8−3

「もしかして涼太、その店に好きな女の子でもいるの?」


 母さんが急にそんなことを言い出したので俺はお茶を吹き出しそうになった。慌てて飲み込むと今度は気管に入ってげほげほとむせ込む。その反応を見た姉ちゃんがじろりと俺を睨みつけてきた。


「何、もしかして図星なの? あんた女の子目当てでバイトしてるわけ?」


「……違う」俺は涙目になりながら答えた。「確かに女の子……というか女性はいるけど、別に好きとかじゃない」


「その女性っていくつくらいなの?」


「若いよ。俺よりは年上だけど」見た目は年下にしか見えないけど。


「もしかして、さっき言ってた経営者の人っていうのがその女性?」


「うん。ずっと1人で店やってたんだけど、人手が足りないから手伝ってくれって言われたんだよ。俺も前のバイト辞めたとこだったからちょうどいいと思って」


「じゃあ、従業員はあんたとその女性の2人だけってこと?」


「うん。小さい店だから、あんまり人が入るスペースないしな」


「はぁ……。あんたそれ、本当に何もないんでしょうね? 聞けば聞くほど怪しいんだけど」


「ないに決まってるだろ。変な勘繰りすんなよ」


 疑いの眼差しを向けてくる姉ちゃんに対し、俺は不機嫌そうに答えて味噌汁を啜った。何でどいつもこいつも俺と喜美の関係を邪推してくるんだろう。あいつはただのバイト先の店長で、それ以上の関係じゃないのに。


「でも気になるわねぇ。その女性ってどんな人なの?」母さんが興味津々な様子で尋ねてきた。


「どんなって……別に普通だよ。ちょっと童顔でチビなだけで」ついでにまな板なだけで。


「性格は? 飲食店やってるくらいだから社交的なの?」


「うん。初対面の人ともすぐ仲良くなれる」そして人の領域に踏み込んでくる。


「じゃああんたとは真逆ってわけね」姉ちゃんが箸で俺を指した。「でも不思議。そんな性格なら友達たくさんいそうだけど、なんでわざわざあんたに声かけたんだろうね?」


「さぁ……俺に聞かれても」


 俺はお茶を濁しつつ茶を啜った。さすがに告白された勢いで雇われたとは言えない。


 母さんと姉ちゃんはまだ何か聞きたそうにそわそわと俺の方を見ている。これ以上深入りされたくないと思い、俺は何か別の話題を探そうとした。が、それより早く姉ちゃんが急に箸と茶碗を置いて立ち上がった。


「よし、決めた! あたし、その人に会いに行く!」


「は?」俺は茶を啜るのを止めた。


「だって気になるでしょ! あれだけ飲食で働くの嫌がってたあんたをその気にさせるくらいなんだから、もしかしたらすっごい美人かもしれないじゃない!」


「あら、それは見たいわねぇ! ねぇ美香、写真撮ってきてよ!」


 母さんまで乗り気になっている。俺は慌てて湯飲みを置くと言った。


「いやちょっと待てよ。あいつは見世物じゃねぇし、わざわざ見に来なくていいから」


「隠そうとするってことはやっぱり何かあるのね!? これは俄然偵察に行かないと!」


「そうね。涼太のタイプがどんな人が気になるし、美香、調べてきてくれる?」


「まっかせなさい! 涼太が秘密にしてること全部暴いてやるから!」


 母さんと姉ちゃんは勝手に盛り上がっている。俺は冷や汗が背中を滴り落ちるのを感じた。これはまずい。姉ちゃんを喜美に会わせたら、喜美はここぞとばかりに真実を喋ってしまうだろう。そんなことをすれば姉ちゃんの雷が炸裂するに決まってる。


「あのさ……。それ、止めにしない?」俺はおずおずと言った。「バイト先で知り合いに見られてると落ち着かないし……」


「じゃああんたがいない時間に行こうか?」


「……いや、でもやっぱり俺がいる時じゃないと困る」でないとあることないこと吹き込まれる。


「ならあんたも客として行けばいいじゃない。確か連休中はバイトないんでしょ?」


「ないけど、でも……」


「でもじゃない!」


 姉ちゃんがバンッと乱暴に机を叩く。俺は思わずびくりとして身を引いた。


「あんたさっきから何なの? 人の提案にあーだこーだ文句ばっか言って! いい加減腹括りなさい! 男でしょ!」


 姉ちゃんがテーブルに両手を突けてずいと顔を近づけてくる。その凄まじい剣幕を前に俺は無意識のうちに背筋を伸ばしていた。

 今でこそOLとして真っ当に働いている姉ちゃんだが、昔はかなり荒れていて地元では有名なヤンキーだった。当時を思い出させる恫喝は今でも俺をビビらせる。


「さぁ、行くの行かないの!? 男なんだからはっきりしなさい!」


 一応質問口調ではあるが、ここで行かないと言えばまた矢継ぎ早に罵声を浴びせられるに決まっている。母さんは母さんで、「あらーお味噌汁冷めちゃったわねぇ」などと呑気に言いながらお椀を持ってキッチンに戻ってしまった。俺を助けてくれる気配はない。


 俺はアルマジロのように背中を丸めながら、小声で「……行く」と呟いた。

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