9−8

「はい! というわけで、さっそく喜美ちゃんのスイーツキッチンを始めましょう!」喜美がテレビの司会者のようなノリで言った。


「今回作るのはキッシュ! 冷めても美味しいフランスの定番スイーツです!

 まず用意するのはブリゼ! これは下に敷くパイ生地のことで、小麦粉にバターと卵黄を練り合わせたものを冷蔵庫で3時間くらい寝かせてから使います! さすがに一から作ると時間がかかり過ぎちゃうので、今回は予め寝かせたものを使います!」


 言いながら喜美はいそいそと冷蔵庫からラップに包んだ生地の塊を取り出してきた。かなり大量の小麦粉とバターを使ったらしく、両手を合わせたくらいの大きさがある。


「生地を取り出したら綿棒で3ミリくらいの厚さに伸ばします! 伸ばしたら型に敷き詰めていきます! 型の大きさは特に決まってないので、今回は20センチのものを使うよ! なるべく隙間ができないように、端の方までしっかり詰めておいてね! 詰め終わったらフォークで底に細かく穴を空けていくよ!」


「穴?」


「うん。キッシュは生地の上に卵液を流し込んで作るから、他のケーキみたいに生地を膨らませちゃいけないんだ。だから空気が抜けるように最初に穴を空けておくんだ!」


 なるほど。確かに生地が膨らんだら中の卵液が零れてしまう。見た目だけでなく作り方も普通のケーキとは違っているようだ。


「穴を空け終わったら生地をオーブンで空焼きしていきます! この時、膨らまないようにタルトストーンっていう石を生地の上に詰めておきます! タルトストーンがなかったらお米とかで代用しても大丈夫! 温度は180℃、時間は15分から20分くらいかな!」


 喜美が説明しながら生地の上にアルミホイルを敷き、その上に銀色の細かい石をたっぷりと詰めていく。それからオーブンの前へ走っていって生地を中に入れる。


「はい! じゃあ待ってる間に中に入れる具材を用意していきます! 具材は特に決まってなくて、冷蔵庫にある野菜とかハムとかを入れたらいいんだけど、今回はスタンダードにほうれん草、玉ねぎ、ベーコンを使っていきます! ほうれん草は3センチ幅、玉ねぎは薄くスライスします! ベーコンは角形にします!」


 すぱんすぱんと小気味よい音と共に材料が刻まれていく。何度見てもその手際は鮮やかで、この時ばかりは俺も素直に感心する。


「具材が切れたら、今度は中に入れる液体を作っていきます! 名前はアパレイユって言って、卵液に生クリームを混ぜて作ります! 卵を6つ割って、軽く塩で味付けしてからほぐしていくよ! ほぐせたら生クリームを400ml入れて、ムラがないように混ぜていきます!」


 流れるように喜美が片手で卵を割り、ボウルで手早くかき混ぜてから生クリームを投入する。パティシエでもないのにその手つきはこなれていて、相当練習したことを窺わせた。


 そこでタイミングを計ったようにオーブンからチーンという音がしたので、喜美はボウルを置いてオーブンの方に駆けていった。ミトンの手袋をはめてトレーを取り出すと、きつね色に焼き上がったパイ生地が現れた。


「うんうん、膨らんでないし、いい具合に焼けたね!」喜美が満足そうに頷いた。「型からはみ出した生地はこの段階でカットしておきます! このまま食べてもいいし、スープとかに入れても美味しいよ!」


