12−7

「じゃ、立ち話もなんですから中にどーぞ!」喜美が張り切って案内した。「お2人ならテーブル席の方がいいですよね!」


「そうですね、お願いします」山本さんが頷いた。「あ、それと1つご報告なんですが、私あれから転職したんですよ」


「え、そうなんですか!?」


「はい。かなり迷いましたが、妻が背中を押してくれましてね。収入は少し減りましたが、前の仕事よりも自分に合っているようで、無理なく働けています」


「そうなんですか! よかったですね!」


「はい。これも白井さんがアドバイスしてくださったおかげです。本当にありがとうございました」


「いやーそんな……。でも嬉しいですね! お客さんが幸せになってくれるのって!」


 喜美が心から嬉しそうに笑う。5月のあの日、転職をためらっていた山本さんに、喜美は殻を割って自分の可能性を試すように助言していた。あの言葉を受けて山本さんは実際に殻を割り、新しい幸せを摑み取ったということか。


「じゃ、あたしはさっそく卵焼きの準備するから! 涼ちゃんメニューとお冷よろしく!」


 山本夫妻を席に案内した後、喜美が張り切って厨房に戻っていく。が、そこで再び引き戸が開いたので立ち止まった。大柄の中年男性と制服を着た女の子が入ってくる。


「あ……大原さんですよね! 茜ちゃんも!」喜美が2人を見て叫んだ。


「どうもお久しぶりです」大原さんが大きな身体を丸めて頭を下げた。

「来よう来よう思うて、なかなかお邪魔できんですんませんでした」


「いえいえそんな! また来てもらえただけで嬉しいです! 前に来られたのって確か夏くらいでしたよね?」


「確かそれくらいやったと思いますわ。あれから茜の高校の復学手続きやら進学先やら調べるのに忙しくて、なかなか時間が取れんかったんですわ」


「そうなんですか! ってことは、茜ちゃんも今は高校に?」


「はい。あれ以来真面目に通っとります。夜遊びすることもなくなりましてな。これもみんな白井さんの出汁巻きのおかげですわ」


「いえいえそんな! お2人がきちんと気持ちを混ぜ合わせたからですよ!」


 喜美が照れたように笑う。

 大原さん親子が店に来たのは去年の梅雨頃だったか。夜遅くに1人で店にいた茜ちゃんを大原さんが追いかける形で来店した。あの時の親子はぎくしゃくしていたが、その後喜美の提案により2人揃って来店し、そこで話をする機会が持てた。あの時は茶髪に着崩した制服という派手な外見をしていた茜ちゃんも、今は髪を黒髪に戻し、どこにでもいる女子高生に戻っていた。親子の関係は無事に修復されたらしい。


「ねぇ、あの出汁巻きまだあんの?」茜ちゃんが喜美に尋ねた。

「あれ超美味かったから、また食べたいなってずっと思ってて」


「もちろんあるよ! 家ではあんまり出汁巻き食べないの?」


「父さんがたまに作ってくれるけどべちゃべちゃで。やっぱ母さんと違って料理下手くそだよね」


「何やと?」大原さんが娘を睨む。

「茜、俺はお前が出汁巻き食べたい言うから難しいの承知で作ってるんやぞ? それを下手くそとはどういうことや?」


「だって不味いのは事実だし。この人が作ってるとこ見せてもらって勉強しなよ」


「まったくお前は……。白井さん、また実演調理してもらってもええですか?」


「もちろんいいですよ! ……あ、でも、別のお客さんに卵焼きもお見せするんで、出汁巻きはその後になっちゃいますけど」


「そんなら卵焼きの方も一緒に見せてもらいますわ。違いがわかった方が出汁巻きも作りやすくなるかもしれませんしな」


「わかりました! じゃ、出汁巻きの準備もしないと……涼ちゃん、案内よろしく!」


 喜美がいそいそと厨房に戻っていく。久しぶりに客が2組も来て張り切っているのがよくわかる。

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