7−7
たっぷり時間をかけてオムライスを完食したヘレンは、閉店時間ギリギリに店を後にした。俺は不機嫌な気持ちを引き摺りながらお会計をしたのだが、去り際にヘレンが「Thank you,boy」と言って輝くばかりの笑みを向けてくれたので少し機嫌を直した。
「あーあ、それにしても涼ちゃんってばひどいよねぇ」
閉店後、店の後片付けをしながら喜美がぼやいた。俺は聞き捨てならないと言うように喜美を睨む。
「何がひどいんだよ。メニューも間違えなかったし、レジの金額だって合ってただろ」
「あたしが言ってるのはそういうことじゃないんだよ! あたしがいる前でよその女の人とイチャイチャしてさ! あたしがどんな気持ちで見てたかわかんないかな!」
「いや、話聞いてこいって言ったのはお前だろ。嫌なら最初から行かせなきゃいいだろ」
「でもほら、あの人はお客さんだし、がっかりしてるのほっとくわけにもいかないじゃん? かといって涼ちゃんがデレデレしてるの見るのも嫌だし……わかんないかなーこの微妙にして複雑な乙女心」
わからないし、わかりたくもない。以前の俺ならそう一蹴するところだが、今は言葉を返すことができなかった。冗談染みた喜美の言葉が本心だと知っているからだ。
「それよりお前、本当にエッグベネディクト作れるのか?」俺は気まずさを払おうと尋ねた。「あの人、次いつ来るとか言ってなかったけど、もし明日にでも来たらどうすんだよ?」
「大丈夫大丈夫! 明日は朝から猛練習するから! 1日あれば新メニューでもバッチグーだよ!」
喜美が例によって謎の自信を見せる。っていうかいい加減その英語止めろよ。
「あっそ。せいぜい頑張れよ。俺は明日休みだからな」
明日は大学の授業もないから、1日家にいることにしよう。慣れない英会話で疲れたことだし、昼まで眠るのも悪くない。そう思っていたら喜美が爆弾を投下した。
「何言ってんの? 涼ちゃんも付き合うに決まってるじゃん」
「え?」
「自分で作ってるとどうしても味がわからなくなるからね。客観的な意見くれる人がいた方がいいんだよ! だから明日は8時集合ね!」
喜美はさも当然のように話を進める。俺はしばし硬直した後、慌ててかぶりを振って言った。
「……いやいやちょっと待て。俺明日休みだって言っただろ。急にシフト増やすとかどんだけブラックだよ」
「わかってるけど! そこを何とかお願いしてるんじゃん! ちゃんと休日出勤のお給料は払うからさ!」
「いや、そういう問題じゃなくて……。そもそも今までは1人で作ってたんだろ? 別に味見役がいなくたっていいだろ」
「普段はそうだけど、今回作るのは愛の思い出を再現するためのエッグベネディクトなんだよ! それを作ろうと思ったら、同じように恋愛のドキドキを感じてたほうがいいんじゃん?」
「はぁ……つまり?」
「だーかーら、好きな人が近くにいた方がいいって言ってるの! 何でわかんないかなぁ!」
喜美が怒った顔で両手を振り下ろす。少し顔が赤くなっているところを見ると、どうやら本気で言っているらしい。俺は気恥ずかしくなって視線を逸らした。
「……でも、ほら、俺朝早いの苦手だから。起きれる自信ないんだけど」
「起きれなかったらそれでもいいよ。でもやるだけやってみてほしいんだ。お姉さんとあたしのブレイキング・ハートをリカバリーするためにもさ!」
喜美が熱心に言って俺を見つめてくる。要するに失恋の傷を癒すと言いたいのだろう。ヘレンはともかく、お前はまだ失恋してないんじゃ……と言いかけたが
「……わかった。でもあんまり期待すんなよ。……朝起きること以外もな」
「はいはい、わかってるよ。じゃ、そうと決まったら早く片づけて帰りますか!」
喜美が元気よく言っていそいそと厨房を片付け始める。俺はその背中をちらりと見やった後、もやもやを拭き取るようにテーブルの拭き掃除を再開した。
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