 喜美がタルトストーンを取り出し、小さなナイフを水平に持ってのこぎりのようにぎこぎこと動かしていく。端っこが切り落とされてみるみるパイ生地らしくなっていく。


「そういやさ、生地って焼く前に切ったら駄目なのか?」俺はふと思いついて尋ねた。「その方が手で千切れるし楽だと思うんだけど」


「あー、あたしも1回試してみたんだけど、焼いたら縮んじゃって綺麗に仕上がらなかったんだよね。だから断然後から切るのがお勧め!」


 俺は頷いた。さすがに料理に関しては抜かりがない。


「生地をカットしたら、アルミを敷いた部分がまだ焼けてないから外してもう10分焼くよ! その間に具材の準備の続きをするね! さっき切ったベーコン、玉ねぎ、ほうれん草をフライパンで順番に炒めていきます! オリーブオイルを敷いて、ベーコンは焼き色が付くまで、玉ねぎはしんなりして透明になるまで、ほうれん草はさっと火が通るくらいに炒めます! 焦げがつくと苦くなるから、フライパンが焦げないように注意してね!」


 フライパンを熱してオリーブオイルを入れ、角切りにしたベーコンを投入する。ベーコンがじゅわっという音を立て、香ばしい匂いが漂ってくると途端に俺の胃袋が覚醒し、腹を蹴り破らんばかりの勢いで暴れ出した。さっき昼飯食っただろと心の中で宥めるが、休みなく繰り出される音と匂いの攻撃を前に胃袋の動きは激しくなるばかりだ。


 喜美がほうれん草を炒め終えた辺りで再びチーンという音がした。生地の二回目が焼き上がったらしく、喜美はフライパンを火から下ろしてぱたぱたとオーブンの方へ駆けていった。フライパンがじゅうじゅう鳴る音が止んだことで俺の胃袋の暴走もようやく収まった。知った中とはいえ、腹の虫が盛大に鳴るのを聞かれるのはさすがに恥ずかしい。


「よしよし、二回目も綺麗に焼けたね!」喜美がにっこり笑って頷いた。

「生地が焼き上がったらいよいよ具材を入れていきます! ほうれん草、玉ねぎ、ベーコンをそれぞれ半分くらい入れて、その上からアパレイユを流し込みます! 一気に入れると零しちゃうので慎重にね!」


 ボウルに入っていた卵液をお玉ですくってゆっくり注いでいく。とろっとした薄黄色の液体はそれだけですでに美味そうだ。


「はい! 具材とアパレイユを入れたら、この上にチーズを振りかけていきます! 種類はできればグリュイエールチーズを使うのがお勧め!」


「グリュイエールチーズって何だ?」


「スイス産のハードタイプのチーズで、ナッツみたいなコクとクリーミーさがあるのが特徴なんだ! キッシュではグリュイエールチーズを使うのが定番なんだよ!」


「へぇ……でもそんなのスーパーで売ってるのか?」


「どうだろう。小さいとこだったら置いてないかもね。その場合はクリームチーズとかで代用してもオッケーだよ! 固形のままだと溶けにくいから、今回は擦り下ろして使うよ!」


 冷蔵庫から四角いチーズを取り出し、使う分だけ切ってからボウルに入れたおろし器で擦り下ろす。すぐにボウルが細かいチーズでいっぱいになった。


「グリュイエールチーズをアパレイユの上に振りかけて、フォークで全体を軽く混ぜてから残った具材を入れていくよ! ここは見える部分だから、彩りがよくなるようにバランスを考えてね! 全部入れたらその上にもう1回チーズをかけるよ! 焼き色が付くようにまんべんなくかけてね!」


 粉チーズを液体の上に散らし、ほうれん草、玉ねぎ、ベーコンを乗せた後でグリュイエールチーズをふんだんに振りかける。カラフルな見た目は焼く前からすでに食欲をそそる。


「はい! 具材を全部乗せたら、最後にもう1回焼いていくよ! 温度は150℃、時間は40分くらいかな」


「40分? そんなに焼かなきゃいけないのか?」


「さっきは生地を焼くだけだから短時間でできたけど、今回は中まで火を通さないといけないからね。低めの温度でじっくり焼くのがポイントなんだ!」


「ふうん……。やっぱ菓子って時間かかるんだな」


 生地を2回焼くだけでも40分近くかかっているのに、さらに40分も待たないといけないとは。短気な人間には絶対に真似できないだろう(例えばうちの姉ちゃんとか)。

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