11−5

 クローゼットを開ける時には少し躊躇したが、中にはハンガー掛けにされた衣類が並んでいるだけで変なものは見当たらなかった。店で会う時はいつもTシャツの上にエプロンを着けた格好をしているため、ファー付きのコートやらワンピースやらの女の子っぽい服が並んでいる光景は新鮮だった。あいつも女なんだよな、と当たり前の事実を認識し、自分がその部屋を物色して回っていることに変な後ろめたさを感じてしまう。


 ぞうきんを持って寝室に戻り、布団の上に零れたお粥を拭き取ってからまた部屋を出て新しいお粥を取りに行く。なるべく時間をかけてそれらのことをしたが時計を見ると10分も経っていなかった。とうとうをやる時がきてしまった。


 俺はぎこちない足取りでベッドに向かうとのろのろと椅子に腰掛けた。もぞもぞと動いて上体を起こす喜美を横目に見ながら、片手に蓮華、片手に茶碗を持ってスタンバイする。でもいざそれをしようと思うとうやっぱり恥ずかしい。


「……ほら」


 何と声をかければよいかもわからなかったので、とりあえず適当な量のお粥を掬って蓮華を喜美の口元に差し出してみる。間違っても「あーん」なんて言ってやらない。


「あ……ごめん。ちょっと熱いかも……」


 口を開けかけた喜美が申し訳なさそうに言う。土鍋に入っていたせいか卵粥は温かさを保っていて、茶碗からもほのかな湯気がから上っている。俺は渋々蓮華を引っ込めた。


「……冷ますのくらい自分でできないのか? 唾入るかもしれないのに」


「うーん……。加減がよくわかんないんだよねぇ……。強く吹いてまた零しちゃってもやだし……」


「息かけるくらいじゃ零れねぇだろ。象じゃねぇんだから」


「そうだけど……。うーん……ついでだしやってくれない?」


 とろんとした目で見つめられると無下に断る気にもなれない。俺は仕方なく蓮華を自分の口元に持ってきてかるーく息を吹きかけた。2、3回繰り返したところで再度喜美の口元に蓮華を運ぶ。今度は喜美も大人しく食べた。


「わぁ……あったかいねぇ……。なんかこの辺ぽかぽかしてきたよ」


 喜美が片手を胸に当てて顔を綻ばせる。俺は何とも返事ができずにぐりぐりと卵粥を混ぜ合わせた。何だろう、いちゃついてるつもりはないのにものすごく恥ずかしい。


「……卵粥ってどうやって作るんだ?」俺は気恥ずかしさをごまかそうと尋ねた。「普通に鍋に水に入れて卵とご飯混ぜればいいのか?」


「ううん……それは雑炊とかおじや……。卵粥はねぇ……お米炊くとこからするんだよ……。普通のご飯より水多めにして……30分くらい炊いてから卵入れて……」


「あぁ詳しい説明はいいから。にしても、よく自分で料理する気になったよな。お粥ならコンビニとかでも売ってただろ」


「普段から料理してるとなかなか売ってるもの食べる気になれなくて……。どんな調味料使ってるかわかんないからねぇ……」


「そうだけど、病気の時くらい使えばいいだろ。無理して作らなくたって……」


「そうだねぇ……。でもあたし頼るの苦手で……げほっ」


 喜美が口に手を当てて空咳を漏らす。口に当てた手に米粒が付いていた。その後も喜美はこんこんと咳を続けて一向に収まる気配がない。


「おい、大丈夫か?」


 慌てて声をかけたもののやはり咳は止まらない。少し迷ってから俺は背中を擦ってやることにした。蓮華と茶碗をテーブルに置き、立ち上げってふわふわとしたパジャマに触れる。何度か擦ったり叩いたりしているうちにようやく咳が収まってきた。


「……やっと止まった」俺はため息をついて椅子に座った。「ったく焦らすなよ。喉詰まらせたかと思っただろ」


「うん……ごめん」喜美が項垂れた。

「っていうかこれじゃ涼ちゃんに風邪移しちゃいそうだね……。もう帰ってもらった方がいいかも……」


「だから人のことは気にすんなって。それよりほら。早く食わないと卵粥冷めるぞ」


「うん……でもやっぱりいいよ。涼ちゃん恥ずかしいでしょ? 顔に書いてあるよ。『何で俺がこんなことしなきゃいけないんだ』って」


「……まぁ、そりゃ恥ずかしいけど、でも自分じゃ食えないんだからしょうがないだろ」


「うん……。じゃ、もうちょっとだけ……」


 喜美が小さく口を開けたので再び蓮華を口に運ぶ。口に出されたせいでさっきよりも余計に恥ずかしく感じてしまう。


「ふふ……おいしいねぇ……」喜美がふにゃりと笑った。

「不思議だねぇ……。ただのお粥なのに何でこんなにおいしいんだろうねぇ……」


「……さぁな。お前が作ってるからじゃないのか」


「どうだろうねぇ……。ふふ……。でも嬉しいな……。涼ちゃんにこんなに優しくしてもらえるなんて……。あたし病気なってよかったかも……」


「……そういうこと冗談でも言うな。さっさと食ってさっさと治せ」


「うん……ごめんね……。ありがと……」


 謝罪も礼もいらないからさっさと元気になれ。でないといつものように軽口を叩くこともできない。そう思いながらも俺は口には出さずに新しいお粥を蓮華で掬った。

 なぜか身体が熱い。本当に風邪を移されたのかもしれない。

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