10−4

「それよりさ、表に貸し切りって書いてあったけど、団体客でも来るのか?」俺は話題を変えようと言った。


「あれ、涼ちゃんに言ってなかったっけ? 今日は大事なお客さんが来るんだよ」


「大事なお客さん?」


「うん! あたしにとって特別な人で、その人が来る時だけは貸し切りにするって決めてるんだ!」


「特別な人、ねぇ……」


 随分と意味深な言い方をする。誰だろう。まさか恋人ってわけじゃないだろうが、店を貸し切りにするくらいだから、喜美にとってよほど意味のある人物に違いない。


「その人は何時に来るんだ?」


「1時ちょうど! だからもう着いててもおかしくないんだけど……」


 喜美がそわそわしながら壁の時計を見やる。時刻は13時10分を回っていた。


「ちょっと遅れてるだけじゃないのか? 遅刻くらい誰でもするだろ」


「うーん。人待たせるような人じゃないんだけど、何かあったのかなぁ……」


 喜美が心配そうに顔をしかめたその時、ちょうど入口の引き戸が開く音がしたので俺達は振り返った。和服を着た1人の女性が店に入ってくる。薄黄色の着物に白い鼻緒の付いた下駄を合わせ、白の巾着袋を手に提げている。背は女性にしては高く、切れ長の目の下にある泣きぼくろがそこはかとない色気を感じさせる。黒髪は後頭部できっちりとアップにされ、全体的に上品な雰囲気があった。


「こんにちは。1時に約束してた者どす。道に迷ってしまいまして、えらい遅れてしもうて堪忍え。店長はん、いはりますか?」


 女性が尋ねた。「こん」のところにアクセントがあるイントネーションと口調からして明らかに京都の人だ。俺の影になっているせいか、喜美の姿は見えていないようだ。


「あ、えっと、店長ならここにいますよ。遅いなって心配してたとこで」


 俺は身体をどかして喜美が見えるようにした。それまでリラックスしていた喜美の顔が女性を見た途端に強張った気がする。


「お久しゅう、喜美ちゃん。ちょっと見いひん間にまた背ぇ小さなったん違う?」女性が微笑みながら尋ねた。


「大きなお世話だよ! これでも毎日牛乳2リットル飲んでるんだからね!」喜美が肩を怒らせて叫んだ。


「その割に見た目は全然変わってへんね。もう成長止まってるんと違う?」


「ぐ……。で、でも、見た目はともかく、中には成長してるんだよ! 今のあたしは成熟した大人の魅力あふれる女性で……」


「それもどやろなぁ。もう28やいうのに全然落ち着きあらへんし、第一言葉遣いがなっとりません」


「うう……だってあたし、京都弁ってかしこまってて苦手で……」


「京都弁は大和心を表す美しい言葉。言葉遣いが美しければこそ、それを使う女性も美しゅう見える言うもんどす。あんたも成熟した大人になりたいんやったら、まずは京都弁をきちんと使えるようになったらどない?」


「うーん、京都弁かぁ……。じゃあ今度から『いらっしゃいませ』の代わりに『おいでやす』って言おうかなぁ……」


 喜美が真面目な表情で考え込む。妙に親しげな様子で会話を繰り広げる二人を、俺は困惑した顔で見つめた。

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