10−3
翌日の昼間、実家から下宿に戻った俺はバイトに出掛けた。多くの飲食店と同様、たまご食堂も1月4日から通常の営業を再開する。だから今年に入ってから喜美と会うのは今日が初めてだ。
あいつと顔を合わせたら何て挨拶すればいいのだろう。普通に「今年もよろしく」でいいんだろうか。でも、喜美が俺を雇ってくれてるのは温情みたいなもので、気が変われば明日にでもクビにされるかもしれない。そんな相手に「よろしく」なんて言うのも変な気がするし……。俺は悶々としながらたまご食堂に向かった。
食堂に到着すると、引き戸に2枚の張り紙があるのに気づいた。1枚は『謹賀新年』という正月特有のもので、卵からひよこが孵る手書きのイラストが端に描かれている。いや確かに今年は酉年だけど、ひよこはちょっと違うだろ。俺はそう突っ込みながら2枚目の張り紙に目をやったが、そこに書かれた文字を見て目を細めた。
「『本日貸し切り』……? 何だこれ、聞いてないぞ」
団体客でも来るのだろうか。正月明け早々、しかも昼間に? 俺は訝りながらも引き戸を開けて店内へと入った。
「あ、涼ちゃん! あけましておめでとう!」
俺が入ってくるのを見るや否や、喜美が厨房から出てきて俺を出迎えた。喜美への挨拶を未だ決められていなかった俺は、ぎこちなく、「お、おう」と答えた。
「やー、今年は待ちに待った酉年だね!」喜美が意気揚々と言った。「あたし酉年って好きなんだよねー! だってほら、いかにも『卵のための年』って感じがするじゃん?」
「いやしねぇよ。そもそも酉は卵じゃなくて鶏だ」
「その卵を産むのが鶏なんだから一緒だよ! そして卵と言えばたまご食堂! つまり今年はあたしの年ってことだね! というわけで涼ちゃん、今年もよろしく!」
いや、何が「というわけで」なんだ。流れるようなこじつけは早くも俺を疲れさせたが、今年も平常運転な喜美を見て安心したのも事実だ。
「ねぇねぇ、涼ちゃんは初詣行った?」
「あぁ、昨日行った。元日じゃないのに人多くて疲れたけどな」
「そうなんだ。おみくじは引いた?」
「あぁ。中吉だった。去年と同じだから特に何も思わなかったよ」
「そっか。あたしは大吉だったよ! しかも3年連続で!」
「へぇ、そりゃすごいな。2年連続で凶引く奴もいるってのに」
「でしょでしょ! きっと日頃の行いがいいからだね!」
喜美がさも嬉しそうに頷く。姉ちゃんがこの会話を聞いたらどんな反応をするだろう。
「しかもさ、今年は内容もよかったんだよ! あたしがお願いしたこと全部上手くいくって書いてあって!」
「へぇ。お願いってやっぱ仕事のことか? 店がもっと儲かりますようにとか?」
「違うよ! 好きな人と上手くいきますように、だよ!」
俺は一瞬返す言葉を失った。当てつけを言われているのかと思って喜美の顔を凝視したが、喜美は至って真面目な顔をしている。
「おみくじもさ、今までは『恋愛:機会なし』とかそんなのばっかりだったんだけど、今年は「成就する』って書いてあって。これはホントにチャンスあるかも!」
喜美がキラキラした目で俺を見つめてくる。いや、そんな目で見られても……っていうかこいつ、まだ俺のこと諦めてないのか?
「……あの、一応確認しとくけど、お前が期待してるのはこれから出会う奴のことだよな?」
「当ったり前じゃん! なに、涼ちゃんってば、あたしがまだ涼ちゃんに未練たらたらだって思ってたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……変に期待されても困るからさ」
「大丈夫だよ! 去年の恋はちゃんと去年でけりつけたから! 今年は今年で新しい出会いを探すぞぉ!」
喜美が張り切った様子でガッツポーズをする。俺に期待しているわけではないとわかってほっとしたが、きっぱりと未練がないと言われたせいか少しだけ複雑な気持ちになる。
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