第8話 想いを包んでプレーンオムレツ

8−1

 11月上旬、文化の日。少しずつ気温が下がり、上着なしで出掛けるのは寒い季節になってきたが、3連休ということもあって外出している人は多い。この時期は紅葉シーズンであるため、インスタ映えする写真を撮るべく名所へと繰り出しているのだろう。


 俺、笠原涼太かさはらりょうたはどうかと言うと、紅葉には少しも興味がなかった。そもそも人の多いところが嫌いなので、わざわざ休日に人混みに呑まれに行こうとは思わない。だから休日の大半は家でゴロゴロしているのだが、今日は少し違った。実家に帰ってきているのだ。


「ちょっとお母さん、何か変な匂いするんだけど、卵焼き大丈夫?」


 厨房から声と共に焦げ臭い匂いが漂ってきた。俺がダイニングテーブルから視線をやると、キッチンに並んで立つ二人の女の姿が目に入った。2人ともフライパンを握っているが、うち1台から白い煙が上がっている。


「あらやだ、本当! 火が通るの待ってたら焦げちゃったのねぇ」


 煙の上がっているフライパンを持った女がのんびりと言った。白髪交じりの黒髪をボブカットにし、下がり気味の目尻には皺が寄っている。この人は俺の母さんで、名前は笠原敏子かさはらとしこという。普段はパートに出ていることが多いが、今日は休みらしく1日家にいる。


「それよりあんたの方は大丈夫なの?」母さんがコンロの火を止めながら尋ねた。「出汁巻き、全然巻けてないみたいだけど」


「そうなの! こう、手首返して巻こうとしてるんだけど全然上手くいかなくて、その間に火通って固まっちゃってさー! テレビで観てると簡単そうなのに、何であたしがやると失敗するかなー!?」


 悪態をつきながらフライパンを返しているのは若い女だ。茶髪を背中まで伸ばし、目尻は母さんとは対照的に吊り上がっている。こっちは俺の姉ちゃんで、名前は笠原美香かさはらみか。仕事はOLをしていて、勤務先が近いので今も実家で暮らしている。父さんは単身赴任なので、普段は母さんと二人暮らしだ。


「火加減が強すぎるんじゃないの? 巻くのに時間かかるんだから、弱火でじっくり焼かないと」母さんが言った。


「うーん、でもあたし、弱火って辛気くさいから嫌いなんだよねー。強火でばぁーっと焼いた方が早くない?」


「野菜炒めならそれでもいいけど、卵は火が通りやすいから巻いてる間に焦げちゃうのよねぇ。あたしももっと火加減弱くすればよかったわ」


 母さんが名残惜しそうに言って焦げた卵焼きを皿に移す。姉ちゃんもぶすっとした顔で火を止めると、スクランブルエッグにしか見えない出汁巻きを皿に移した。


「ちょっと涼太、あんたもぼさっとしてないで手伝いなさいよ」姉ちゃんが言った。


「いや、3人も台所入ったら邪魔だし、そもそもコンロ2台しかないだろ」


「料理はしなくても、コップ出したりお箸並べたりなんかすることあるでしょ? ホンット気が利かないんだから」


「実家帰って来た時くらいゆっくりさせてくれよ。そもそも母さんに料理教えてくれって言い出したのは姉ちゃんだろ」


「そうだけど! せめて食事の支度くらい協力しようって気にならない?」


「ならない」


「あーあ、これだから男は。座ってればご飯が出てくると思ってるんだよ。今からその調子じゃ将来ろくな男にならないね」」姉ちゃんが嘆かわしそうに肩を竦めた。


「うるさいな。何でもいいから早く出してくれよ。俺腹減ってんだよ」


「うわっ、何その態度! 頑張って作ったんだからちょっとくらい感謝したらどうなの?」


「……焦げた卵焼きとスクランブルエッグみたいな出汁巻きに感謝しろって言われても」


「そういう問題じゃないでしょ! ……ったくもう、ホンット可愛げがないんだから」


 姉ちゃんはぶつぶつ文句を言いながら卵焼きと出汁巻きをテーブルに運んでくる。俺もこれ以上文句を言われるのが嫌だったので、渋々立ち上がってコップと箸の準備をすることにした。

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