7−2

 そんなこんなで食堂のバイトを続けて3週間が経った。俺は一通りの仕事を覚え、暇な時間と忙しい時間の予想もつくようになった。忙しいのは夕食時の18時から21時まで。それを過ぎてしまえば後はほとんど立っているだけだ。


 時刻は22時。この時間にやってくる客は少なく、来ても単品を1、2品頼むくらいですぐに帰ってしまう。店は23時まで営業しているが、居酒屋でもないのに深夜近くまで店を開ける必要はないんじゃないかと俺はいつも思っていた。もっとも、バイトの身からすれば、立っているだけで給料がもらえるので楽なのだが。


 俺がそんなことを考えていると食堂の引き戸が開かれた。残業帰りのサラリーマンでも来たのだろうか。俺は気が進まないながらも接客モードに切り替えた。


「いらっしゃいませー。何名様ですか? お席はカウンターとテーブルどちら……」


 俺がそこで言い淀んだのは、入口に立っていたのが予想とはまるで違う人物だったからだ。鍔の広い帽子、レンズの大きなサングラス、ピンクのノースリーブワンピースに肩掛けした白いジャケット、ブランド物のバッグ、ハイヒール、そして極めつけはブロンドの長い髪。まるでハリウッド女優のような出で立ちの女性が一人で立っていたのだ。


「Is this a restraunt?」


 女性が尋ねてきた。流暢な英語だ。どう考えてもネイティブだろう。


「あ、えーと、その、アイム、ジャパニーズ……」


「How long is this store open?」


 女性は俺が理解できていないことに気づいていないのか、なおも流暢な英語で尋ねてきた。たぶん使っている単語は難しくないのだろうが、リスニングの授業をサボっていた俺は半分も聞き取れなかった。


「えーと……アイ、ドント、スピーク、イングリッシュ。ジャパニーズ、プリーズ……」


「Huh? Please say it again」


 女性が怪訝そうに眉を顰める。このままいけば業を煮やして帰ってしまうだろう。客を追い返したなんて喜美に知られたら何を言われるかわからない。俺がどうしたものかと困惑していると、厨房からぱたぱたと足音が聞こえて喜美が顔を出した。


「涼ちゃん? 何やってんの? ってあれ、お客さん? 駄目だよこんなとこでお待たせしちゃあ!」


 喜美が怒った顔で腰に手を当てる。俺は慌てて弁解した。


「いや、それが、この人外国人らしくて日本語通じないんだよ。さっきからいろいろ喋ってるんだけど、何聞かれてるか全然わからなくて……」


「もう、しょうがないなぁ。代わって! あたしがお相手するから」


 喜美が憤然と言って前へ歩み出る。こいつ英語なんか喋れるのか? 俺が疑問に思っていると、女性が喜美に話しかけてきた。


「Is this a restraunt?」


「イエース! ディス、イズ、ザ、レストラン! イン、タメイゴウ!」


「How long is this store open?」


「トゥウェンティ、スリー、オープン! イッツ、オールライト!」


「Oh,then can I eat here now?」


「オーケー、オーケー、ベリーオーケー!」


 喜美が満面の笑みで言って両手の親指を立てる。女性も口紅を塗った唇を緩めると、ヒールを鳴らして奥のテーブル席に歩いていった。


「ほら、涼ちゃん、お客さん待たせちゃ駄目だよ。早く注文取らなきゃ」


 俺が呆けていたせいか、喜美が俺の脇腹を小突いてきた。表情は平然としている。


「あのさ、お前って英語喋れたの?」


「え、喋れないけど?」喜美があっさりと言った。


「いやでも、普通に会話してたじゃん。てっきりペラペラなのかと思ったんだけど」


「全然? いやーあたし英語って苦手なんだよねぇ。テストでもいっつも赤点ギリギリだったし」


「じゃあなんで話通じたんだよ? あの人も納得してるっぽかったけど」


「あのねぇ涼ちゃん、大事なのはハートなんだよ。心と心が通じ合えば、言語の壁なんて問題ナッシング!」


 喜美が得意げに親指を立てる。どうやらいつも通り勢いで押し切ったらしい。


「……まぁ、言われてみればいろいろおかしかったな、お前の英語」俺は頷いた。

「文法とかめちゃくちゃだったし。つーか『タメイゴウ』って何だよ」


「やー、『たまご料理専門の食堂』って何て言えばいいのかわかんなくてさ。何とか通じたみたいでよかったけど」


「いや通じてないだろ。そもそも卵は『エッグ』だし」


「あれ、そうだっけ?」


 喜美が本気でびっくりした顔をしている。こいつの英語力俺以下かよ。


「にしてもすごいなお前、英語わかんないのに外国人と会話できるとか」


「まぁほら、大事なのはハートだから。だから涼ちゃんもレッツチャレンジ!」


 喜美が両手で俺の背中を押してくる。注文を取れということなのだろう。俺は渋々メニューとお冷を持って女性の席へと向かった。


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