12−3

 それから1週間が経ったが、客の入りに大した変化はなかった。平日の昼間は大半が無人で、たまに大学生らしき若者がふらりと立ち寄って定食だけ食ってさっさと帰っていくくらいだった。夜になれば仕事帰りらしいサラリーマンやOLがぽつぽつ来るがそれも数える程度で、繁盛にはほど遠い。


 土日になればもう少し客が増えるかと思ったがそれも微々たるもので、大多数の人は店の前を素通りするか、看板だけ眺めて立ち去ってしまっていた。

 たまご食堂は路地を入ったところにあるから、そもそも存在を知らない客が大半なのかもしれない。俺だって前のバイト帰りに気まぐれで路地を歩かなければここに食堂があるなんて気づかなかった。でも、こんなに良心的な店が存在を知られることもないまま廃業に向かっていると思うとやるせなくなる。




 そうして時間ばかりが過ぎたある日、俺は昼のシフトを終えて帰宅しようとしていた。今日は土曜日だが、やはり客の入りは芳しくなく、午前中も老夫婦1組とOLらしき女性2人組、その他新規の客が2、3人来ただけだった。老夫婦と女性2人組は何回かたまご食堂に来ているらしく、客が少ないことを心配していた。だが喜美はいつもの調子で「みんな冬眠してるだけですよ!」と呑気に答えていた。

 皿洗いをしながらその発言を聞いていた俺は、ふざけてる場合じゃないだろ、本当にヤバイって言えよと何度も突っ込みたくなったが、本田さんの忠告を思い出してぐっと堪えた。


 店を出たところで立ち止まり、改めてたまご食堂の外観を眺める。看板こそ出しているものの店の前にはお品書きも食品サンプルもない。これでは新規の客は入りにくいだろう。おまけに店自体も古い造りなので余計に敷居の高さを感じさせる。引き戸を開ければ美味い飯と気楽な時間が待っているのに、入りにくい外観のせいで客を逃しているのだと思うと何とももどかしかった。


「何かねぇのかな……。もうちょっと客増やす方法……」


 店の外に立って呼び込みでもしてみるべきだろうか。でも俺が急に仕事熱心になったら喜美に怪しまれるかもしれない。本田さんは俺に今までと同じように喜美に接しろと言った。喜美は俺に同情されることを望んでおらず、ただ残された時間を俺と一緒に過ごしたいのだからと。

 でも、日々売り上げが落ちている現状を見ておきながら、何も知らない振りを続けるのは辛い。それ以上に辛いのは、喜美が未だに俺に何も言ってこないことだ。


 喜美の態度は驚くほど前と変わらなかった。いつも通り底抜けに明るくて、冗談を言って客を笑わせて、美味い飯を作るために精魂を尽くして。端から見れば店の経営が危ないなんて誰も気づかないだろう。事情を知っている俺でさえ、本田さんの方が冗談を言っていたのではないかと疑うくらいだ。


 でも、事実として店は傾いていて、客からも心配されるほど危ない状態にある。それでも喜美は絶対に辛そうな顔をしない。明るさという殻の中に、本当の気持ちを閉じ込めている。


 俺はため息をついてたまご食堂に背を向けた。喜美はこのまま俺に何も言わずにいるつもりかもしれない。最後まで『いつも通り』の時間を過ごして、ある日突然いなくなる。1週間前のあの時と同じように、俺が店にいったら店内には誰もいなくて、レジの後ろを探してもやっぱり喜美の姿はなくて、俺は途方に暮れた顔で厨房に向かう。冷蔵庫にたっぷり入っていた食材や調理器具なども全て消えていて、何もないキッチン台の上に置き手紙だけがあって……そんな不吉な想像が浮かんだが、俺は頭を振ってその映像を打ち消した。


(……とりあえず帰ろう。どうせここにいてもできることないしな)


 よくよく考えたら、アルバイトでしかない俺が店の経営について悩むこと自体がおかしいのだ。店のことは喜美の問題であって、俺には関係ない。収入がなくなるのは痛いが、新しいバイト先くらい探せばすぐに見つかるだろう。コンビニでも、別の飲食店でも、とにかくたまご食堂のことを忘れられる場所ならどこでもいい。次のバイト先が決まっていれば、喜美も遠慮なく店を畳めるだろう。

 だから俺は何もしない方がいい。喜美が新しい春を迎えるためには、このままの関係で別れた方がいいのだ。

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