第9話 私とキッシュ、どっちが大事?

9−1

 12月中旬、午後3時過ぎ。気温が一気に下がり、コートが手放せない季節になった。雪こそ振っていないものの底冷えする寒さが続き、誰も用事がない限りは外を出歩こうとはしない。すれ違う人の歩調も速く、一刻も早く暖かい家に帰ろうとしているのがよくわかる。


 そんな厳しい寒さの中、俺、笠原涼太かさはらりょうたはダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、首を竦めるようにして街中を歩いていた。俺は寒いのが苦手で、実家暮らしの時も一度炬燵に入ったらなかなか出てこられなかった。まぁ、大抵は姉ちゃんに蹴飛ばされて廊下に放り出されるのが落ちだったのだが。とにかく昔から冬が来るのが憂鬱で、冬が来るたびに冬眠したいと半ば本気で考えていた。だが、今年の俺が憂鬱なのは、何も寒さのせいばかりではなかった。


「あーあ、今年ももう終わりかぁ」


 隣からため息混じりの声がして俺はそっちを向いた。大学の友人である井川昌平いがわしょうへいが遠い目をして天を仰いでいる。


「今年こそは彼女作るって決めてたのに結局バイト三昧で、気づいたら1年終わってるし……。こんな青春無駄にしてていいのか!? 俺!」


 昌平が嘆かわしそうに言って髪を搔きむしる。そういえば去年もこの時期に同じことを言っていたなと俺は思い出した。


「別に今年中にできなくなっていいだろ。年明けてからまた頑張りゃいいじゃねぇか」俺は気のない口調で言った。


「それじゃ意味ないんだよ! お前、年末恒例のあのイベントを忘れたのか?」


「イベント?」


「クリスマスだよクリスマス! 恋人達の聖夜! 俺、今年こそはぼっち脱出するって決めてたのにさぁ……」


 昌平がいかにも悔しそうに唇を噛む。言われてみれば街はどこもかしこもイルミネーション一色で、カップルの数も普段より多い気がする。みんなクリぼっちになるのが嫌で急いで相手を探したのだろうか。


「はぁ……世の中不公平だよなぁ。ちょっといいと思った子にはみんな彼氏いるんだから」昌平が大げさにため息をついた。


「高望みしてんじゃないのか? サークルとかバイト先とか手近なとこで探しゃいいだろ」


「それがいないんだよ! サークルは男ばっかだし、バイトはブラック過ぎて仲良くなる前に辞めちまうし!」


「だったらお前もさっさと辞めろよ。それでもっと女の子多いとこ見つけりゃいいだろ」


「そんな簡単に言うなよ! 新しいとこ探すのも大変なんだからな!」


 昌平が鼻息荒く抗議する。こいつがバイトを辞めたいと言っているのも去年からだ。文句を言いつつも辞めないのは、結局現状を変えるのが面倒だからだろう。


「あーあお前はいいよな。喜美きみさんみたいな可愛い人の下で働けるんだからさ」


 急にあいつの名前を出され、俺は一瞬ぎくりとして立ち止まった。が、動揺を気取られないようにすぐに歩き出して言った。


「……好きであいつのとこで働いてるわけじゃない。あいつに無理やり勧誘されて、他に働くとこなかったから仕方なく……」


「とか言ってもう3か月続けてんだろ? 何だかんだ言って気に入ってんじゃねぇの?」


「……別に気に入ってはない。まぁ、まかないがあるのは有難いけど」


「あー、それな! バイト入るたびにあんな美味い飯ただで食わせてもらえるとか最高だよな!」昌平が激しく頷いた。


「まぁな。そういや俺、クリスマスもバイトだな。別に予定もないからいいけど」


「はぁ……マジか。俺なんか朝から晩までワンオペだよ。いいよなぁお前は可愛い子と一緒にクリスマス過ごせて」


「一緒にっつったってただのバイトだぞ。俺、あいつとはそういう関係じゃないし……」


「どっちにしても羨ましいよ! 俺も喜美さん落とそうと頑張ってたのに全然相手にしてもらえなかったしさぁ……。やっぱ年下じゃ厳しいのかなぁ」


 昌平がうなだれてため息をつく。こいつが喜美と出会ったのは夏のことで、一時は毎週のように店に通っていたのだが、喜美に全くその気がないとわかってからは店に来なくなった。それが秋頃のことだが、失恋の傷はまだ癒えていないようだ。


「……たぶんそれ、お前が年下だからじゃないよ」俺はぼそりと言った。「あいつには他に好きな奴がいるんだ」


「え、マジで!?」昌平ががばりと顔を上げる。


「うん。あいつはその男に告白したんだけど、そいつはすぐ返事しなくて、今もまだ保留のままなんだ。だからお前のことも相手にしてなかったんだと思う」


「誰だよその羨ましい奴は! 俺の知ってる奴か?」


「……うん、絶対知ってる」


「にしてもそいつ最低だな! 3か月も返事しないでほっとくとかマジでクズ野郎だし、生きてる価値ねぇよ」


「いや言い過ぎだろ。それにほっといたわけじゃなくて、考えてるだけだと思うけど……」


「にしたって待たせ過ぎだろ! そいつがさっさと返事してたら俺にもチャンスあったかもしれないのにさぁ……。もし会ったらぜってーぶん殴ってやる!」


 昌平は拳を握りしめて本気で怒っている。その反応を見て俺は口を噤んだ。今、自分が話しているのが渦中の人でなし野郎だと知ったら、こいつはどんな顔をするだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る