11−9

「そうか。風邪のことは心配だが……とりあえず店がやってるってわかって安心したよ。てっきりもう畳んじまったのかと思ったからな」


 何気なく口にされた本田さんの言葉が俺の耳に引っかかった。今何て言った?




 ――畳む?




 ――




「あの、本田さん、どういうことですか? 閉店する話なんて聞いてませんけど」


「そうなのか?」本田さんが目を丸くする。「俺はとっくに知ってるもんだと……」


「いや知りませんよ。どういうことですか? この店、なくなるんですか!?」


 思わず大きな声が出たが、構わずに俺は本田さんに詰め寄った。本田さんが気まずそうに視線を逸らす。


「……あぁ、ここんとこどうも経営が苦しいみたいでな。売り上げが下がってんのは知ってんだろ?」


「知ってますけど……でもあいつ全然気にしてませんでしたよ。客が冬眠してるって言ってたくらいで」


「そりゃただの冗談だよ。あの子だって経営者だ。売り上げが落ちて笑ってるだけじゃいられねぇだろうさ」


「そうですけど……だからって急に閉店なんて……」


 不器用なくせに頑張って料理を勉強して、京都から単身で上京して、やっとの思いで開いた食堂だ。きっと愛着だってあるだろう。そんな店を、一時的に売り上げが下がっているからといって喜美が簡単に畳むとは思えない。それとも、愛着があっても手放さなければいけないほど赤字に追い込まれているのだろうか。


「……急な話じゃねぇんだよ」本田さんが暗い顔で言った。

「本当はな、去年からずっと売り上げは下がってたんだ。ただ今ほど目立たなかっただけでな」


「そうなんですか?」


「あぁ、お前さんも気づかなかったか? この店の客がよそより少ないってこと」


 確かに、俺が客として来ていた頃も、俺以外に客がいないことも珍しくなかった。あの時は大して気に留めていなかったが、実は経営は火の車だったのか。


「俺がこの店に来たての頃は、ここももっと賑わってたんだよ」本田さんが続けた。

「確か5年くらい前だったか。あの頃は昼も夜もひっきりなしに客が来てて、いつ来ても店は満席だったよ。そんな店を1人で回してんだから大した嬢ちゃんだって思ってたんだ」


 5年前といえば喜美はまだ23歳だ。社会に出たばかりの女が知らない土地で1人店を経営して、きっと苦労も多かっただろうに、それを全く見せずに明るく振舞う23歳の喜美の姿が容易に想像できる。


「でも、一昨年くらいからだんだん客が減ってきてな。昔から来てる客も今は俺くらいになっちまった。前は店に来りゃあだいだい1人か2人は知ってる顔がいたのに、今は知り合いに会う機会もめっきり減っちまってな。寂しいもんだよなぁ」


「……何でそんなに減ったんですか? ライバル店が近くにできたとか?」


「いや、単に飽きられただけだろうよ。飲食店ってのは元々続けていくのが厳しい業態なんだ。開店したての頃は物珍しさもあって客も来るが、大抵の奴は1回来て終わっちまう。若い奴なんかは特にチェーン店の方に流れちまうしな」


 確かに俺自身、普段は知らない店にはまず入らない。下手に冒険してまずい飯を食わされるくらいなら、行き慣れた店の方がいいと考えてしまうのだ。たまご食堂に来たのだって、たまたま違う店に入りたい気分だったからで、少しでも気分が乗らなければやはりチェーン店に入っていただろう。


「……でも、あいつはすごく頑張ってるんですよ。お客さんに飽きられないように毎月新しいメニュー考えて……。先月だって親子丼を追加してましたし」


「あぁ、俺も食ったよ。あんな料亭並みに美味い親子丼は俺も食ったことがねぇ。それを千円以下で食わせてくれるってんだから客としちゃあ有難いがが……そのせいで余計に儲からねぇのかもしれねぇな」


「それがあいつのやり方なんだと思います。美味い料理を安い値段で食ってもらう。儲かるかどうかより、客に喜んでもらうことの方が大事なんです」


「あぁ、わかるよ。喜美ちゃんはそういう子だ。でもな、そういう良心的なやり方をいつまでも続けられるほど飲食業界は甘くねぇんだよ。

 俺の同僚にも飲食店上がりの奴が何人かいるが、大抵の店は3年以内に潰れちまうそうだ。新しい店はどんどん出てくるし、客は1つ1つの店のことなんていちいち覚えちゃいない。そういう中で生き残っていくためには、やっぱりしたたかさも必要なんだろうよ」


 したたかさ。常にまっすぐで全力投球な喜美には似合わない言葉だ。

 でも本田さんの言うこともよくわかる。この店はあらゆる意味で客に親切すぎる。和洋中を全部揃えて、客の要望に応えてメニューにない料理を作って、知り合いだからといって値段を半額にして、そんな採算度外視の経営をして赤字にならないはずがない。

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