12−10

 岡君は板前志望の青年で、喜美に弟子入りするためにたまご食堂でのバイトを希望していた。そのポジションは俺が奪ってしまったのだが、岡君が恨みつらみを言ってくることはなく、今でもこうしてさっぱりとした態度で接してくれるので安心している。


「……涼ちゃん、どういうこと? ドッキリって」喜美が俺の方を見た。


「あー、それはその……」


「涼太さん、喜美さんのこと心配してたんすよ」岡君が言った。

「ここんとこ売り上げ減ってるせいで、喜美さんがそのうち店畳んじまうんじゃないかって。そうならないように知ってる奴を片っ端から集めたってわけです!」


「そうなの?」


「あー、えー、その……」


 何でバラすんだよと思いながら俺は岡君を睨んだが、本人があっけらかんとしているので何も言えなかった。そこで小林さんが喜美を呼んだのでとりあえずこの場は免れた。


「何だ涼太さん、喜美さんに今日のこと言ってないんすか?」岡君が尋ねた。


「言うわけないだろ……。あいつのこと心配してたとか思われるのやだし」


「でも実際心配だったんすよね? だから俺とか他の人にも声かけたんすよね?」


「まぁ……一応」


「だったら素直になりましょうよ涼太さん! 好きな女のために一肌脱いだって!」


「いや、別に俺はそんなつもりじゃ……」


「俺はわかってるっすよ、涼太さん。涼太さんって見た目無愛想で口も悪いっすけど、実はめちゃくちゃ優しいっすよね! そういう人だから俺も喜美さんを任せようって気になったんす!」


「いや、だから誤解だって……」


「いいですか涼太さん! 俺は好きな女のために潔く身を引くっす! その代わり喜美さんのこと絶対幸せにしてくださいよ!」


 岡君は腕で涙を拭いながら1人で勝手に盛り上がっている。相変わらず人の話を聞かない奴だ。


「あ、そういやさっき店の外に男の人がいましたけど、あの人も涼太さんの知り合いっすか?」岡君が顔を上げて尋ねた。「なんか俺の顔見て逃げていきましたけど」


「あー……たぶんそうだわ。まだ近くにいるかな」


 思い当たる人間は1人しかいない。店の外に出て辺りを探すと、ゴミ箱の後ろで縮こまっている大学の友人、井川昌平いがわしょうへいの姿を見つけた。


「昌平、お前何してんだよ」

「ん……その声は涼太か?」


 昌平が顔を上げて俺を見る。ビビった表情がまだ残っていて、借金取りから逃げてきた人みたいだった。


「何でこんなとこで隠れてんだよ。さっさと中入れよ」


「いや、俺もそうしたいんだけど、前に会ったヤバそうな奴がいるのが見えて……」


「岡君のことか? あいつ見た目はチンピラだけど中身はいい奴だから大丈夫だよ」


「そうなのか?」


「うん。とりあえず入れよ。今店忙しいから長いこと離れられねぇんだ」


 腕を引っ張って昌平を店内に連行する。カウンターの前に座る岡君を見ると昌平は身体を強張らせたが、俺は問答無用で昌平をその隣に座らせた。


「……よし、これでだいたい揃ったかな」


 一息ついて店内を見回す。テーブル席に3組、カウンターに3人。すでに席の半分以上が埋まっている。一気に客が押し寄せたことで喜美は調理に追われ、あたふたと冷蔵庫と調理台の間を行ったり来たりしている。目が回るほど忙しそうだがその顔は楽しそうだ。


「……じゃ、俺もそろそろ働くか」


 気合いを入れるようにエプロンの裾を引っ張る。ちょうど一品目を食べ終えたらしい山本さんが手を挙げたので、俺は注文を取りに行った。

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