12−4
「ん……涼太か?」
俺が考えに耽っていると誰かが声をかけてきた。振り返ると、本田さんが歩道を歩いてこちらに向かってくるのが見えた。確かこの前も同じようなことがあったな、と昔のことのように思い出す。
「あ、本田さん。今日も仕事ですか?」
「いや、今日は休みだ。たまたま近くで用事があって、どうせなら喜美ちゃんとこで飯食ってこうと思ったんだが、さっき店が14時までってことを思い出してな。うっかりしてたよ」本田さんがこめかみを搔いた。
「本田さんなら時間外でも大丈夫じゃないですか? あいつも融通利かせてくれると思いますよ」
「そりゃ有り難いが……俺1人のために迷惑じゃないかねぇ」
「逆に助かると思いますよ。今日も客少なくて暇でしたし」
言ってすぐに俺は不愉快になった。何でこんな冷めた言い方しかできないんだ。
「……店は変わらずかい?」本田さんが声を潜めて尋ねてきた。
「……はい。今日も5組くらい来ただけです。土曜なのに少ないですよね」
「あぁ。土日の飲食店なんざ普通はもっと忙しいもんなんだがな……。表通りの店に客取られてんのかもしれねぇな」
「ここは奥まった場所にありますからね。それにメニューとかサンプルがなくて入りにくいってのもあると思います」
「あぁそうだな。看板だけじゃなかなかイメージがしにくいからな。俺も何回か言ったんだぜ。せめてお品書きくらい置いたらどうだいってな。
でも喜美ちゃんは断った。まずはこの『たまご食堂』って店の名前に興味を持ってほしいんだってな。どんな料理があるかは入ってからのお楽しみにしたいんだと」
あいつらしい考え方だ。でも食堂の名前だけで客の気を引けるほど世の中は甘くないんだろう。
「俺もあれから現場の若い連中に声をかけてるんだ」本田さんが言った。
「気のいい女の子が美味い飯を食わせてくれる店があるから一回行ってみろってな。実際連れてきてやったことも何回かあるが、なかなかリピーターにまではならなくてな」
「そうなんですか……。こんなに美味いのに何ででしょうね?」
「どうもあの子の接客が合わなかったみたいだな。あの子は客との時間を大事にしたくていろいろと話しかけてくるが、今の若い連中はそうやって干渉されるのが嫌らしいんだ。飯だけ食えりゃいい、って奴が大半なんだろうよ」
確かに俺も、たまご食堂に来たての頃はやたらと絡んでくる喜美に嫌気が差していた。でも今は、それがこの食堂の持ち味だということがよくわかる。
「でも、あいつと話すのが楽しいからここに来るって客もいますよね?」
「あぁ、俺なんかはまさにそうだよ。喜美ちゃんと話してるとこう、元気をもらえる気がしてな。仕事の疲れも一瞬で吹き飛ぶってもんだ」
「あいつはバカみたいに明るいですからね……。悩んだり落ち込んだりしてても、話してるうちにどうでもよくなるのかもしれませんね」
「あぁ、悩みなんぞ笑い飛ばしちまうくらいのパワーがあるからな、喜美ちゃんには。その良さを理解できる奴が減っちまったのは残念だよ……」
本田さんが嘆くように言って肩を落とす。その気持ちは俺にもよくわかった。
俺自身、最初はうっとうしいとしか思っていなかった喜美の絡みが、何回も会ううちに楽しいと思えるようになっていた。人嫌いの俺ですらそうなんだから、他にも同じように思う奴はいるはずだ。あいつに元気をもらい、あいつにまた会いたいと思う人が――。
「……って、ちょっと待てよ」
そこで俺ははたと動きを止めた。本田さんが怪訝そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「どうした? 涼太」
「いや……ちょっと引っかかることがあって。本田さん、今言いましたよね。あいつの良さを理解できる奴が減ったって……」
「あぁ。あの子は料理だけじゃなく、会話でも客を楽しませてくれる。でも、そういう店員との関わりを求めてる客は今の時代少数派なんだろうよ。大抵の奴は飯だけ食えば満足して帰っちまう。この食堂に来てる客もそういう奴が大半で……」
「いや……そうでもないですよ」
「何?」
本田さんが眉を上げて俺を見つめてくる。俺は少し迷ってから続けた。
「……あいつの良さを理解してるのは本田さんだけじゃない。あいつが今までやってきたことの中に、店を助けるチャンスがあるかもしれません」
本田さんが不可解そうに目を細める。俺が何を言っているのかわからないのだろう。俺自身、どういう言い方をすれば自分の考えを伝えられるかわからなかった。
「……涼太、お前さん、何か考えがあるみたいだな」
しばらくして本田さんが呟いた。いつになく神妙な顔で俺を見下ろす。
「よかったら話しちゃあくれねぇか? 他でもない喜美ちゃんのピンチなんだ。俺もできることなら協力するからよ」
「でも……俺、自分でもあんまり考えまとまってなくて。それに上手くいくかどうかもわからないですし……」
「いいから言ってみろよ。何もしねぇよりはよっぽどマシだろうが。な?」
本田さんが力強く言って俺の肩を叩く。にかっと歯を見せて笑う姿はいかにも頼もしい親方らしく、それを見ているうちに俺の中の迷いも少しずつ解消されていった。
俺は自分も決意を固めると、本田さんに自分の考えを話すことにした。
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