12−15
「ふーん、それならあたしも協力しようかな」香織が言った。
「ちょうど新しい彼氏と次のデートでどこ行こうかって話してたとこなんだ。ここで晩ご飯食べるのもありかも」
「え、何お前、もう新しい男できたの?」俺は目を剝いて尋ねた。
「うん。あたし過去は引き摺らない主義だから。もう関係ないって言ったでしょ?」
「はぁ……何つうかお前らしいな」
俺は呆れ顔で息をついた。俺に振られた直後は泣いていた様子もあったのに、この切り替えの早さはさすがだ。でも変に引き摺っていないとわかって安心もする。
「ま、今日来たのは罪滅ぼしのためだけどね。前は誤解させちゃったみたいだし」
「誤解……あぁ、そういやそうだったな」
「でも、さっきの見たらそっちも大丈夫そうで安心した。さっきのキッシュ美味しかったし、あたしこれからも来ていいですよね?」香織が喜美に尋ねた。
「もちろんですよ! お客さんはいつでも大歓迎です!」
喜美が満面の笑みを香織に向ける。この2人のいざこざも解消されたみたいだ。
「えー、みんな何かするわけ!?」姉ちゃんが不満げな声を上げた。
「あたし達だけ協力しないのも薄情よね……。でも会社の人連れてくるにははちょっと遠いし……ねぇお母さん、誰かお店に連れてこられるような人いない!?」
「そうねぇ……。パートのお友達ならいるけど、あんまり外食はしないのよねぇ」
「ならご家族で来られたらいいじゃないですか」小林さんが言った。
「ご主人はまだお見えになっていないんですよね? うちも今度は旦那と子どもを連れてこようと思いますし、よかったらご一緒しません?」
「あらーいいですねぇ。ただうちの主人は単身赴任でいないんですよ」
「じゃあ主人抜きでどうですか? うちにも中学生になる娘がいるので、女同士でお喋りを楽しみません?」
「あ、いいですねそれ! 甲斐性ない男の悪口で盛り上がっちゃいましょう!」
姉ちゃんがすっかりその気になっている。どうでもいいけど甲斐性ない男って誰のことだよ。
「な、喜美ちゃん。お前さんにはこんなに味方がたくさんいるんだ。それもこれも、みんなこの店とお前さんが好きだからだ。わかったら二度と店畳むなんて言っちゃいけねぇぜ?」
本田さんが場をまとめるように言う。喜美はまた涙目になりながらも、笑顔で「はい」と頷いた。
俺はその様子を横目で見ながら、安堵が込み上げてくるのを感じていた。ドッキリは大成功だ。店を畳む話はなくなり、喜美はたまご食堂への情熱を取り戻した。
たまご食堂はこれからも続く。お客さんに美味い料理と楽しい時間を同時に提供する、喜美にしか作れない場所。そこでは知ってる奴も知らない奴も、客も店員も関係なく、みんなが一体となって料理と会話を楽しんでいる。
そんな特別な時間が過ごせるからこそ、この店は厳しい飲食業界で5年も生き残ってこれたんだろう。そしてこれからも、喜美と、喜美の料理と、この時間を求めている人がいる限りたまご食堂はなくならない。
賑やかな店内を改めて見回しながら、俺は1つだけ空いたままの席を見つめた。カウンターの右端。去年の春から何度も座ってきた俺の指定席だ。
新しい春を迎えるたまご食堂。そこに俺がどう関わっていくのか、答えはとっくに決まっていた。
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