9−3

 俺と高野香織たかのかおりは、3か月ほど付き合っていた。


 俺達が出会ったのは、1年生の時に参加した新歓コンパだ。昌平の高校時代の先輩が企画したもので、俺も数合わせで誘われた。その時に同じテーブルになったのが香織だった。


 香織は他の女の子とは少し雰囲気が違っていた。キャピキャピとお喋りをすることはなく、端っこの席で1人静かにお酒を飲んでいた。その時から少し気になってはいたが、自分から話しかけにいくほどのコミュニケーション能力はなく、最初は遠くから眺めていただけだった。


 しばらくは自分の席で周りの会話に加わっていたが、30分も経つとみんなのテンションの高さに合わせるのが疲れてきて、俺はトイレに行く振りをして席を立ち、戻った時に端っこの席へ避難した。みんなは俺がいなくなったことに気づかずお喋りを続け、俺は内心ほっとしていた。やっぱり人付き合いは疲れる。いっそこのまま帰ってしまおうか。そんなことを考えていた矢先に向かいに座っていた香織が声をかけてきたのだ。


『疲れた?』


 いきなり内心を代弁するようなことを言われて俺は驚いた。思わず凝視してしまったが、香織は気にした様子もなくグラスを揺らした。


『疲れるよね。無理にテンション上げて楽しい振りしなきゃいけないんだからさ。あたしも友達に誘われて義理で来たけど、正直来なきゃよかったって思ってる』


 臆面もなくそんなことを言うものだから俺は他人事ながら心配になった。その友達が聞いていたら気を悪くするんじゃないだろうか。そんな心配が顔に出ていたのか、香織はふっと笑って続けた。


『友達のことなら気にしなくていいよ。数合わせで誘われただけだから。これくらいで切れるならその程度の関係ってことだしね』


 随分冷めた物言いをする子だと思った。でも、その淡泊な態度がかえって俺には好ましかった。他人との間に一線を引き、自分のスペースを守ろうとする。そんなところが俺と似ていると思った。俺は香織に興味を持ち、もう少し話をしてみることした。香織が別の大学に通う1年生だと知ったのはその時のことだ。


 連絡先を交換し、何度か会ううちに自然と付き合う流れになった。付き合ってからも香織はベタベタしてこず、行動を束縛してくることもなかった。だから俺も楽で、このまま卒業まで付き合うんだろうなと何となく考えていた。


 でも夏休みに入り、お互いバイトやらサークルやらで忙しくなる中で会う回数が減り、秋学期を迎える頃には自然消滅していた。それ以来会うこともなかったのだが、まさかこんな街中で再会するとは思わなかった。


「ねぇ、2人って今大学の帰りなの?」香織が尋ねてきた。


「うん。授業終わったから帰るとこ」昌平が答えた。「香織ちゃんも?」


「あたしは今日授業ないんだ。帰りってことは今ヒマなの?」


「いや、俺は今からバイトなんだ。涼太はどうだっけ?」


「俺は……今日は休みだけど」


「そっか。じゃあちょっと話さない? あたしもヒマだしさ」


 香織が俺に向かって何でもない調子で言ったが、俺は心臓が跳ね上がりそうになった。別れた相手と話したいなんてどういうつもりだろう。まさかよりを戻したいとか? いやでも、香織が人に執着するような真似をするとは思えない。たぶん本当にヒマで、知ってる相手と時間潰しがしたいだけなんだろう。俺はそう自分に言い聞かせて答えた。


「うん……。俺もヒマだし、ちょっとくらいならいいよ」


「そっか、よかった。どこ行く? 喫茶店とか空いてるかな」


「どうだろう。時間的にどこも混んでそうだけど……」


「まぁ探せば1軒くらい空いてるでしょ。じゃあ行こう」


 香織が俺のダウンジャケットの袖を引っ張りながら声をかけてくる。別れてから1年以上経つのにその仕草には何のためらいもない。俺は面食らいながらも昌平の方を向いた。


「つーわけで昌平、俺行くとこできたから、ここで解散でいいか?」


「あぁいいよ。どうせ俺もうすぐバイトだしな。でもお前気まずくないのか? 2人で会うの1年ぶりくらいなんだろ?」


「気まずくないことはないけど……たぶん大丈夫だと思う。普通に話するだけだと思うし」


「そっか。まぁたまたま会っただけだもんな」


 昌平が納得した顔で頷く。そうだよな、たまたま会った相手と何かあるわけないよな、と俺も思いながら昌平と別れた。

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