11−3

 室内は思ったよりも広く、1LDKはありそうだった。キッチンにはさすがにこだわりがあるのか広々としていて、使い込まれた調理器具がきちんと整理して並べられている。リビングには黄色いカーペットが敷かれ、真ん中に白いダイニングテーブルが置かれている。壁紙は薄黄色で、ソファーや棚、カーテンなどの家具は白で統一されている。部屋まで卵カラーなのは意識しているのだろうか。


「とりあえず座ってよ……。今お茶入れるから……」


 喜美が言ってふらふらと冷蔵庫に向かう。だが足取りが明らかにふらついていたので俺は手首を摑んで引き留めた。


「だから無理すんなって。病人なんだから大人しく寝てろ」


「でも……お客さんにお茶くらい出さないと……」


「別に遊びに来たわけじゃねぇから。むしろお前は見舞われる側だろ」


「まぁ、そうだねぇ……。あ、そういえば果物買ってきてくれたんだっけ……?」


「あぁ、メロンも林檎もみかんも買ってきたから」


 手に提げていたビニール袋から果物の詰め合わせを取り出す。最初はスーパーに行ったのだが、適当なものが見つからなかったのでデパートに行ってこれを買ってきた。普段お見舞いなんて行かないから選ぶのにも苦労した。


「わぁ、美味しそう……。でも高かったんじゃない……?」


「値段のことなら気にしなくていいから。こないだバイト代も入ったしな」


「そっかぁ……。ホントにありがとねぇ、涼ちゃん……」


 いちいち気の抜けた声で礼を言われるとますます調子が狂う。ここにいるのは本当にあの喜美なんだろうかと疑いたくなる。


「……今食うか? 林檎ぐらいだったら剝いてやってもいいけど」


「あー、うん。そうだねぇ……。じゃあお言葉に甘えちゃおっかなぁ……」


「じゃあ剝いてやるからその間に寝てろよ。包丁どこだ?」


「シンクの下の左から2番目のドアの中……。一番手前にあるのが剝きやすいと思う」


 言われた場所を開けると包丁が5本並んでいた。用途に合わせて使い分けているのだろう。一番手前にある包丁を取ってテーブルに戻ると、喜美が呆けた顔で座っていた。


「何だよ。寝てろっつっただろ」


「うーん……。でもやっぱり悪いし……」


「何で今日に限ってそんなしおらしいんだよ。普段そこまで気ぃ遣ってないだろ」


「だってさ……今日お店休んだ分バイト代払えないんだよ? なのにこんな看病してもらっちゃって……」


「こんな時までバイト代のことなんか気にすんなよ。自分の身体の心配だけしてろ」


「でも……」


「あーもうめんどくせぇな。ほら、いいから立てよ」


 包丁をテーブルに置き、喜美の二の腕を摑んで立たせる。ふらふらと立ち上がった喜美の身体は驚くほど軽かった。そのまま寝室の方へ連れて行って部屋に押し込む。


「用意できたら持ってってやるからそこで寝てろ。勝手に出てくんなよ」


「……わかった。今日の涼ちゃんは優しいねぇ」


「病人なんだから当たり前だろ。じゃ、閉めるぞ」


 喜美がベッドに入ったのを確認してから寝室の扉を閉める。自分が人の世話を焼いているなんて確かに奇妙だとは思うが、ここまで弱っている姿を見せられたら柄でもない行動も取りたくなる。


「……とりあえず林檎だな。まず皮剝いて……いや、先に芯取った方がいいのか?」


 普段果物なんて食べないので剝き方一つとっても迷う。丸ごと剝くのはハードルが高そうだったので半分に切ってから芯を取ることにした。テーブルの上にティッシュを敷き、その上で慎重に皮を剝いていく。バイトでは野菜の下処理もしているので包丁の扱い自体は前よりも慣れたが、慣れない食材を切るのはやっぱり少し緊張する。


(……そういや、あいつも昔は不器用だったんだっけ。林檎の皮剝いても指切ったりしてたのかな)


 料理人になる前の喜美は包丁もまともに扱えなかったとあいつの母親から聞いた。今なら林檎のうさぎくらい簡単に作れそうなほど器用なのに、人は見かけによらないものだ。


(あの状態じゃ包丁握らすのも危ないよな……。とりあえず全部切っとくか)


 時々身の部分を犠牲にしながらも何とか皮剝きを終えた。食器棚から皿を取り出そうとキッチンに向かったが、そこでコンロの上に蓋をした土鍋が置いてあるのに気づいた。蓋を開けると、黄色い液体の中に米が浸かっている料理が見えた。卵粥のようだ。


(……自分で作ったのか。こんな時まで卵使わなくても……)


 単に栄養価が高いから入れただけかもしれないが、39℃も熱があるんだからシンプルに白米だけでよかっただろう。変にこだわって作ってる最中に倒れたらどうするつもりだったんだ。


(……食うかわかんねぇけど、これも一緒に持ってってやるか)


 茶碗を探して少量の卵粥をよそい、冷蔵庫にあった水をグラスに入れ、林檎と一緒にお盆に載せて寝室まで運ぶ。寝室に入る時はさすがに少しためらったが、意識してる場合じゃないだろと言い聞かせてドアをノックした。中から喜美の「はぁーい……」という蚊の鳴くような声が聞こえる。


「準備できたけど、開けて大丈夫か?」

「うーん、どうぞぉ……。鍵は開いてるから……」


 どうも玄関と勘違いしているらしい。こいつ大丈夫かと思いながら俺はドアを開けた。

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