11−4
寝室はキッチンやリビングよりもごちゃごちゃしていた。床には黄色と白の丸形のクッションが散らばり、棚には腰回りに殻を付けたひよこのぬいぐるみが並んでいる。何て言うか、実に喜美らしいセレクトだ。机の上に広げっぱなしになっているのはレシピノートだろうか。細かい文字でびっしりと書き込みがあり、吹き出しやイラストも描かれてカラフルだ。本棚には本がぎっしりと詰め込まれ、「秘伝のレシピ」「究極の料理人」といった料理本から、「飲食店開業の極意」「選ばれる店になるためには」といった経営に関する本が並んでいる。家でも勉強熱心なようだ。
その部屋の端っこにあるベッドに喜美は横たわっていた。枕を二重にして頭を高くし、おでこに濡れタオルを乗せている。頬はさっきよりも赤くそれこそ林檎みたいになっている。外気に触れたせいで熱が上がったのだろうか。
「おい、大丈夫か? 何かさっきより具合悪そうに見えるけど……」俺はベッドに近づきながら言った。
「うーん、確かに身体はちょっと熱いかも。薬飲んだんだけどねぇ……」
喜美が弱々しく言って首を傾ける。動いたせいでおでこに乗せたタオルが少し横にずれた。冷えピタでも貼ればいいのにと思いながら俺はタオルの位置を直してやった。
「……だから無理すんなっつってんのに。これじゃ当分店は無理だな」
テーブルにお盆を置き、近くにあった椅子を引っ張ってきてベッドの横に座る。ベッドに横たわる喜美は呼吸も苦しげで、本当に病気なんだということを改めて実感する。
「……うーん、そうみたいだねぇ。でもこれじゃまた売り上げ減っちゃうねぇ……。そうでなくても最近お客さん減ってるのに……」
「まぁしょうがないだろ。今は早く治すことだけ考えろよ。林檎食うか?」
「うん、食べる……。これ、涼ちゃんが剝いてくれたの……?」
「あぁ。あんまり綺麗に剝けなかったけどな」
お盆に乗った皿の方を見る。8分の1サイズに切った林檎はところどころ角張っていて身がかなり削れてしまっている。見た目は悪いが慣れてないからしょうがない。
「そっかぁ……。へへ……でも嬉しいなぁ……。涼ちゃんがあたしのために切ってくれたんだねぇ……」喜美が口を開けてへにゃりと笑う。
「……別に大したことじゃないから。ほら、食えよ」
ぶっきらぼうに言ってフォークを林檎に突き刺し、皿を喜美に押しつける。喜美は受け取って林檎を口に運ぼうとしたが、そこでお盆の方を見て手を止めた。
「あ……、あれも持ってきてくれたの……?」
「あれ?」
「うん……。卵粥……。なんか食べなきゃって思って作ったんだけど、涼ちゃん来たからすっかり忘れてたよ……」
そういえば一緒に持ってきたんだった。しかし作った料理を忘れたとは喜美らしくもない。思い出す気力もなかったということだろうか。
「先にこっち食うか? お粥の方が腹に溜まるし」
「うーん。そうだねぇ……。あったかいうちに食べた方がいいもんねぇ……」
「じゃ、これ。食うかわかんなかったからちょっとしか入れてないけど」
茶碗に蓮華を突っ込んで喜美に差し出す。すぐに受け取るかと思ったのに喜美はなぜかぼんやりしている。俺が怪訝そうに見ていると、喜美がおずおずと口を開いた。
「あ……あのね涼ちゃん、甘えついでに……お願いしてもいいかな……?」
「何を?」
「その……できたら……、食べさせてほしいな……、なんて……」
言いながら喜美の頬がますます赤くなっていく。俺はしばらくぽかんとしていたが、言葉の意味が腑に落ちるにつれて自分も顔が赤らむのを感じた。
「あ……その……嫌だったらいいんだよ……。っていうか嫌だよね……。彼女でもない人にご飯食べさせるなんて……。ごめん、忘れて……」
喜美が弱々しく笑って林檎の皿をベッドの平らな部分に置き、代わりに茶碗を受け取ろうと手を伸ばす。が、力が入らなかったらしく茶碗は手から滑り落ちてしまった。粥が布団の上に零れ、黄色い染みが広がっていく。
「あぁもう何やってんだよ……。拭くもんあるか?」俺は立ち上がりながら尋ねた。
「あ、ごめん……。えーと、箪笥の中に使ってない下着ならあるけど……」
「……いやさすがにそれは駄目だろ。ぞうきんとかないのか?」
「あ、えーと……クローゼットに掃除用具があったと思う」
「クローゼットな。勝手に開けて大丈夫なのか?」
「うん……。見られて困るものは入ってないと思う」
「じゃ、それ取ってくる。ついでにお粥のおかわりも取ってくるよ」
「あ、お粥はもういいよ……。後から自分で食べるし……」
喜美はそう言って片手を振って見せたが、その手には相変わらず力が入っていない。これでは茶碗を持たせたところでまた零すだけだろう。林檎なら落としても拾えば済む話だが、お粥ではそうもいかない。
俺はしばらく迷ったが、やがて観念して息をつくと言った。
「……どうせ食うなら作りたての方がいいだろ。新しいの取ってくるから」
「え、でも……」
「いいから。俺が手伝ったら食えるんだろ?」
「うん……たぶん」
「……じゃあやるよ。あ、別に彼女がどうとかじゃなくて、病人だからするだけだから」
「それはわかってるけど……本当にいいの……?」
「……いいよ。栄養あるもん食ってさっさと治せ。でないとバイト代も入らないし」
「そっかぁ……。じゃあ待ってる……」
消え入るような声で言って喜美が布団を口まで持ち上げる。顔が赤いのを隠したいのかもしれない。俺も気恥ずかしさを振り払うようにさっさと部屋から出て行った。
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