6ー8

 その後、俺は小林さんと一緒に店を後にした。店長が追いかけてくる気配はない。深夜勤務の人が来るまでは1人で店を回さなければいけないのだから、慌ただしくて俺に構うどころではないだろう。


 夕焼けに染まる空を眺めて歩きながら、俺は妙にすっきりした気持ちでいた。あの店長に一泡吹かせてやった快感が湧き上がり、大声で笑い出したいような気持ちになる。もちろん、他の従業員に迷惑をかけてしまう罪悪感もあったのだが。


「あの……笠原君、ごめんね。私のせいでバイト辞めさせちゃって……」


 小林さんが眉を下げて言った。責任を感じているのか、夕日の下にもかかわらずその表情は暗い。俺は小林さんを安心させようと笑みを浮かべて言った。


「気にしないでください。俺が勝手にやったことなんで。それに言いたいこと言えてすっきりしましたし」


「でも元々は私のミスなのに、笠原君まで巻き込んじゃって……」


「いいんです。どうせ条件悪いんだから、辞められてかえってラッキーでした」


「本当に? 慣れたとこ辞めるの面倒だって前に言ってたじゃない」


「そうですけど……このまま惰性で続けてても成長がないですし、ちょっとくらい環境変えてもいいかなって思ってたとこなんです」


 正確に言うと、そんな立派なことを考えて店長に歯向かったわけではない。ただ、理不尽な仕打ちを受けている小林さんを見ていると、あのまま黙って引き下がるのは嫌だと思ったのだ。でも本人を前にしてはとても言えない。


「そう……。でも私、ちょっと嬉しかったわ」小林さんがふんわりと微笑んだ。


「普段はクールな笠原君が、あんな風に怒ってくれるなんて思わなかったから……。おかげでちょっと惚れ直しちゃったわ」


「……俺は自分が思ったことを言っただけです。小林さんのためじゃありません」俺はばつが悪そうに俯いた。


「そう? それは残念。でもさっきの笠原君、本当にカッコよかったわよ。特に最後の言葉が刺さったわ」


「何のことですか?」


「自分の可能性を否定するなって言葉。あれ聞いて私ぐっときたの。確かに私達って、自分で自分のこと決めつけるのかもしれないって気づかされた。今いる場所が全てじゃなくて、他にもいろんな可能性はあるのよね。ただ自分がそれに気づいてないだけで」


「あ……はい。そうですね」


 俺は当惑しながら頭を搔いた。確かに勢いに任せてそんなことを口走った気はするが、俺は何も普段からそんな考えをしているわけではない。むしろ店長が言ったように、最初からどこかで自分のことを諦めていた。そんな俺にあの言葉を言わせたのは――。


「ねぇ笠原君、さっきみたいに、思ったこと素直に言ってみたらいいんじゃないかしら?」


 小林さんが出し抜けに言い、俺の思考はそこで打ち切られた。小林さんは真面目な顔をして続けた。


「あなたはバイトを辞めて、今までとは違う自分になることを選んだ。だったらもう一歩踏み出して、別の可能性を試してみてもいいんじゃない?」


 小林さんが悪戯っぽく笑う。何のことを言われているのか、聞かずともわかった。


「……そうですね。ちょうど時間も空きましたし、これからあそこに行ってきます」


「ええ、それがいいわ。私も一緒に行きたいけど、今日はあいにく旦那が帰ってくるの。笠原君の雄姿を見届けられないのが残念ね」


「雄姿かどうかはわかりませんよ。撃沈するだけかもしれません」


「それならそれで次に進めるからいいんじゃない。じゃ、結果はまた教えてね?」


 ちょうど曲がり角に来たところで、小林さんが手を振りながら去っていく。夕日に照らされたその笑顔は、いつものように晴れやかだった。


 俺は小林さんの影法師に向かって手を振り返すと、自分も反対側の道を歩き出した。

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