8−7

「卵液を混ぜ終わったらさっそく巻いていきます! あたしは普段強火でしますけど、火加減が強いとすぐに火が通って焦げちゃうので、慣れてないうちは弱火と中火の間くらいの方がいいと思います!

 テフロン加工の場合は先に油を引いて、それからフライパンを温めます! うちでは風味を出したいのでバターを使いますけど、油でも大丈夫です! 菜箸で卵液をちょっとだけ落として、卵液がじゅわじゅわってなったら卵を入れるタイミングです!」


 喜美が説明しながらフライパンに菜箸の先端を付ける。卵液は炭酸のようにしゅわしゅわと泡立った。


「はい! じゃあフライパンが温まったところで卵液を一気に投入します! 左手でフライパンを揺すりつつ、固まった縁の部分を菜箸で剥がして内側へかき混ぜていきます!」


「あれ、わざわざ混ぜるの? そのままほっといたらダメなの?」姉ちゃんが尋ねた。


「あー、それはですね……」


「混ぜないと火の通り具合にムラができるんだよ」俺は思わず言った。「外側ばっかり固まって内側にいつまでも火が通らない。混ぜることで初めて均一に仕上がるんだ」


 姉ちゃんが呆気に取られた顔で俺を見つめてくる。その顔を見て、俺はようやく自分が喜美と一緒になって解説していることに気づいた。


「……あんた本当に料理に詳しくなったんだね」姉ちゃんがしみじみと言った。「ちょっと前までは洗い物すらしたことなかったのに……」


「いや、別に……」


「うぅ……あたしは嬉しいよ涼ちゃん」喜美が手の甲で涙を拭う振りをした。「あの料理の『り』の字も知らなかった涼ちゃんが、こんな立派な料理人に成長するなんて……」


「……好きで詳しくなったわけじゃない」俺はぶすっとして言った。「何回もバイト入ってるうちに嫌でも覚えただけだ」


「そお? あたしはてっきり涼ちゃんも料理に目覚めて、ついに夫婦食堂を経営できるかと……」


「ああぁそれ以上言うな! それよりほら! 卵が固まってきたぞ! 半熟になったら火ぃ止めるんだろ!? 早くしないと!」


「あぁそうそう! よくぞ気づいてくれました!」


 喜美が急いでフライパンを火から下ろす。俺はふうっと息をついて腰を下ろした。姉ちゃんが例によって物問いたげな視線を向けてきたが無視する。


「はい、こんな風に卵が半熟状になったら、後は余熱で膜を作ります!」


 喜美がフライパンを俺達の方に向けてくる。卵は見るからにとろっとしていて、オムレツというより細かいスクランブルエッグみたいだ。これなら姉ちゃんは得意かもな、と俺は昨日の出汁巻きを思い出しながら考えた。


「フライパンを火から離して、30秒くらい置いておきます! 余熱で火を通すことで表面がよりきめ細かになるんですよ!

 で、火を通したらいよいよ形を作っていきます! ここで菜箸からゴムベラに持ち替えて、フライパンの周りに付いてる卵を剥がしていきます!」


「何でわざわざゴムベラ使うの? 菜箸じゃダメなの?」姉ちゃんが首を傾げた。


「うーん、菜箸だと破れる可能性が高いんですよねぇ。卵焼きや出汁巻きならまだいいですけど、オムレツは……」


「あぁそうだな。姉ちゃんは間違いなくゴムベラ使った方がいいな」


 俺は実感を持って頷いたが、姉ちゃんに「うるさい!」と言って拳骨を落とされた。


「卵が剥がれたらフライパンの手前を軽く持ち上げて、手前から奥に向かって折り畳んでいきます!」喜美がやはり何も見なかったように続けた。「奥まで行ったら、今度は繋ぎ目を焼いて形を作っていきます!」


「あ、わかった! トントンってするんでしょ!」姉ちゃんがぱちんと指を鳴らした。「フライパンの柄の部分をちょっとずつトントンって叩くの。そうしてるうちに卵がちょっとずつ動いて、最終的に一回転させるんでしょ!? 知ってる知ってる!」


 自分も料理に詳しいことをアピールできて嬉しかったのか、姉ちゃんはしたり顔で何度も頷いている。だが喜美は言いにくそうに言った。


「あー……それよく聞かれるんですけど、別にトントンはしなくていいんです」


「え、そうなの!?」


「はい。トントンにこだわると、やり過ぎて形が崩れちゃうこともあるんで。それなら別の方法で綺麗にした方がいいです」


「……何だ、そうなの。せっかく料理好きの仲間入りができたと思ったのに」


 姉ちゃんががっくりと首と肩を落とす。ちょっとかわいそうではあるが、さっきから一方的にやられている俺はおかげで少しだけ溜飲を下げられた。

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