7−5

「えーと、ヘレン。さっきエッグベネディクトを食べたがってたけど、何か理由でもあるの? リーズン、ウォント、エッグベネディクト?」


「Oh……Eggs Benedict……」


 ヘレンがまたしても沈んだ顔になる。しまった。いきなり踏み込み過ぎたか? 俺は慌てて言葉を取り繕おうとしたが、あいにく気の利いた英語は一つも浮かばなかった。


「エッグベネディクト……ワタシノ、オモイデ……」ヘレンがぽつりと言った


「思い出?」


「Yes.I came to Japan ten years ago.But I could’t eat Japanese food」


「えーと、ごめん。できれば日本語で……。ジャパニーズ、プリーズ」


「Oh,sorry.ワタシ、ニホンキタ、ジュネンマエ。デモ、ニホンショク、タベラレナカタ」


「10年前に日本に来たけど、日本食が口に合わなかった。それで?」


「I was in trouble…….ワタシ、トテモコマタ。Can’t live…….タベルモノナイ。セイカツデキナイ。I missed America…….アメリカ、カエリタカッタ。But George helped me」


「ジョージ?」


 英語交じりのヘレンの言葉を聞き取るのに必死になっていた俺だが、最後の言葉だけははっきりと聞き取れた。ジョージがヘレンを助けた。いったいどういうことだろう。


「ジョージって誰ですか? 友達か何かですか?」


「No.George was my darling」


「ダーリンって、つまり恋人ってことですか?」


「Yes.George is a nice guy.I love George so much」


 ヘレンがうっとりと頬を赤らめる。ナイスガイ。アイラブジョージ。どうやら彼女はジョージにかなり熱を上げているようだ。こんな美人と付き合えるくらいなんだから、身長180センチ以上あって、サラッサラのブロンドで、歯磨き粉のCMに出てきそうな歯の白い爽やかなイケメンなんだろうな……と俺はちょっと卑屈な気持ちになる。


「で、ジョージはどんな風に助けてくれたんですか? ベリーナイスなジャパニーズフードでもファインドしてくれたんですか?」


 俺はちょっと不機嫌になって尋ねた。もはや格好をつけて流暢な英語を喋ろうという気にもなれない。


「No.George is a cooks……リョウリニン。He made an Egg Benedict for me」


「ジョージは料理人で、ヘレンのためにエッグベネディクトを作ってくれた?」


「Yes.Eggs Benedict……ニューヨークフード。I like it very much」


「エッグベネディクトはニューヨークの料理で、ヘレンはそれが好物だった。つまり日本食の代わりにエッグベネディクトを食べてたってこと?」


「Yes.ワタシ、ニホンイラレタ。Thanks to George」


 要はジョージが故郷の料理を作ってくれたおかげで、ヘレンは日本に居続けることができたというわけだ。彼女がエッグベネディクトにこだわっていた理由がようやく見えてきた。


「でも、それならジョージにエッグベネディクトを作ってもらえばいいじゃないですか。わざわざ店に来てまで食べなくても」


 ナイスガイな料理人ジョージのことだ。可愛い恋人の頼みとあればすぐに作ってくれるだろう。だがヘレンは意外な言葉を口にした。


「I can’t…….I don’t know where George is」


「え? アイドンノーって何が? ワッツ?」


「ジョージとワタシ……ワカレタ。Five years ago」


「5年前に別れた? 何で?」


「I came to Japan for the works of my parents…….ワタシ、ニホンキタ。オヤノシゴト。But I wanted to be actress.ワタシ、ジョユウナリタカタ。So I returned to America alone」


「親の仕事の都合で日本に来たけど、女優になりたくて一人でアメリカに帰った?」


「Yes.And I broke up with George at that time……」


 ヘレンが深々とため息をついて項垂れた。話の流れからしてその時にジョージと別れたのだろう。


「じゃあ、ジョージとはそれっきり?」


「Yes.But I still love George…….ワタシ、ジョージ、アイタイ」


 ヘレンが悩ましげなため息をつく。別れて5年経った今でも、彼女はジョージのことを忘れられずにいるようだ。


 ヘレンはそれ以上話そうとはせず、遠い目をして窓の外に視線をやった。今この瞬間も、彼女はジョージのことが恋しくてたまらないのだろう。


 俺はヘレンを慰めようと必死に英語を捻り出そうとしたが、案の定何も出てこない。『This is a pen』なんて役にも立たない例文を教えるくらいなら、こういうシチュエーションの切り抜け方を教えてくれればいいのにと俺は日本の英語教育が恨めしくなった。

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