8−10

 そうして俺と姉ちゃんは店を後にした。連休の真ん中ということもあり、街は相変わらず多くの人で賑わっている。すれ違う人達の楽しげなお喋りが何度も耳に届いたが、内容は何も頭に入ってこなかった。


 帰り道、姉ちゃんは何も言わなかった。さっきまで怒りを爆発させていたのが嘘のように静まり返っている。それがかえって不気味で、俺はいつ火山が噴火するんじゃないかとそろそろと姉ちゃんの顔色を窺った。だが、姉ちゃんはそのたびにそっぽを向いてしまい、結局何を考えているのかわからなかった。


 無言のまま10分ほど歩き続け、俺達は駅に辿り着いた。今日はこのまま下宿先に帰るので、姉ちゃんとはここで別れる。

 改札を潜り、ホームに到着した後も俺達は無言のままだった。このまま別れるのだろうかと俺が考えていると、姉ちゃんが先に声をかけてきた。


「……涼太、あんた、自分の気持ちをごまかさない方がいいわよ」


 俺は意味がわからずに目を細めた。頭上からアナウンスが聞こえ、電車ががたごとと音を立てて向かいのホームに入ってくる。ぷしゅうという音がして扉が開き、何人もの乗客がホームに降り立ち、また新たな乗客を詰め込んで電車が発車する。


 姉ちゃんはその光景を見つめながら、遠い目をして続けた。


「あんたはあたしと一緒でひねくれてるから、自分の気持ち素直に言うことないでしょう? 好きなのに嫌いって言ったり、気になるのにどうでもいいって言ったりしてね。

 でも、そうやっていろんなもの突っぱねてると、大事なもの失うこともある。突っ張った態度が本心だって誤解して、離れていく人もいるかもしれない」


 姉ちゃんの話を聞きながら、俺は昔のことを思い出していた。姉ちゃんが一番荒れていた高校生の頃だ。

 あの頃、姉ちゃんはネットで知り合った友達と毎晩のように遊び歩き、ろくに学校も行っていなかった。そのせいで中学の時からの友達をなくし、ますます不良の友達との交流を深めていった。高3になり、素行がマシになってからも前の友達との関係は戻らなかった。口には出さなかったが、姉ちゃんはその時のことを思い出しているのかもしれない。


「……あのオムレツを食べた時のあんたの顔は、本当に幸せそうだった」


 姉ちゃんが噛み締めるように呟いた。


「あんたにあんな顔をさせた人を、あたしは他に知らない。だから、あの子なら……そう思うけど、あたしが勝手に決めるわけにもいかないしね。だから一人でじっくり考えなさい。でも、待たせ過ぎたら駄目だからね?」


「……うん、わかってるよ」


「ならよろしい!」


 姉ちゃんが笑みを浮かべて俺の肩を叩く。いつもの勝気な表情だった。


 そこへ再びアナウンスが聞こえ、間もなく電車がホームに入ってきた。姉ちゃんが乗る電車だ。ドアが開くと同時に人が吐き出され、あらかた下りたところで今度はホームで待っていた客が乗り込んで行く。姉ちゃんもそれに続いた。


「じゃ、またね、涼太」姉ちゃんが電車の中から振り向いた。「また暇だったら遊びに来なさい。今度はあたしの特製オムレツをご馳走してあげるから」


「今度はスクランブルエッグにするなよ。料理は見た目も大事なんだからな」


「わかってるわよ! ……じゃ、またね」


 そこでタイミングよく扉が閉まり、俺達の会話はそこで途切れた。姉ちゃんが扉越しに手を振っている。いつもなら放っておいて帰るところだが、今日は俺も手を振り返した。


(自分に素直に、か……)


 遠ざかる車体を見つめながら、俺は内心で呟いた。


(……俺もそろそろ、殻を割らないといけないのかもしれないな)


 三度目のアナウンスが鳴り、俺の前のホームに電車が入ってくる。俺はその電車に乗り込んでドアの前に立った。ドアのガラスに自分の顔が映っている。いつもの気だるい表情ではなく、何かを決意したような顔。


 それがすでに変化の始まりであることに、その時の俺はまだ気づいていなかった。

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