10−8

「……とりあえず調理進めるね」喜美がペースを乱された様子で言った。


「えーと、材料が全部切れたから、次は鶏肉を炒めていきます! フライパンに少量の油を入れて、鶏肉の皮を下にして入れて5分くらい焼いていきます! 皮にこんがり焼き色が付くまで焼くのがポイントね! 香ばしさが出るように火加減は強火で!」


 フライパンを火にかけ、油を入れて切った鶏肉を入れていく。じゅうっと食欲をそそる音がして油がぱちぱちと泡立ち、鶏肉から染み出した油と一緒くたになってフライパンの中で弾け飛ぶ。


「余計な油はキッチンペーパーで拭くんだけど、全部取っちゃうと肉の旨味も一緒に取れちゃうから少し残しておいてね!

 で、ひっくり返して皮目に焼き色が付いてたら、ここで一旦火を止めて取り出します!」


「あれ、反対側は焼かないのか?」俺は尋ねた。


「うん。身の方は火が通りやすいから、後で調味料と一緒に煮るだけで十分! あんまり火を通し過ぎるとパサパサになっちゃうからね」


「親子丼は鶏肉の旨味が命どすからなぁ」珠子さんも頷いた。

「この子も昔はきっちり焼き過ぎて、肉が硬くなってたんどす。でも今はちゃんと覚えてくれて嬉しいわぁ」


「もう……お母さんってばまたそんな……。もういいから次行くよ」


 喜美が唇を尖らせて鶏肉を皿に移す。珠子さんは全く気にした様子もなくにこにこしている。さすが喜美の母親、喜美を上回るマイペースっぷりだ。


「……で、えーと、鶏肉を焼いたら今度は合わせ調味料を作っていきます! 使うのは水、みりん、醤油、砂糖、鶏ガラスープの素! 水は2分の1カップだから100cc、みりんと醤油は大さじ2、砂糖は大さじ1、鶏ガラは小さじ1入れていきます!」


 ボウルに各調味料を入れて菜箸で混ぜる。思ったより量がたっぷりあってすき焼きのタレみたいだと思った。


「本間は出し汁も一から作った方がええんですけど、さすがに食堂やと時間がかかり過ぎるさかい、簡単なものにしとるんどす」珠子さんが補足した。


「料亭だと一から作るんですか?」


「はい。鰹節やら昆布やらを炊いて作ります。手間はかかりますけど、その分風味も増して味わい深くなるんどす」


 それはそれで確かに上手そうだ。京都に行く機会があったら珠子さんの店に寄ってみようか。いやでも、そういう料亭って一見さんお断りだったりするんだろうか。そもそも財布的に大丈夫なのかという問題もある。


「ま、うちは庶民派だから、お手軽だけど料亭に負けない味を作っていきます!」喜美が自分の方に話を戻した。


「調味料が準備できたら後はいよいよ卵ね! いつもは白身と黄身が均一になるまで混ぜるんだけど、今回は卵黄を切るような感じで10回くらいざっくり混ぜていきます! その方が半熟になりやすいんで!」


 ボウルに片手で卵を割り入れ、菜箸を縦に動かして卵黄をほぐす。白身と黄身が混ざりきっておらずに卵液はまだら模様のままだったが、喜美はその状態で菜箸を置いた。


「卵の混ぜ具合も大事な点やね」珠子さんが頷いた。「どうしてもきっちり混ぜてしまいたくなりますけど、混ざりきってない方が空気が入って半熟の状態を保ちやすいんどす」


「そうなんですか。でも知らなかったら普通に混ぜちゃいそうですね」


「はい。この子も昔はきっちり混ぜてしもうて、火が通り過ぎて卵がかとうなってましたわ」


「へぇ……意外と何回も失敗してるんですね」


「まぁ、料理は失敗して覚えていくもんですから、失敗すること自体は何も問題ありまへん。

 ただこの子の場合、調理以前の段階で躓いてましてなぁ……。卵一つ割るんも一苦労で、力入れ過ぎて潰してしまうことは日常茶飯事でした。割れたら割れたでだいたい殻が入ってて、ひどい時はそのまま焼いてしまうこともあったんどす」


「へぇ……。なんか想像つきませんね」


 今でこそ片手で軽々と卵を割っている喜美だが、昔はそれもできないほど不器用だったらしい。三角コーナーに大量の殻を積み上げ、泣きながら卵を割る喜美の姿を想像する。


「もー、お母さんってば、昔の話はしないでって言ってるじゃん!」喜美が厨房から身を乗り出して叫んだ。「何で人の黒歴史をいちいち暴露するかなぁ……」


「ええやないの。あんたも苦労してきたことが伝わって。ねぇ涼太はん?」


 急に話を振られて俺はびくりと肩を上げた。こちらを見ていた喜美と目が合い、気まずくなって咄嗟に顔を背ける。


「……まぁ、そうですね。き……白井さんって何でもちゃっちゃと作るし、昔から料理得意なんだって思ってましたけど、そうじゃないってわかってちょっとだけ親近感湧きました」俺は渋々認めた。


「ほんなら、喜美ちゃんのこと見直してくれはった?」


「……あくまで料理人として、ですけど」


「さよですか、ちょっとした心添えのつもりやったんですけど残念どすなぁ。堪忍ね、喜美ちゃん?」


 珠子さんが申し訳なさそうに言って両手を合わせる。喜美は何も言わず、拗ねたような顔をしてそっぽを向いた。俺とは目を合わせようとしない。何だろう、この変な空気。

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