12−12

「……後は本田さんだけか。何時くらいに来るかな」


 本田さんは今日遠くの現場に行っているらしく、いつもより遅くなると言っていた。この賑わっている食堂の光景を見てもらいたいのだが、誰かが帰る前に来られるだろうか。


 俺が店内を見回していると後ろで引き戸が開いた。本田さんが来たのかと思って振り返ったが、そこにいる客を見た瞬間に顔が強張った。


「香織!? お前何でここに……」


 元カノの高野香織たかのかおりが目の前に立っていた。こいつから復縁を持ちかけられたのは年末のことで、俺が断って以降連絡は取っていない。当然、今日の集まりにも呼んでおらず、俺は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。


「何? あたしが来ちゃまずかった?」香織が首を傾げた。


「いや、だってお前……」


「もしかしてあたしが邪魔するとか思ってる? だったら安心して、普通にお客さんとして来ただけだから」


「本当に?」


「うん。それか何? 涼太はまだあたしが未練あるとか思ってるわけ?」


「いや、別にそんなことは……」


「だったら早く席案内してよ。あたしお客さんなんだからね?」


 そう言われれば無下にもできず、俺は半信半疑ながらも香織をカウンター席に案内した。出汁巻きを搔っ込んでいた昌平が、隣に座る香織を見て一瞬気まずそうな顔になる。


「ふーん。ホントに卵料理ばっかりなんだね」香織がメニューを捲りながら言った。「でもこんなにメニューあるのびっくり。これ、あの人が1人で作ってるんだよね?」


「あぁ。前はこの半分くらいだったけど、ここ半年くらいで増えたんだ」


「そうなんだ。すごいね。あんな若いのに1人で頑張って」


「若いっつっても俺らよりは年上だけどな……。でもあいつが頑張ってるのは本当だよ。俺も最初はただ明るい奴だって思ってたけど、実は裏でめちゃくちゃ努力してる。でも人にはそういうとこを全然見せないんだよ」


「ふーん、でも涼太は知ってるんだ?」


「まぁ、ここ1年くらい一緒にいたからな……。嫌でも見えてくるっつーか……」


「そうかな。相手が涼太だから弱み見せたんじゃない?」


「それは……」


「ま、あたしにはもう関係ないからいいけど。ね、これ注文していい?」


 香織が話を切り上げてメニューの1点を指差す。期間限定メニューのキッシュだ。


「これ、前に涼太がここで食べてたやつだよね? あの時から美味しそうだって思ってたんだ」

「あ、うん。でもそれ冬限定なんだよ。今はもうないんじゃないかな……」


 うっかりメニューから削除するのを忘れていたらしい。どうしたものかと考えていると、話を聞いていたらしい喜美が厨房から出てきた。


「ふっふっふ、あたしを舐めちゃダメだよ涼ちゃん! ご好評につきキッシュは通年販売することにしたのです! 今日の分もちゃーんと用意してるよ!」


 喜美が自慢げに言って大皿を掲げる。12等分に切り分けられた色鮮やかなキッシュが皿の上にあった。


「そろそろデザートの時間ですからね! 皆さんで食べていってください!」


「おー、うまそー!」昌平が歓声を上げた。

「すげぇな喜美さん! 料理だけじゃなくてお菓子まで作れるとか!」


「あたしは料理人だからね! お客さんが求めてるなら何だって作っちゃうよ!」


「じゃ、じゃあ……次は俺の愛妻弁当を……!」


「あ、ごめんそれは無理」


「うそー!」


 撃沈した昌平がカウンターに突っ伏す。岡君が「昌平さん、ドンマイっすよ!」と言って背中を叩き、小林さんが「若い人は元気でいいわねぇ」と言って笑った。

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