8−5

「……ねぇ涼太、あの子本当に28歳なの?」


 喜美がメニューを取りに行ったのを確認してから姉ちゃんが尋ねてきた。


「うん。何回も言われたから間違いない。正直今でも信じられないけどな」


「はぁ……わかんないもんだねぇ。あたし最初アルバイトの高校生かと思ったもん」


「あぁそれ、俺も思った。だから店長だって聞いた時はびっくりしたよ」


「本当にね。しかもあんたのこと『涼ちゃん』って。いつからそんなに仲良くなったの?」


「別に仲良くはない。俺、半年くらい前にたまたまこの店に来たんだけど、その時から妙に馴れ馴れしかったんだ。初対面からいきなり名前で呼んできたし」


「ふーん。でもあんた、そういうぐいぐい来るタイプ苦手じゃなかった?」


「うん、苦手だ。だからあいつとはできるだけ関わりたくないと思ってた」


「でも今はバイトしてるわけでしょ? 何でそうなったの?」


「さぁ……」


 本当に何でこうなったんだろう。毎回次は来ないと誓っているはずなのに、気づいたらこの引き戸を潜って喜美の料理を食っている。それだけあいつの料理の吸引力が強いということなのか。いやむしろ強引に押し切られただけか。


「はい! メニューとお冷やどうぞ!」戻ってきた喜美がメニューとお冷やをテーブルに置いた。「ところでお姉さん、うちがどんなお店かって涼ちゃんから聞いてますか?」


「ううん、特には。名前からして卵料理専門店なの?」


「そうなんです! オムライスに卵焼き、出汁巻きに天津飯、卵料理ならほぼ何でも揃ってますよ!」


「へえ、すごいわね。何かお勧めとかあるの?」


「そおですねぇ……。全部お勧めですけど、最近の売れ筋はエッグベネディクトですね! インスタ映えするって若い女性に大受けなんですよ!」


 喜美がメニューを捲ってエッグベネディクトの写真を見せる。つい1か月前に追加した新メニューだが、今や看板商品の1つとなっている。


「へえ……確かに美味しそう」姉ちゃんが興味を惹かれた顔で身を乗り出した。

「でも自分で作るのは難しそうね。このソースとか市販じゃないでしょ?」


「はい、ソースも手作りです! だからちょっと手間はかかりますね。もっと簡単な料理の方がいいですか?」


「うん。あたし今料理の勉強してて、自分でも真似できるような料理がいいんだけど」


「なら卵焼きでいいんじゃねぇの?」俺は口を挟んだ。「出汁巻きよりは簡単だし、家で作ったのとどう違うかわかるだろ」


「うーん、2日連続で卵焼きかぁ……。どうせなら他のもの食べたいな」


「あ、じゃあプレーンオムレツはどうですか!?」喜美がぱちんと両手を合わせた。「シンプルに焼いて巻くだけなので、ご家庭でも作りやすいと思いますよ!」


「プレーンオムレツ? そんなメニューあったっけ?」俺は首を傾げた。


「ううん、あるのはオムライスだね。でもオムライスだとチキンライスも作らないといけないから大変でしょ? だったらオムレツの方がいいかなと思って」


「はぁ、でもメニューにないもの出していいのか?」


「今回は特別だよ! 何たって涼ちゃんのお姉さんだからね! 将来はあたしのお義姉さんになるかもしれないし、サービスするのは当然だよ!」


 喜美がまたしても誤解を生むような発言をしたので俺はお冷やを吹き出しそうになった。喜美を睨んで黙らせようとするが、喜美は平然とした顔をしている。こいつ、まさか外堀から埋めてくる作戦じゃないだろうな。


 姉ちゃんが思いっきり疑わしそうな視線を俺に向けてきたが、俺はメニューを眺めて気づかない振りをした。それでも背中を滴り落ちる冷や汗は止められそうにない。


「……でも、本当にいいの?」やがて姉ちゃんが喜美に尋ねた。「メニューになかったら値段決めるのとか困るでしょ?」


「オムライスの半額でいいですよ。気に入ってもらえたらメニューに追加してもいいですし、あたしにとってもメリットあるんです!」


「そう? じゃ、お言葉に甘えてオムレツにしようかな。涼太、あんたは?」


「俺は……」


 正直冷や冷やし過ぎてメニューを選ぶどころではないのだが、これ以上喜美に傍にいられてもそれはそれで心臓に悪い。俺もオムレツを注文することにした。


「プレーンオムレツ2つね! すぐ作りますから待っててくださいね!」


 喜美がにっこり笑って厨房へと戻っていく。ひとまず嵐が去ったことで俺はふうーっと安堵の息をついた。

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