12−2

「りょーおーちゃん!」

「うわっ!」


 急に背中に重みを感じて俺はスマホを取り落としそうになった。急いで振り返ると、いつの間にか背後にいた喜美が俺の背中に飛びついていた。


「な……何だよお前、いたのか。驚かすなよ」


 俺は心臓をバクバクさせながら答えた。いきなり喜美が表れて驚いたが、なぜかそれ以上に安心している自分がいた。


「へへ、レジ台の裏に隠れてたんだ! 全然気づかなかったでしょ? 作戦大成功だね!」喜美が得意げに笑った。


「作戦?」


「そう。名づけて『涼ちゃんドッキリ大作戦』! 涼ちゃんが久しぶりに出勤したらお店は空っぽ! その時涼ちゃんはどんな反応をするか!? いやーこういう企画考えるのって楽しいよね!」


「……楽しむなら1人で勝手にやれ。心臓止まるかと思っただろ」


「お、そんなにびっくりしてくれた? あたしがいなくなったと思って焦った?」


 喜美が興味津々な様子で身を乗り出してくる。その通りだとは口が裂けても言えず、とりあえず不機嫌そうな顔を作ってくっついたままの喜美を引き剥がした。


「つーかお前そんなはしゃいで大丈夫か? 病み上がりなんだから大人しくしてりゃあいいのに」


「そうなんだけど、久しぶりにお店に出てこられて嬉しくってさ! つい羽目外したくなっちゃって」


「久しぶりっつったって3日しか経ってないだろ。そんなに喜ぶことか?」


「そりゃそうだよ! あたしにとってはお店にいられる1日1日が大事なんだから!」


 喜美が満面の笑みで言う。表情が明るいだけにかえって台詞が突き刺さった。


「……とりあえず着替えてくる」俺はロッカーに向かいながら言った。「今日昼間は忙しかったのか?」


「うーん、いつもとあんまり変わんないねぇ。1時間に1人か2人来るくらい」


「……そっか」


 聞く前から予想はしていたが、実際に聞くとますます憂鬱な気分になった。何かのきっかけで客足が伸びていれば、と期待していたのだが、現実はそんなに甘くない。


「……あのさ、前も言ったけど、売り上げ下がってんなら俺のシフト減らしてもいいんだぞ」俺はエプロンを着けながら言った。「今くらいなら1人でも十分回せるだろうし……」


「え? あ、うーん、そうだねぇ……。まぁでももうちょっと続けてくれない? もしかしたら急に忙しくなるかもしれないし!」


「でも……本田さんから聞いたけど、前もっと忙しかった時もお前1人で回してたんだろ? だったら今なんて余裕だと思うけど」


「まぁいいじゃん! 店長のあたしがいいって言ってるんだから! 涼ちゃんだってせっかく慣れたとこ辞めたくないでしょ?」


「まぁ……辞めたくはない、けど」


「だったら細かいことは気にしない! ほら、言ってる間に5時だよ! 仕事仕事!」


 喜美が張り切って言って厨房に戻っていく。でも開店してもすぐに客が来るなんてことはなく、20分くらい経っても店内は静かなままだった。喜美はめげずに野菜を切り続けていたが、そうやって切った野菜がどれだけ客の胃袋に入るのかと考えると虚しくなる。


 少しも汚れていないテーブルを拭きながら俺は小さくため息をついた。たまご食堂の経営が危ないのは本当のようだ。このまま行けば春を待つまでもなく廃業するかもしれない。

 当たり前のように過ごしていたこの時間がなくなるのだと思うと、またしても気持ちがもやもやしていくのを感じた。

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