11−2

 その後、言われたとおりたまご食堂に行って「本日休業」の張り紙をし、養鶏場の人への支払いを済ませた後で俺は喜美の自宅に向かった。喜美は郊外にあるマンションで一人暮らしをしているらしく、場所を聞いていても少し迷ってしまった。


 10分ほど付近を歩いたところでようやく目的のマンションに辿り着いた。そこは築30年は経っていそうな古びたマンションで、オートロックも付いていなかった。女の一人暮らしには防犯的にどうなんだと思いながら俺はエントランスを潜った。


 マンションは6階建てで、喜美の部屋は4階にあった。エレベーターで4階まで上がって「白井」という表札を探す。目的の部屋は一番奥にあり、俺はインターホンを押そうとしたところであることに気づいて手を止めた。


(……ちょっと待てよ、あいつって一人暮らしなんだよな。で、俺は今からそこに入ろうとしてるわけで……。あれ、これってまずいんじゃ?)


 いくら相手が病人とはいえ、一人暮らしの女の家に男が一人で入るのは問題だろう。でもすでに果物の盛り合わせは買ってしまったので引き返すこともできない。


(……いやでも、変に意識しない方がいいよな。あいつももう俺のこと何とも思ってないって言ってたし……)


 むしろ何とも思っていないからこそ部屋に上げるのだろう。異性じゃなくてただの友達だって思ってる証拠だ。俺はそう言い聞かせてインターホンを押した。


『はぁーい……。どなたですかぁ……?』


 間延びした喜美の声がインターホンから聞こえた。さっきよりも声がマシになっている。薬が効いているのだろうか。


「俺だよ。果物買ってきたから開けてくれ」

『あぁ……涼ちゃん。ごめんねぇ迷惑かけて。今開けるから待っててねぇ……』


 大儀そうに言ってインターホンが切れ、と、と、と廊下を歩く音が聞こえる。いつものように走る元気はないらしい。


 チェーンをがちゃがちゃ鳴らした後でゆっくりとドアが開かれる。パジャマの上にカーディガンを肩掛けした喜美がサンダルを引っかけて立っていた。パジャマは黄色地に白い水玉模様のデザインで、サイズが少し大きいらしく袖と裾が余って折り返されている。ソバージュの髪は下ろされていて、櫛を入れていないのか毛先が乱れている。


「あぁ……涼ちゃん、来てくれたんだねぇ。ごめんねぇわざわざ……」


「いいよ。それより大丈夫なのか? 熱下がったのか?」


「うん、さっき計ったら38.5℃だった。ちょっと身体はふらふらするけど平気だよ」


 そう言いながらも喜美の顔色は悪く全然平気そうではない。声も電話の時ほどガラガラではないとはいえ覇気がなく弱々しい。


「……無理しなくていいから、とりあえず中入れよ。外にいたらまた熱上がるだろ」


「あー、そうだねぇ……。でも部屋散らかってて……」


「そんなのどうでもいいから。あ、でも、俺が中入るの嫌ならこのまま帰るけど……」


「あー、ううん。そんなことないよ。むしろ1人だと心細いって言うか……居てくれた方が嬉しいっていうか……」


 喜美がもじもじしながら手を背中に回す。顔が少し赤くなった気がしたがたぶん熱のせいだろう。


「……わかった。あ、店の方はちゃんとやっといたから。張り紙もしたし、養鶏場の人に支払いもして卵は冷蔵庫に入れといた」

「そっかぁ、ありがとねぇ涼ちゃん。涼ちゃんがいてくれてよかったなぁ……」


 喜美がふにゃりとした笑顔を見せる。気の抜けた口調と表情に調子が狂ったが、風邪を悪化させてもいけないのでさっさと中に入ることにした。

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