11−8

「ん? やけに静かだな。今日は休みなのか?」


 急に後ろから声がして俺は飛び上がりそうになった。考えに耽っていたせいで客が入ってきたことに気づかなかったらしい。


「あ……すいません。今日はやってないんです。表に張り紙しといたんですけど……」


 謝りながら俺は振り返ったが、そこにいる客の姿を見て目を丸くした。角刈りの頭にねじり鉢巻きを付けたガタイのいい中年男性が一人で立っている。常連の本田さんだ。


「あれ、本田さん? どうしたんですかこんな時間に」


 俺は困惑しながら尋ねた。本田さんは毎週のように店に来るが、時間はだいたい仕事終わりの18時くらいだ。今はまだ14時前で、昼に来るのは珍しい。


「いや、今日はたまたま近くの現場に来てたんだが、仕事が長引いちまって昼飯食いそびれちまってよ。で、さっきやっと一段落して、せっかくだし喜美ちゃんのとこで天津飯でも食ってこうかと思ってな」


 本田さんが首にかけたタオルで額の汗を拭いながら言った。本田さんが大工の親方をしていることは本人から聞いて知っている。毎日外で仕事をするなんて、暑がりで寒がりの俺には絶対無理だなと聞くたびに思っていた。


「そうなんですか。でもこの店元々14時から17時までは休みなんですよ」


「そうなのか? そりゃ知らなかったな。じゃあ喜美ちゃんは一回家帰ったのか?」


「いや、あいつは今日来てません。風邪引いて朝から寝込んでるんです」


「風邪? 喜美ちゃんが?」


「はい。ちょっとびっくりですよね。あいつが病気するイメージとかないですし」


「確かになぁ。普段は元気すぎて病原菌の方から逃げていきそうなくらいだもんなぁ……」


 本田さんがさも意外そうに息をつく。考えることはみんな同じってわけだ。


「でも実際具合悪そうでしたよ。飯も1人で食えないくらいで」


「そりゃ心配だな……。ん、ちょっと待て涼太。何でお前がそんなこと知ってるんだ?」


「え、それは……」


「まさかお前、嫁入り前の女の子の家に1人で行ったんじゃないだろうな? え?」


 本田さんが鬼のような形相になってずいと顔を近づけてくる。この人は喜美のことを実の娘同然に可愛がっている。そんな人の前で今日あったことを正直に話したらのみで目玉をくり抜かれかねない。


「い、いやその、電話で聞いたんですよ。お粥作ったのはいいけど手に力が入らなくて食べられないって。だから果物にしとけってアドバイスして、林檎一口だけ食ったみたいです」


 事実を交えながらしどろもどろに答える。本田さんはまだ疑るような目を向けてきたが、一応納得したようでふんと鼻を鳴らした。視力を失わずに済んで俺はほっとする。

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