10−9

「……さっ、そんなことより調理の続き続き!」喜美が気まずさを払うように大声を上げた。


「卵が準備できたら、いよいよ合わせ調味料を火にかけて材料を煮ていきます! 火加減は強火で、沸騰したら最初に玉ねぎを入れます! しんなりするくらいまで煮たら、お次は鶏肉を投入して3、4分くらい煮ます! 皮目を下にして、タレを全体に絡めるように混ぜながら煮ていくよ!」


 フライパンを火にかけてタレを流し入れ、ぐつぐつと煮立ったところで玉ねぎを投入する。時間が経ってから鶏肉を追加すると一気に親子丼らしくなってきた。


「鶏肉に火が通ったら火加減を弱火にして、最後に卵を入れていくよ! この時2回に分けて入れるのがポイントね!」


「それも何か意味があるのか?」


「2回に分けた方が火入れの度合いが変わってふわふわになりやすいんだ。1回目に入れた卵が半熟になったくらいで残りを入れるといいかな! 2回目を入れた後に三つ葉を乗せて、蓋をして1分くらい蒸らすよ!」


 竹串を鶏肉に刺し、火の通りを確認したところで卵液を半分流し入れる。固まりきらない状態で残りを一気に投入し、アクセントとして三つ葉を添える。ぐつぐつと煮立つ卵液から香ばしいタレの匂いが漂ってきて、昼飯を食ったはずなのに俺の胃袋が活発に動き出すのがわかった。


「細かい工程は店によって多少やり方が違いますけど、卵液を2回に分けて入れるんはどの店でも共通してます」珠子さんが言った。「親子丼の美味しさは、卵の半熟度合いで決まる言うても言い過ぎではありまへんから」


「へぇ……。にしても親子丼って意外と奥が深いんですね。もっと簡単に作れるもんだと思ってました」俺は感心して言った。


「作るん自体は簡単ですけど、美味しゅう仕上げようと思ったらいろいろと工夫が必要なんどす。せやから料理人の腕を見るにはちょうどええんどす」


「なるほど。で、今んとこ見ててどうなんですか?」


「ここまでは時に問題ありまへん。後は味がどうかやね」


「うーん。こんだけいろいろ気をつけてんだから大丈夫だと思うんですけど……」


 むしろここまで手をかけておいて今まで試験に受からなかったのが不思議だ。珠子さん自身、喜美が調理過程で注目していた点を褒めていたし、もう合格を出してもいいのではないだろうか。


「料理は食べてみるまでは最終的な点数はつけられまへん。いくら見た目がよろしゅうても、味がぼんやりしとったらお客さんには出せまへんので」


「まぁそうですけど、大丈夫じゃないですかね? 他のもっと難しい料理も十分美味かったですし、親子丼くらい……」


「涼太はん、あんさんは料亭の女将よりも舌が肥えてる言いはりますの?」


 珠子さんがにこやかに言って俺に視線を向ける。俺は背筋がぞくりとして開きかけた口を閉じた。笑いながら人をビビらせるとは、京女、恐るべし。


「……はい。そしたら仕上がったのでご飯に盛りつけます! 喜美ちゃんの初料理、『伝統の味・親子丼』の完成でーす!」


 喜美が微妙に気まずそうに言って丼を掲げる。黒い丼の上にたっぷりとしたご飯が乗せられ、艶々とした黄色い卵の上に三つ葉が彩りを添えている。その見た目は実に美味そうだが、喜美にはいつもの自信満々な様子が見られない。母親の舌を満足させられるかどうか気が気ではないだろう。


「定食だったら漬物とお味噌汁つけるとこだけど、今回はこれだけでいいかな?」喜美が珠子さんに尋ねた。


「ええ。その方が親子丼だけを味わえるからよろしいわ。涼太はんもそれで構いまへんか?」


「あ、はい。俺はどっちでもいいですよ」


「りょうかい! じゃ、すぐ持っていくね!」


 喜美が早足で食器棚に向かってお盆と箸を取りに行く。俺はその様子を見つめながら、あいつはどんな気持ちでこの1年を過ごしてきたんだろうと考えた。


 たまご食堂を名乗っているのに、卵料理の定番である親子丼がないと知ってがっかりするお客さんは少なからずいただろう。お客さんを喜ばせることを至上命題としている喜美にとって、それは不甲斐なさを感じさせる出来事だったに違いない。


 だからこそ喜美はこの1年間、血の滲むような努力をして親子丼を作り続けていたはずだ。何気なくやっていた今の調理だって、何度も何度も練習してきたからこそあんなスムーズにできるようになったのだろう。親子丼をメニューに載せることは、喜美にとっても悲願であるはず。そう考えると、俺は自然と喜美を応援したい気持ちになっていた。


(……試験、受かるといいんだけどな)


 俺は内心そう呟きながら、お盆に箸と丼をセットする喜美の姿を眺めた。

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