。そのうえこれって……絶対夢だと思うじゃん?」
「夢じゃねぇよ。何ならもっかい最初から言ってやろうか?」
憮然として言って喜美の方に近づく。喜美が慌てて身を引いて両手を振った。
「あああいいの! そうじゃなくて、その……何て言うかびっくりしすぎて。まだ信じられないっていうか……」
「……まぁそうだろうな。俺も最近まで自覚なかったし」俺は首筋を搔いた。
「……でもホントに? ホントにあたしなんかでいいの? だってあたし28だよ? 誕生日もうすぐだし、来年には30になっちゃうんだよ?」
「それが何だよ。8歳差くらい別に珍しくないだろ」
「でもでも、女が年上って嫌じゃない!? まぁあたしの場合年上に見えないことが問題かもだけど……」
「年上とか年下とかどうでもいい。俺はお前がいいって言ってるんだ」
ここまではっきり言わないとわからないのかと半ば呆れながら俺は言った。喜美はまたしてもぽかんとしたが、すぐにその顔がくしゃくしゃになった。
「うう……りょおちゃん……」
あ、これは来る、と俺は身構えた。そして喜美は予想通りの反応をした。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!」
今日最大級の泣き声を上げながら喜美が俺に抱きついてくる。例によって顔は涙と鼻水まみれだ。ホントに泣き虫な奴だな。泣くのはいいけどもう少し顔気にしろよと思いながら、俺は喜美の身体を抱きしめてやった。
その後、喜美がようやく泣き止んだところで俺達は食堂の片づけを再開した。ただでさえも洗い物が多い上に他のことで時間を食い、片づけが終わった時には日付が変わってしまっていた。
「……じゃ、俺帰るから」
エプロンからコートに着替えて喜美に声をかける。関係が変わったことでどう声をかければいいか少し迷った。
「うん、明日……あ、もう今日か。とりあえず次は休みだったよね。疲れたと思うからゆっくりしてね!」
髪を下ろし、白いスプリングコートを着た喜美が笑顔で応える。いつもは俺が帰った後で店を出るので私服を見るのは新鮮だ。2人で外に出るとさすがに人通りは少なくなっており、街灯だけでは心許なく思えた。
「……かなり遅くなっちまったけど大丈夫か? 何なら送っていくけど……」
「あ、ううん、大丈夫! すぐそこだから!」
「そっか。でも気をつけろよ。女の一人暮らしって狙われやすいんだからな」
「うん! ……へへ、でも嬉しいな。こんな風に心配してもらえて」
「彼女なんだから当たり前だろ」
無意識に言った後、あ、そっか、彼女なんだっけと遅れて頭が言葉を認識する。撤回するつもりはないが、意識すると急に気恥ずかしさが込み上げてきた。
「へへ……そっか。そうだよね! 彼女だもんね!」
喜美が嬉しそうに言ってぴょんと俺の隣に並ぶ。横に並ぶと小ささが目立って余計に子どもみたいだ。
でもこいつはれっきとした1人の女で、俺はその女と付き合うことを決めた。客にはまた冷やかされるかも知れないが、後悔はしていない。
「……じゃ、またな」
まだ気恥ずかしさを引き摺りつつ、俺は喜美に背を向けて歩き出そうとした。店の鍵を閉めようとしていた喜美がそこで不意に声をかけてきた。
「あ、待って涼ちゃん! コートに糸くず付いてる!」
「え、どこ?」
「ほら、肩のとこ! 取ってあげるからしゃがんで!」
言われるまま少し膝を屈める。喜美がつま先立ちになって俺の右肩に手を伸ばし、糸くずを取った――と思ったら頬に何かが触れた。思わず喜美の方を凝視すると、喜美は顔を赤らめて照れくさそうに笑っていた。
「……いいよね? 彼女になったんだから!」
頬にキスをされたらしいということが遅れて呑み込めた。途端に顔と身体がかっと熱くなって頬に手を当てる。
「……お前それ客の前で絶対すんなよ。店員同士がいちゃついてる店とか絶対行きたくねぇから」
「わかってるよ! 2人になった時だけ!」
「……まぁ、それならいいけど」
「じゃ、今度こそおやすみ涼ちゃん! またね!」
喜美が笑顔で手を振ってくる。俺はぎこちなく頷いた後、軽く手を振り返して今度こそ店を後にした。
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