8−4

 翌日の昼間、俺は姉ちゃんに半ば引き摺られるようにしながらたまご食堂へと向かった。臨時休業になっていないかと一抹の期待を寄せたがそんな都合のいい展開があるわけもなく、通常通り食堂は営業していた。引き戸を開けると例によって客はいない。俺がバイトの日はそこそこ繁盛しているのに、何で客の時に限って誰もいないんだろう。


「こんにちはー! 店長さんいますかー!?」


 姉ちゃんが厨房に向かって威勢のいい声を上げる。腰に手を当てて仁王立ちしているせいで借金の取り立てに来たみたいに見える。


「はいはーい! 今行きまーす!」


 姉ちゃんに負けず劣らずデカい声が厨房から聞こえ、ぱたぱたという足音と共に喜美が姿を現した。姉ちゃんを見ておや、という顔をしたがすぐに満面の笑みで言う。


「いらっしゃいませ! お1人様ですか? お席はカウンターとテーブルどっちにされますか?」


「あぁごめんね、1人じゃなくて2人なの。ほら涼太、隠れてないで出てきなさいよ」


 姉ちゃんが身体をずらして背中に隠れていた俺の姿を晒す。俺は渋々前に進み出た。


「あれ、涼ちゃん? 今日バイトの日じゃないけど」喜美がきょとんとした。


「……知ってる」俺はぶすっとして答えた。「ったく、久しぶりにゆっくりしようと思ったのに、何でわざわざ休みの日に出てこなきゃ行けないんだ」


「あー、それはもしかしてあれ? あたしに会いたくて次のバイトが待ちきれなくて……」


「違う」


 俺はきっぱりと言った。喜美が「ちぇー」と言って唇を尖らせる。俺からしたら何てことない普段のやり取りだが、姉ちゃんに疑念を抱かせるには十分だったらしい。じろりと俺を睨みつけて尋ねてきた。


「……あんた、店長さんとどういう関係なの? 従業員と店長の会話とは思えないんだけど? まるで付き合っ……」


「あぁ別に何もないから」俺はすかさず言った。「今のはただの挨拶みたいなもんし」


「はぁ……。それにしても敬語くらい使いなさいよ。友達と喋ってんじゃないんだから」


「いいんだよ。元からタメ口だったんだから。今さら敬語とか気持ち悪いし」


「だからって……。はぁ、ごめんなさいね。弟がこんな調子で迷惑かけてません?」姉ちゃんがいかにも申し訳なさそうに喜美に言った。


「あたしは気にしてないですよ! むしろ一緒にいれて嬉しいです!」


 だからそういう誤解を生む発言をするなっての。俺は喜美の口にチャックをかけた上でガチガチに縫いつけてやりたくなった。


「それよりお姉さんはどちら様ですか? 涼ちゃんのお友達ですか?」喜美が尋ねた。


「いいえ、あたしは涼太の姉の笠原美香。涼太が飲食店でバイト始めたって聞いて、ちゃんとやれてるか心配で様子を聞きに来たの」


 噓つけ。ただの野次馬根性のくせに。文句が喉元まで出かかったが、百倍にして返されるだけなので黙っておいた。


「そうなんですか! あたしは白井喜美しらいきみって言います!」喜美がぺこりと頭を下げた。

「涼ちゃんにお姉さんがいるなんて知りませんでした。いくつ違いですか?」


「あたしが今年で29だから……9つ違いね」


「29歳? じゃああたしとは1つ違いですね! あたしも今年で28歳になるんです!」


「に、にじゅうはち!?」


 姉ちゃんが鳩が豆鉄砲を食らったような顔で喜美を凝視する。俺は自分も初対面の時に全く同じ反応をしたことを思い出した。


「あなた……本当に28歳なの? 18歳じゃなくて?」姉ちゃんがまじまじと喜美を見つめた。


「はい! でもよく10代と間違えられるんですよねぇ。それだけお肌がピチピチって証拠ですよね!」


 喜美が頬に両手を当てて嬉しそうに言う。肌というより身長と髪型、後はその落ち着きのない言動のせいだと思う。


「まぁ立ち話も何ですから座ってください! 2人だったらテーブル席でいいですか?」


「あ……はい」


 さすがの姉ちゃんも喜美の前にはペースを崩されているらしい。完全に出鼻を挫かれた格好で案内されるまま席につく。

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